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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十一章 帰還光路編

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第百六十三話 錆びる導線

第163話 錆びる導線



【現実世界・湾岸方面/移動中の車両・未明】


車両の中では、誰も座り直す余裕がなかった。


止まれない。

長く留まれない。

金属が、じわじわと持たなくなっていくからだ。


日下部は中枢ログのケースを膝に固定し、その横でノートパソコンを開いていた。

佐伯と村瀬が左右から画面を覗き込む。

城ヶ峰は前方の様子を見て、木崎は後部窓から外を見ていた。


エンジン音はある。

だが、その奥に別の音が混じる。


きしむ音。

かすかな擦過音。

鉄が、ゆっくりと痩せていくような嫌な音だ。


木崎が低く言う。

「……まただ」


足元を見る。

車内の金属製の手すり。

ついさっきまでは銀色だった部分に、細い赤茶が浮いている。

ほんの筋のように見えたそれが、見ている前でじわりと広がった。


村瀬が息を呑む。

「中まで……来てる」


日下部は画面から目を離さないまま言った。

「追いつかれてるんじゃなくて、導線を先回りされてる感じです」

「たぶん、車両や設備の“金属だけ”を狙ってる」


「分かってる」

城ヶ峰が短く返す。

「だから樹脂ケース優先で積み直した」


「それでも全部は避けられません」

日下部が答える。

「端末の端子。

固定具。

無線機の内部。

金属を使ってないものの方が少ない」


その時、助手席の警官が持っていた無線から、ざり、と妙なノイズが走った。


『――こちら二班、交差点――』


そこで音が歪む。

声が細くなり、次の瞬間には途切れた。


警官が眉をひそめる。

無線機の側面を軽く叩く。

そのアンテナの根元が、ぽろりと欠けた。


「何だこれ……!」


「替えろ!」

城ヶ峰が即座に言う。


だが替えの無線を取ろうとした別の警官の腰ベルトで、

金属の留め具がざらりと崩れた。

手錠ケースが床に落ちる。

床へぶつかった拍子に、その輪の一つが赤茶けて割れた。


車内の空気が一気に重くなる。


敵の顔は見えない。

だが、もうただ“近づいている”段階ではない。

確実に、機能そのものを削り始めている。


木崎は窓の外へ目を向けた。


規制線の先。

伴走する警察車両。

誘導する警官。

夜明け前の薄い光の中で、誰もが普通に見える。


その“普通”の中のどこかにいる。


見張りの位置を変える警官。

交差点の角で腕を上げる警官。

車列の間を歩く警官。

誰も慌てていない。

誰も怪しく見えない。

それなのに、気づくと距離が縮まっている。


木崎がぼそりと呟く。

「……見えないまま詰めてくるのが、一番たち悪いな」




【現実世界・湾岸方面/仮移送ルート上・未明】


先導車が急に減速した。


城ヶ峰の目が鋭くなる。

「止めるな」


前方から警官が走ってくる。

ヘルメット。

反射ベスト。

息を切らしながら窓の外で手を振った。


「前の規制柵が崩れました!」

「いったん右のサービス導線へ――」


言いかけたその時、道路脇の可動式バリケードが音を立てて傾いた。

誰も触れていない。

支柱の根元が、内側から崩れたみたいに折れたのだ。


木崎の背中が冷える。


早すぎる。

しかも、崩れる場所がこちらの進路ばかりだ。


「右へ行けば、もっと狭い通路に押し込まれる」

木崎が言った。

「嫌な誘導だ」


「同感だ」

城ヶ峰が短く返す。

「前の警官、顔は切れるか」


木崎はカメラを上げた。


レンズ越しに走ってくる警官の顔を見る。

汗。

息。

焦り。

その全部は本物に見える。

少なくともこの男は違う。

だが、だから安心もできない。


「こいつじゃない」

木崎が言う。

「だが、どこかにいる」


その直後、車両のステップ下から、嫌な破断音が鳴った。


がぎ、と硬い音。

次いで、金属の擦れる低い響き。

足回りのどこかが持っていかれた。


運転手が顔色を変える。

「左後輪側、固定金具が――」


「停めろ。ただし降りる順番は崩すな」

城ヶ峰が言う。


車両が止まる。


止まった瞬間、全員の中に同じ感覚が走った。

まずい。

ここで止まるのは、向こうの思うつぼだ。




【現実世界・湾岸方面/サービス導線入口・未明】


降車は早かった。


樹脂ケース。

布製バッグ。

紙資料。

中枢ログ。

金属の台車は使えない。

持てるものを、人の手で持つしかない。


日下部はケースを抱えたまま、ノートパソコンを閉じない。

佐伯と村瀬が左右につき、そのまま読める箇所を目で追う。

止まれないなら、歩きながら読むしかない。


城ヶ峰は周囲の警官へ声を飛ばした。

「金属製のガードは当てにするな!」

「人員で囲え!」

「誘導は広い道を取る! 狭い通路へ押し込まれるな!」


だが、その広い道の手すりが、じわじわと赤く変わっていく。

消火栓の蓋の縁。

シャッターの下端。

照明柱のボルト。

目を離すたびに、錆びる場所が一つ増えている。


木崎は歩きながら、警官たちの列を見ていた。


制服の群れ。

無線。

制帽。

反射ベスト。

誰か一人を選びきれない。

でも、その群れ全体が少しずつこちらへ寄ってくる感じだけはある。


急いではいない。

走ってもいない。

それなのに、確実に近い。


背後にいるのか。

前に回ったのか。

それとも、もう横にいるのか。


分からないことそのものが、恐怖になっていた。


その時、木崎のすぐ横を通った警官の手に持たれた誘導灯の金属リングが、ぱき、と小さく割れた。


誰もぶつかっていない。

ただ、歩いていただけだ。


警官本人が驚いて足を止める。

木崎は反射的にその顔を見た。


普通だ。

疲れた現場の顔。

少なくとも、決定打はない。


「……くそ」


木崎が低く吐く。


見えない。

見えないまま、周囲の金属だけが順番に死んでいく。




【現実世界・湾岸方面/サービス導線を進む対策班・未明】


日下部は歩きながら、半ば自分に言い聞かせるように呟いた。


「中枢ログは読める……まだ読める」

「止まったらだめだ。

今止まったら、向こうの方が早くなる」


佐伯が、その横で小さく頷く。

「読めるところだけでも拾っていこう」

「今は全部じゃなくていい」


村瀬も息を整えながら続ける。

「順番の骨だけでも見えれば、あとで繋げられる」


木崎はその会話を聞いて、ほんの少しだけ口元を動かした。


怖い。

だが、こっちももうただ逃げるだけではない。

読んで、持って、繋ぐ側に立っている。


「日下部」

木崎が言う。


「はい」


「読め。

見えない敵は俺たちが気にする」


日下部は一瞬だけ顔を上げ、それから短く頷いた。

「……はい」


城ヶ峰が前を見たまま言う。

「このまま二百メートル先の臨時保管棟まで抜ける」

「そこも金属が多ければすぐ捨てる。

長居はしない」


その時、イヤホンにざり、とノイズが入った。

現場班との連絡だ。


『こちら外周――規制線の警官配置、少しずつ前に詰めてます』

『でも誰が怪しいかは……まだ切れません』


城ヶ峰が答える。

「切れなくていい。

今は“紛れている”前提で動け」


『了解』


木崎は、そのやり取りを聞きながら外を見た。


薄明るくなり始めた空の下。

警官たちが動く。

人影が交差する。

その中のどれかが敵で、

あるいは、どれか一人ではなく、その“流れ方”そのものが敵なのかもしれない。


そう思わせるくらい、正体不明の気配は自然に現場へ溶け込んでいた。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/校舎内・未明】


イヤーカフの向こうで、ノノの声が小さく入る。


『現実側、移動継続』

『警官に紛れた正体不明が導線を削ってる』

『中枢ログはまだ無事』


ハレルは、校舎の窓際でその声を聞いていた。

体育館では、ダミエが引き続きレアを抑えている。

リオとサキは、さっき聞き出した内容を紙へ整理しているところだ。


「……向こうも始まったか」

ハレルが言う。


『うん』

ノノが答える。

『こっちはまだ名前も顔も切れてない。

でも、確実に迫ってる』


ハレルは窓の外の薄い空を見た。

現実側でも、異世界側でも、敵はまだ全身を見せていない。

なのに、もう十分近い。


『そっちはレアの続きをいつやる?』

ノノが聞く。


「少し整理してからだ」

ハレルが答える。

「今聞いたことを、向こうのログと合わせたい」


『分かった。

じゃあこっちも持たせる』


通信がいったん落ち着く。


ハレルは胸元の主鍵へ触れた。

熱はまだある。

細い。

だが、確かに道の熱だ。


その道を、向こうはもう折りに来ている。


◆ ◆ ◆


現実側では、見えない敵が警官たちの中に紛れたまま迫っていた。

異世界側では、聞き出した断片が次の手順へ繋がろうとしている。


帰還のための設計は、読み進んでいる。

だが、その導線はもう静かに錆び始めていた。


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