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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十一章 帰還光路編

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第百六十六話 父

第166話 父



【異世界・転移した学園/校舎二階・明け方前】


校舎の中は、静かだった。


静かだが、安心できる静けさではない。

体育館に集められた生徒たちの気配。

どこかで軋む窓。

遠くで誰かが咳をする音。

その全部が、まだこの学園が“避難所であり戦場でもある”ことを思い出させる。


ハレル、サキ、リオは、使われなくなった情報処理室の前に立っていた。


ドアの下の隙間から、白い光が細く漏れている。

蛍光灯の光ではない。

もっと細く、もっと冷たい、プログラム層の線に似た光だ。


サキがイヤーカフへ触れる。

『ノノ、ここ』


『うん、見えてる』

ノノの声が返る。

『その部屋だけ、補助層の反応が濃い』

『さっきまでなかった線が、今だけ三重になってる』


セラの声も続いた。


『たぶん、匠さんです』

『でも長くは持ちません』


ハレルの喉が、わずかに強張る。


分かっていた。

ここまで匠が補助層へ手を入れているなら、

どこかで接触があるかもしれない。

そう頭では理解していた。

でも、実際に“父がいるかもしれない部屋”の前に立つと、

準備していた言葉は何一つ形にならなかった。


リオが横目でハレルを見る。

何も言わない。

ただ、先に行くなら行け、というように半歩だけ位置をずらした。


ハレルは小さく息を吸い、ドアへ手をかけた。




【異世界・転移した学園/情報処理室・明け方前】


部屋の中は、白い線で満ちていた。


床。

壁。

机の縁。

古いモニターの枠。

その全部の上に、細い数列と光の線が幾重にも走っている。

学園の古い情報処理室の形を借りて、

そこへ補助層が半ば食い込んでいるような光景だった。


部屋の中央。

机と机の間にできた白い層の裂け目の前に、男が立っていた。


匠だった。


以前の記憶のままではない。

頬は少しこけ、目の下には濃い疲れがある。

服も汚れている。

髪も整っていない。

だが、それでも間違えようがない。


サキが、最初に息を呑んだ。


「……お父さん」


その一言で、部屋の空気が変わる。


匠も、すぐには何も言わなかった。

ただハレルとサキを見た。

本当なら今すぐ駆け寄って抱きしめたいのに、

それを止めているような、苦しい静けさがそこにあった。


「来たか」

匠がようやく言った。


短い声だった。

感情を抑えているのが分かる。


ハレルは、返事をしようとして言葉が出なかった。


聞きたいことは山ほどある。

どうして今まで一人で動いていたのか。

なぜ何も言わなかったのか。

どうして自分たちを置いていったように見えたのか。

今どこまで知っているのか。

戻れるのか。

戻れないのか。


全部あるのに、喉のところで詰まる。


やっと出た言葉は、思っていたよりずっと短かった。


「……生きてたんだな」


匠の表情が、ほんのわずかだけ揺れた。


「ああ」


それだけだった。

それだけなのに、サキの目から涙が落ちた。


「お父さん……」

サキはもう耐えられなかった。

「いつ戻るの」

「一緒に帰れるの」

「ずっと、ずっと探してたんだよ」


声が震える。

途中から、うまく言葉になっていない。


匠は一歩だけ前へ出た。

だが、その足は途中で止まる。

白い線が足元で脈を打ち、補助層の裂け目が不安定に揺れたからだ。


「サキ」

匠の声は低かった。

「……帰る」

「帰らせる」

「そのために今は、まだここを離れられない」


サキは涙を拭うこともできずに首を振る。

納得したわけじゃない。

でも、それが今すぐ“戻れない”という意味だとは分かってしまう。


リオが、そこでようやく口を開いた。


「時間がないのは分かる」

「だったら必要なことを教えてくれ」

「中枢ログは取った。

でもまだ足りない」


匠の視線がリオへ向く。

短く頷いた。


「正しい」

「中枢ログだけでは戻せない」

「今の段階で一番危ないのは、本線を急いで太くしようとすることだ」


ハレルが、そこでやっと次の言葉を出した。


「補助層か」


「そうだ」

匠は答えた。

「補助層は裏道じゃない。

最後の反転で揺れを逃がす支えだ」

「本線を先に広げると、揺れが逃げずに出口側が死ぬ」


サキが涙声のまま言う。

「レアが言ってたことと同じ……」


匠はそれに反応した。

「レアに聞いたのか」


「聞いた」

リオが答える。

「全部じゃないけど、断片は出た。

急いで出口を作るな、先に広げるな、静かな層を選ぶなって」


匠は少しだけ目を閉じた。

その反応は、驚きより確認に近かった。


「……そこまで出たなら早い」

「なら次は、残支点の位置を絞ることと、補助層を三層まで安定させることだ」


ノノの声がイヤーカフ越しに跳ねる。


『今の拾った!』

『残支点を絞る、補助層を三層、ね!』


匠は部屋の隅へ走る白い線を見た。

まるでノノたちの方も、その向こうに見えているみたいだった。


「ノノ、聞いているな」


『聞いてる』


「今の補助層は細い」

「通すだけなら可能でも、戻し切る時の荷重に耐えない」

「だから三層だ。

一本目で道を作る。

二本目で揺れを逃がす。

三本目で出口側の形を保つ」


日下部が現実側で聞いていれば、そのまま図に起こしただろう。

ノノももう半分そういう頭になっている。


『了解。記録してる』

ノノが言った。


ハレルは匠を見たまま聞く。


「固定点は」


匠は、そこで少しだけ黙った。


「まだ全部は言えない」

「位置を先に固定すると、逆に向こうへ読まれる」

「だが条件はある。

“始まりに近い場所”だ」


「始まり……」

ハレルが繰り返す。


「お前たちが最初に巻き込まれた中心」

匠が言う。

「完全に同じ点ではない。

だが、そこに近い重なりでないと持たない」


学園。

あるいは、その現実側の対応点。

ハレルの頭の中で、いくつもの場所が浮かび、まだ絞り切れずに消える。


リオが次の問いを選ぶ。


「現実側」

「警官に紛れてる敵がいる。

金属が錆びるみたいに崩れてる」


匠の目が変わる。

そこだけ反応が早かった。


「……ラストか」


部屋の空気がまた少し冷たくなる。


サキがすぐに顔を上げた。

「知ってるの」


「存在は」

匠が答える。

「黒い影の進化体の一つだ」

「錆そのものを起こしているんじゃない。

“止まった導線”と“閉じた金属”へ劣化を流し込んでいる」


リオが眉をひそめる。

「じゃあ弱点は」


匠は短く言った。


「止めるな」

「流しているものを、止めた瞬間に食う」

「逆に、循環している線、光が通っている結界、

 仮でも回っている導線には乗り切れない」


ノノの息を呑む音が、イヤーカフ越しに聞こえた。


『……だから木崎さんたち、止まらずに動いてるのか』


「そうだ」

匠が答える。

「無意識でも正しい」

「あとで日下部に伝えろ。

金属を完全に捨てる必要はない。

“止まったままにしない”ことだ」


ハレルはその言葉を頭へ刻み込んだ。

これは後で要る。

必ず要る。


だが、それ以上に今は、目の前の父を見てしまう。


ようやく会えた。

なのに会話は、ほとんど全部が作戦の話だ。

それが正しいと分かっているから、余計につらい。


「……何で」

ハレルはそこで、やっと別の言葉を出した。

「何で今まで、直接来なかった」


匠はすぐには答えない。


白い補助線が、彼の足元で少し揺れる。

時間がない。

それでも、ここを誤魔化すわけにはいかないという顔だった。


「来たかった」

匠が言う。

「ずっと来たかった」

「でも、私が表へ長く出ると補助層の位置が読まれる」

「お前たちのそばにいることより、道を残す方を優先した」


サキが泣いたまま言う。

「それでも……」

「それでも来てほしかった」


匠の目が、そこで初めてはっきり痛んだ。


「分かってる」

「……分かってる」


ハレルは、拳を握った。

怒りたい。

責めたい。

でも今それを全部ぶつけたら、せっかく繋がったこの時間が壊れる。

だから、抑えるしかない。


抑えたまま、やっと言う。


「じゃあ、次は逃げるな」


匠は少しだけ目を見開き、それから小さく頷いた。


「ああ」

「次は、もっと話す」


その言葉が本当に守られるかは、まだ分からない。

でも今は、それで足りるしかなかった。




【異世界・転移した学園/情報処理室・直後】


白い補助線が、急に明滅を始めた。


ノノがすぐに言う。

『持たない、時間切れ!』


セラも続ける。

『匠さん、切れます!』


匠はすぐにハレルたちを見た。


「残支点を急ぐな」

「補助層を先に三層」

「固定点は“始まりに近い重なり”」

「それと――」


言いかけて、白い線が大きく揺れる。


サキが反射で一歩前へ出た。

「お父さん!」


匠はそこで、ほんの一瞬だけ笑った。

疲れていて、痛みもあって、それでも父親の顔をした笑みだった。


「帰るぞ」

「全員で」


次の瞬間、白い補助線が細く折りたたまれるように縮み、

匠の姿はその奥へ沈んだ。


部屋に残ったのは、古い情報処理室の静けさと、

机の縁を走るわずかな白い残光だけだった。


サキはその場で泣いた。

声を殺そうとして、でも殺し切れない涙だった。


ハレルはしばらく動かなかった。

動けなかった。

でも、崩れもしなかった。


リオが静かに言う。

「……必要なことは聞けた」


その言葉は冷たくない。

むしろ、二人を立たせるための言葉だった。


ハレルはゆっくり息を吸った。

まだ胸の中はぐちゃぐちゃだ。

怒りもある。

安心もある。

聞き足りなさもある。

でも、今は一つだけ確かだ。


父は生きていた。

そして、自分たちを帰すつもりで本当に動いている。


「……整理しよう」

ハレルがようやく言った。

「今の話、全部」


サキが涙を拭きながら頷く。

「うん……」


イヤーカフの向こうで、ノノも静かに息を吐いていた。


『拾えてる。

全部、拾えてる』

『これで次に進める』


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・明け方】


ノノの端末には、新しく補助線のメモが増えていた。


補助層は三層

一本目で道

二本目で揺れ逃がし

三本目で出口保持

固定点は“始まりに近い重なり”

ラストは止まった導線と閉じた金属を食う

循環する光・結界・導線には乗り切れない


セラがその内容を見て、静かに言った。


「大きいです」


「うん」

ノノが答える。

「かなり大きい」


王都の北西では、まだ戦いが続いている。

現実側では、見えない錆が導線を削っている。

でも今、両側を繋ぐための言葉が一気に増えた。


帰還の光路は、まだ細い。

だが、その細い道をどう支えるかが、ようやく形になり始めていた。


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