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第1話 寄生コーチと呼ばれた男


「アンタの育成論は、ただの寄生だろう」

大手クラン「玄武」本部、最上階の会議室。磨き上げられた長机の向こうで、会長・戸隠厳はそう言い切った。

五十五歳。現役時代はA級アタッカーとして名を馳せ、引退後は業界最大手クランを一代で築いた男。その声には、もう決まったことだけが持つ平坦さがあった。

「剣条玲。氷堂澪。獅子王丸。夜鴉。白瀬こころ。――S級探索者五人。確かに柊さん、アンタは全員の専属コーチだった。それは認める」

「どうも」

「だが、最後の一人が独立して、二年になる。五人、全員だ。アンタの手元には、もう誰も残っていない」

戸隠は太い指で机を一度叩いた。

「考えてもみろ。S級になるような才能は、放っておいてもS級になる。アンタはその横に立って、育てたような顔をしていただけだ。……寄生だよ、柊さん。才能への寄生だ」

机の上を、一枚の紙がすべってくる。契約解除通知。署名欄には、押す場所を間違えないようにと親切に付箋まで貼ってあった。

反論の材料なら、ある。

玲の踏み込みの初動を〇・二秒削るのに費やした三年。澪の詠唱の呼吸を作り直した千四百時間。丸の「硬さ」を支える足裏の荷重配分。夜鴉の暗順応の訓練手順。こころの治癒範囲を倍にした視線誘導。全部、俺のノートに残っている。

だが――証明はできない。

育成という仕事の成果は、完成した瞬間に本人のものになる。玲の速さは玲のもので、澪の魔法は澪のものだ。当たり前のことで、そうあるべきで、俺もそう望んで育てた。

つまり、育てた証拠は、卒業した瞬間に消える。

そういう仕事を、俺は八年──ノートの積み上げから数えれば、二十年やってきた。

「……ま、そうですね」

俺は通知を二つ折りにして、上着の内ポケットにしまった。

「五人とも、もう俺がいなくても死にません。だったら俺の仕事は終わりです。――長い間、お世話になりました」

頭を下げて、会議室を出る。戸隠が一瞬、拍子抜けした顔をしたのが見えた。泣くか喚くかすると思っていたんだろう。

四十二にもなって、そんな体力は残ってない。

エレベーターを降りると、受付の新人の子が「柊さん、おつかれさまです」と笑った。明日からここに来ない人間だと、彼女はまだ知らない。

「うん、おつかれさま」

玄武本部のビルを出る。六月の夕方の空は、嫌味なくらい晴れていた。

家賃五万八千円、築三十二年のアパート。六畳の部屋の壁際には、段ボール箱が四つ積んである。

中身は、ノートだ。百冊と少し。

表紙にはそれぞれ日付と名前が書いてある。「剣条玲・足運び」「氷堂澪・呼吸」「獅子王丸・荷重」――そして一番古い箱の底には、名前のないノートが数十冊。あれは俺自身の現役時代のものだ。

俺、柊慎一の探索者としての評価は、生涯B級だった。

二十二歳で頭打ちが来た。反射が遅い。魔力量が平均。身体の出力が凡庸。ダンジョンという理不尽の前では、努力は才能の代わりにならなかった。

ただ、一つだけ人より長くやれたことがある。

観察と、言語化だ。

強い奴が「なんとなく」でやっている動きを、見て、分解して、言葉に直す。なぜその足の置き方だと死なないのか。なぜその呼吸だと魔力が漏れないのか。「センス」と呼ばれて誰も説明しなかったものに、片っ端から名前を付けていった。

自分を強くするには間に合わなかった。けれど三十四の年、現役を退いてコーチ業に回った俺のところに、行き場のない十七歳の剣士見習いが流れてきた。

――それが玲だ。あいつに最初に叩き込んだのも、誰も教えてくれない「ただの基礎」だった。

以来八年。五人育てて、五人卒業して、今日、俺の仕事は世界から要らなくなった。

「……さて」

湿気た六畳間で、いつまでも箱を眺めていても仕方ない。

俺は先週、衝動買いしたまま放置していたものを引っ張り出した。中古の配信機材一式、三万円。リサイクルショップの店員に「配信、始めるんですか」と聞かれて「暇つぶしに」と答えたやつだ。

冗談のつもりだった。でも、考えてみれば。

二十年分のノートの中身は、S級専用じゃない。むしろ逆だ。俺が言葉にしてきたのは全部、「才能がなくても死なないための基礎」だった。誰よりも才能がなかった俺自身のための言葉だ。

それを今、一番必要としているのは――どこの誰かも知らない、初心者たちだろう。

ケーブルを挿す。安いマイクを立てる。カメラの確認画面に、くたびれた眼鏡の中年が映った。我ながら、見事に華のない画である。配信サイトのアカウント名は、少し迷って「シン」にした。本名でやる度胸はない。

チャンネル名、『シンさんの初心者ダンジョン講座』。

配信開始ボタンの上で、指が少しだけ止まった。

「……まあ、誰も見ないか」

押す。

画面の隅、視聴者数の表示――【0】。

だろうな、と笑って、俺は誰もいないコメント欄に向けて口を開いた。不思議と、声は穏やかに出た。

「こんばんは。初心者向けにダンジョン攻略の講座をやります、シンといいます。元・育成コーチです。……元、です」

誰も笑わない。当たり前だ。誰もいない。

「最初に、この講座でやることを一つだけ宣言しておきます。――探索者の死亡事故の九割は、四層より浅い場所で起きてます。三層までで、ほとんどの人が死ぬ」

統計の話じゃない。二十年、業界の隅で死亡報告書を読み続けてきた人間の実感だ。

「で、世間はそれを『才能がなかった』で片付ける。けど、俺の見てきた限り、違います。死んだ人の動きには、ほぼ必ず同じ欠落がある。――基礎が、誰にも言葉で教えられてないんです」

感覚でできる奴は教えられない。できない奴は言葉を持たない。だからこの業界の「基礎」は、ずっと空洞のままだ。

「この講座では、その基礎だけをやります。派手な技も、最強装備の話もしません。地味です。多分、びっくりするほど地味です。――でも、死ななくなる」

視聴者数【0】。コメント欄、無音。

それでも俺は、ノートの一冊目を開いた。二十年前の俺が、死なないために書いた一行目。

「第一回。『装備より先に、立ち方の話をさせてください』」

誰もいない教室で、人類の攻略常識を書き換えることになる講座は――こうして、静かに始まった。

配信三日目の朝だった。

アーカイブの再生数は二桁にも届かず、俺は今日も米を炊き、ノートをめくり、夜の配信の準備をする。実に健全な無職生活である。

その夜。いつものように配信開始ボタンを押して、俺は視聴者数の表示に目を疑った。

【1】。

「……お」

初めての、生きた視聴者。思わず姿勢を正してから、その表示名に目をやって、俺は手を止めた。

見覚えがある名前だった。昇格試験に四回連続で落ち、業界中が「もう辞めたほうがいい」と笑い話にする――落ちこぼれで有名な、E級探索者の名前だった。


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