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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十一章 帰還光路編

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第百六十四話 王都軍兵

第164話 王都軍兵


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画手前・未明】


北西区画へ近づくほど、空気が重くなっていた。


夜明け前の薄青い光。

石畳の上を這う影。

閉じた店々の軒下。

割れた窓。

遠くから響く、獣とも金属ともつかない声。


王都イルダの北西は、もう完全に“街の顔”ではなかった。


アデルは広場手前の交差路で立ち止まり、前方を見た。


三体。


巨大な影獣が、まだ北西区画の中で暴れている。

猪に似たもの。

狼に似たもの。

牛に似たもの。

だがどれも、本来の動物よりどこかおかしい。

首が長すぎる。

肩が盛り上がりすぎている。

顔の半分が空洞で、その中を黒い文字列が流れている。


王都軍兵はすでに布陣していた。

槍兵が横列。

その後ろに光系術師。

さらに後方に治療班。

街の人間を背後へ逃がしながら、どうにか線を作っている。


だが、押されている。


「第三列、下がるな!」

兵士長の怒声が飛ぶ。


猪型の影獣が石畳を砕きながら突っ込む。

その勢いに、前列の槍が二本弾かれ、兵の一人が横へ吹き飛んだ。


「〈光杭・第二級〉!」

術師が叫ぶ。


白い杭が猪型の脚へ打ち込まれる。

止まりきらない。

だが一瞬だけ鈍る。


その一瞬へ、ヴェルニが飛び込んだ。


「どけ!」


両手に炎と風を巻き、真正面から叩きつける。


「〈爆風・第四級〉――『吹き飛べ!』」


轟音。

猪型の巨体が横へ弾かれ、崩れた石壁へ激突する。

石が砕け、黒い破片が散る。


その隙に、アデルが前へ出る。


「前列、詰めろ!」

「止めるだけでいい、倒し切ろうとするな!」


彼女の左腕の副鍵が淡く光る。

結界線が石畳の上へ走り、街路そのものを細い箱のように区切っていく。


「〈封界・第三級〉――『通すな』!」


透明な壁が、狼型の突進を正面から受けた。

激しい衝撃。

結界が震える。

だが破れない。


王都軍兵がその横から一斉に槍を突き出す。


「今だ!」

「脚だ、脚を狙え!」


狼型の前脚へ槍が三本刺さる。

その輪郭がぶれる。

黒い影が肉の形から少しずれ、骨格のような線が一瞬だけ見えた。


「効いてる!」

若い兵士が叫ぶ。


「喜ぶな!」

アデルが即座に言う。

「崩れ方を見ろ!」


その言葉どおりだった。


刺さった脚の輪郭が崩れ、狼型はただ倒れるのではなく、体勢を捨てて横へ跳んだ。

動物ではない。

“それっぽい形”を途中で捨ててでも、街の奥へ抜けようとしている。


「ヴェルニ!」

アデルが叫ぶ。


「分かってる!」


ヴェルニは笑いながら、今度は横へ風を走らせた。


「〈風圧・第三級〉――『戻れ!』」


横へ逃げた狼型の巨体が、見えない壁へぶつかったみたいに軌道を変える。

そこへ、待っていた槍兵たちが再び前へ出る。


「押し返せ!」

「街の中へ入れるな!」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画後衛・未明】


後方では、治療班が休む暇もなく動いていた。


イデールは、負傷兵の間を歩いていた。

白い術布。

細い杖。

光の輪をいくつも指先に浮かべながら、次々と傷へ触れていく。


「深い傷から先に」

「倒れている者を寝かせたままにしないで」

「呼吸が浅い人をこっちへ」


声は静かだ。

だが、その静けさが周囲を保たせている。


一人の兵士が腕を押さえたまま座り込んでいた。

影獣に弾かれたのだろう。

肩口が裂け、血が石畳へ落ちている。


イデールは膝をつき、傷へ光を重ねた。


「〈治光・第二級〉」


白い光が、兵士の肩口を包む。

裂けた肉がすぐに元通りになるわけではない。

だが出血が鈍り、呼吸が整い始める。


兵士が歯を食いしばって言う。

「……まだ前へ出られます」


「駄目です」

イデールはきっぱりと言った。

「今は立てることより、次にまた立てることを優先してください」


そのすぐ横では、別の術師が光球を上空へ打ち上げる。

北西区画一帯の影を少しでも薄くするための明かりだ。


だが、その光は長く保たない。

広場の奥から押してくる黒さの方が強い。


イデールはそれを見て、わずかに眉を寄せた。


「……ただの獣ではない」


治療班の若い術師が聞き返す。

「え?」


「押し方が変です」

イデールは答えた。

「街を壊すより、守る側を疲れさせる押し方をしている」


その見立ては正しかった。


三体の影獣は、ただ無秩序に暴れているようでいて、

実際には防衛線の薄い場所ばかりを狙っていた。

前列を崩し、後衛を走らせ、治療班の手を増やす。

結果として、街全体の体力を削っていく。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画・崩れた石壁の上・未明】


崩れた石壁の上に、黒い影をまとった男が立っていた。


ジャバ。

だが、この場でその名前を知る者はいない。


肩幅のある体。

乱暴な立ち姿。

皮膚の下を走る黒い影。

時おり目の奥でぎらつく文字列。

人の顔を借りているのに、怒りと破壊だけがむき出しに見える。


ジャバは、王都軍兵が走り、術師が位置を変え、

治療班が止まれず動いているのを見て笑った。


「いいな」

「そうやって散れ」


彼の狙いは単純だった。

街そのものを一撃で潰すことではない。

守るために人を走らせること。

一点へ集中できない状況を作ること。

それがいちばん効率がいいと分かっている。


ジャバは足元の影へ手を向けた。


地面に落ちていた黒さが、またゆっくり持ち上がる。

新しい四足の輪郭が、石壁の裏で形になり始める。


「まだ足りねえな」

「もっと走れ。

もっと守れ。

そうやって削れ」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画中央・未明】


「増えるぞ!」

ヴェルニが叫んだ。


アデルもすぐ気づく。

崩れた石壁の裏側。

新しい影が持ち上がっている。

今の三体を抑えている間に、次が来る。


「前列、その場を離れるな!」

アデルが命じる。

「第二列、左へ回せ!

後ろを作るな!」


王都軍兵が動く。

乱れていた列が、再び槍の壁を作ろうとする。

そこへ牛型の影獣が、真正面から頭を下げて突っ込んできた。


「――っ!」


槍が二本、折れる。

兵が吹き飛ぶ。

結界線が軋む。


リオが、その横から踏み込んだ。


右腕の副鍵が白く光る。


「〈拘圧・第三級〉――『止まれ!』」


空気そのものが、牛型の首と肩へ重く絡みつく。

完全には止められない。

だが突進の角度が鈍る。


アデルがすぐにそこへ結界を差し込む。


「〈断界・第三級〉――『分けろ!』」


透明な線が、牛型の輪郭へ斜めに入る。

皮ではない。

肉でもない。

“影として繋がっている部分”を断ち切るような一撃だ。


牛型の頭部が、大きくぶれる。


「今だ!」

アデルが叫ぶ。


前列の兵たちが、一斉に槍を押し込む。


「押せえぇぇ!」


叫び声。

槍のきしむ音。

光杭の炸裂。

その全部が重なって、ついに牛型の巨体が後ろへ崩れた。


倒れたのではない。

形を保てなくなって、黒い塊へ戻り始めたのだ。


ヴェルニがそこへ炎を叩き込む。


「〈爆炎・第四級〉――『燃えろ!』」


黒い塊が燃える。

だがただの火ではない。

燃えながら、影と文字列の形がほどけていく。


それを見ていた若い兵士が、息を呑んだ。

「……倒せる」


「倒せる」

アデルが即答する。

「だが、時間がかかる」

「だから欲張るな。

押し返して線を保て」


それが王都軍兵に必要な考え方だった。


全てをここで倒し切る必要はない。

街を守る線を切らせないこと。

治療班の足を止めさせないこと。

イデールたちの光が届く時間を作ること。

今はそれが勝ちに近い。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・未明】


ノノの耳に、北西区画の通信が何本も飛び込んでいた。


『前列維持!』

『第二列左へ!』

『治療班、あと二人!』

『新しい反応、石壁の裏!』


ノノはその全部を地図へ落としていく。

学園へ戻ったハレルたちの反応。

王都の北西の赤い揺れ。

駅周辺の守備線。

全部が細い光路で繋がっている。


セラはその横で、地図そのものではなく、流れの濃さを見ていた。


「押し方が変です」

セラが言う。


「うん」

ノノが短く返す。

「さっきから北西だけじゃない。

“走らせる”押し方をしてる」


「王都を潰すのが目的ではありません」

セラが続ける。

「守る側を散らして、考える時間を奪うこと」


それは、現実側の“導線を削る”動きとよく似ていた。


敵は両側で同じことをしている。

片方では金属と設備を錆びさせ、

もう片方では街の防衛線を無理やり広げる。

どちらも狙いは同じ。

帰還の設計を進める余裕を削ること。


『アデル』

ノノが通信を返す。

『学園側は予定通り進める。

そっちは持つ?』


少しだけ間があって、アデルの声が返る。


『持たせる』

『持たせる間に、そっちが拾え』


短い。

だが、それで十分だった。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/校舎内・未明】


学園側でも、王都の音はイヤーカフ越しに届いていた。


叫び。

衝撃。

短い指示。

誰かの息。

それを聞くだけで、向こうの状況が苦しいのが分かる。


サキがスマホを握りしめた。

「……王都、かなり押されてるね」


リオは窓の外を見たまま言う。

「だからこっちも急ぐ」


ハレルは、さっき紙に書き出したレアの言葉を見ていた。


* 急いで出口を作るとズレる

* 先に広げると戻る場所が死ぬ

* 静かな層を選ぶと帰れなくなる

* 鍵のない誰かが、あっち側を歩いていた


断片だ。

だが、断片でも今は価値がある。


ノノの声がイヤーカフへ入る。


『王都軍兵が持ちこたえてる』

『イデール班も動いてる。

だからそっちは整理を続けて』


ハレルは主鍵へ触れた。

まだ熱はある。

王都で戦っているアデルたち。

現実側で追われながら読んでいる木崎たち。

自分たちも、立ち止まってはいられない。


「……次に聞くこと、決めよう」

ハレルが言う。

「レアが一番嫌がったところから詰める」


リオが頷く。

サキも、紙の上へ新しい線を書き足した。


王都軍兵が持たせている時間は、ただの防衛ではない。

この学園で、次の一手を決めるための時間でもあった。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画・未明】


北西区画の戦いは、まだ終わっていなかった。


猪型が再び突進する。

狼型が結界を試すように左右へ跳ぶ。

崩れた石壁の裏では、新しい影が形を持ち始める。


だが、王都軍兵はまだ崩れていない。


槍の列。

術師の光。

治療班の足。

アデルの結界。

ヴェルニの爆風。

イデールの治光。


それぞれは小さい。

一つずつなら押し切られるかもしれない。

けれど、繋がっている。

だからまだ保てる。


アデルは前を見たまま言った。


「線を切るな!」

「街を渡すな!」

「持たせるぞ!」


その声に、兵たちが応える。


「おおっ!」


北西区画の空気が震える。

影獣の咆哮。

光杭の炸裂。

爆風。

怒声。

その全部が重なって、王都はまだ、夜明け前の街の形を保っていた。


だが、その向こうの崩れた石壁の上では、黒い影をまとった男がまだ笑っている。


王都を潰し切るためではなく、

王都を“守らせ続ける”ために。


帰還の光路は、こうして街の防衛線の上にも細く通り始めていた。


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