014 雪花病 2
「どうしたんだい? やっぱり何か悪いところがあるのかな」
不安そうなローエンに尋ねられ、フェイはゆっくり頷いた。
銀貨大の斑点が出ている二本の木の幹を、コンコンと木槌で叩く。斑点に近づくにつれ、音が鈍くなっていった。鈍く響くような音は、木の中に異変が起きていることを示している。
「……この二本は、手遅れだと思います」
「なんだって……?」
ローエンが信じられないという表情になった。それもそうだろう。葉はまだ青々としていて、美味しそうな林檎も実っているのだ。
フェイは瞼を伏せ、木の幹にそっと触れた。精霊が宿るまでは遠く長い年月がかかる若木だが、それでも少しは伝わってくるものがある。ざわざわとした低いうめきのような、ほんの僅かな感覚。
(……苦しいよね)
どんなに優れた薬でも、医師でも、治せないものはある。
植物医も同じだ。初期ならなんとかできたけれど、この状態からではどうにもできない。
(……ごめん、治してあげられなくて)
「見てください」
フェイは幹の一部を虫眼鏡で拡大し、ローエンにも見てもらった。
「白い花のようなものがわかりますか?」
ローエンは目を細めて、顔を近づけたり引いたりする。
「うーん……よく見ると確かに、なんだかふわふわした花みたいなのが見えるね」
「これは菌糸──白花茸という茸です。白点は木の模様ではなくて、菌類が繁殖している部分なんです」
ローエンは深刻さを悟ったのか苦い顔になった。
「茸が生えているってことは……腐ってしまっているのか」
「はい。問題は、腐ったから茸が生えたのではなく、茸が生えたから腐ったということです。この茸は生木にも寄生して、木をどんどん腐らせていきます。菌糸の集まりが白い斑点として木の表面に見える状態を雪花病といって、対処がかなり難しい病変です」
なんてこった、とローエンはこめかみを押さえる。しかし、本当に恐ろしいのはこの先だ。
「それから……白花茸は胞子を飛ばし、周辺一帯に広がります」
「ええっ!?」
ローエンが息を飲んだ。
三種類の果樹がそれぞれ百本はあるという大きな果樹園だ。全体に広まったらと思うとぞっとする。
「今すぐにでも対処することをおすすめします。おそらく手遅れなのは、この二本。根本に近い幹の部分が空洞化しています。それから、こっちの三本は枝の部分なので、強剪定でなんとかなるかと」
「……オルドが認めるくらいだ。君の言うことはきっと正しいんだろうね」
一見元気そうな木を惜しそうにしばらく見てから、ローエンはフェイへと視線を向ける。
「できる限りの対処をお願いするよ。とりあえず、ノコギリを持ってこよう」
「いえ、木くずが舞うと良くないので、ノコギリは使わずに対処します」
「使わずにって、どうやって……?」
ローエンは困惑の表情を浮かべた。
「私は植物医ですが、魔法使いでもあるので……」
こうします、と言い、フェイは小声で呪文を唱えて枝をスパッと切り落とす。ローエンは驚きに目をみはった。
「魔法……! すごいなぁ、これじゃあ私の出る幕はなさそうだが、何かできることはあるかい?」
「では、なっている実を全部採ってもらえますか?」
「もちろんだとも」
果実自体は無事なのでもったいないし、枝を切るだけで済む三本は、実を大きく熟させることよりも治癒に生命力を使うべきだ。今季の収穫は諦めてもらうことになる。
ローエンがせっせと収穫を進める中、精霊魔法を使う際でもそれっぽく小声で呪文を唱えつつ、フェイは次々に枝を剪定していく。この時期の強剪定は木への負担が大きいのだが、今回ばかりはやむを得ない。少しでも兆候がありそうな枝は、ある程度余裕を持って切る必要がある。
三本の剪定を終えたら、次は伐採だ。
フェイはすぅっと息を深く吸って、木の幹に手のひらを当てた。
「氷結せよ」
一瞬にして木が凍結する。中の水分が凍って膨張したことで、パキッと表面が小さく割れた。もう一本も同じようにして、木の息吹を止める。
胞子の飛散を防ぐ目的もあるが、このあと燃やしてしまうため、木が生きたままだとフェイとしては忍びないのだ。
切り株を残すとそこからまた白花茸が生えてしまう可能性があるため、抜根までして木を完全に除去する。魔法で根が引き抜かれる様子を、ローエンは唖然とした顔で見ていた。間近で魔法を見る機会はこれまであまりなかったのかもしれない。
「ローエンさん、近くに広い空き地はありますか? 木を燃やすので、果樹からなるべく離れているところがいいです」
「わかった。案内するよ」
枝や木を風の結界で囲んでふわりと浮かせ、フェイはローエンについて歩いていく。
向かった先は、果樹からも森からも十分距離があるので問題なさそうだ。運んできた木を下ろし、フェイは水の精霊に力を借りて、枝木から水分を抜く。
(あの日、師匠がしてたみたいに……)
「目を閉じていてください。眩しくなります」
結界で周囲を広めに囲ったフェイは、強力な火の魔法を使い、高温で一気に木を燃やす。白く眩い光とともに、ゴォッと音を立てて木が燃え上がった。
「うおっ……!?」
結界は微細な胞子すらも阻むものだが、熱は伝わってくる。薄目を開けたローエンは、慄いたように数歩後ずさりをした。
「すごいもんだなぁ……。今後もし、またあの茸が生えたら、こうして燃やせばいいのかい?」
「いえ。白花茸は、こういう空き地に私の背丈くらい深い穴を掘って埋めてください。普通に燃やすと、熱に反応して胞子が大量に飛びます。胞子を飛ばす一瞬の隙さえ与えず一気に焼やし尽くすには魔法が必須になるので、難しいかと……」
「ははぁ、そりゃ確かに魔法なしじゃ無理だ」
なお、フェイは事前に木を乾燥させているのでよく燃えるし、念には念を入れて結界で囲っている。ここまですれば、飛散の危険性はほぼゼロになるのだ。
「このあとは、太い枝を切った部分に保護材を塗ります」
「それなら私も手伝えるかな」
「はい。刷毛があればぜひお願いします」
「よしきた」
ローエンが刷毛と容器を二つずつ持って戻る頃、火は完全に消えていた。あとには、炭化した木が残るだけとなっている。
「この炭は使わない方がいいものかね」
「いえ、使って大丈夫ですよ。白花茸は完全に死滅しているので」
「そうか。それはよかった」
植物としての命を終えた木だが、炭は肉や魚を焼くのはもちろん、土に混ぜ込めば、土壌を豊かにするためにも役立つ。
ここで何もかもが終わるわけではない。また次の生命へと繋がっていくのだ。
「……保護材、塗りに行きましょうか」
「おう!」
林檎畑へと戻った二人は、保護材を塗って回った。保護材は、蜜蝋と松の樹脂を基材とし、数種類の薬草を混ぜたフェイお手製のものだ。
温めるととろりと溶け、刷毛で木に塗るとすぐに冷えて固まる。これによって、水や雑菌から木を守り、断面から傷むことを防げる。細い枝は塗らなくても大丈夫だが、太い枝を切った部分には一つ一つ丁寧に塗り込んでいった。
「最後に防除薬も散布しましょう。このあたりの木には、胞子が付いている可能性があるので」
菌類に効果がある防除薬は、フェイが常備しているものの一つだ。ドロドロに濃縮してあるので、それを大量の水で薄めてから一帯に散布する。
じょうろで撒くと大量に必要になるが、魔法で霧のように細かい粒子にして撒けばかなりの節約が可能だ。
「これで、白花茸のような木を枯れさせる菌類の繁殖を防げます。初期なら枯らすこともできるので、あとの木は大丈夫です」
「おお……ありがとう。本当にありがとう」
ローエンは肩の力を抜いて、ほっとしたように笑みを浮かべた。それから、少しばかり申し訳なさそうに切り出す。
「忙しいとは思うんだが……できれば、他の木も一通り確認してもらえないかい?」
フェイはすぐに頷いた。
「構いません。他に急ぎの仕事はありませんから」
「助かるよ。広いもんで、数日はかかるだろう? よかったらうちに泊まっておくれ。このあたりに宿屋なんてないし、うちには客間があるから遠慮はいらないよ」
宿屋『風車』は、定宿として一週間単位で借り続けている。数日戻らなくても平気だし、毎日王都からここまで往復するのは大変なので、正直なところローエンの申し出はとてもありがたいものだ。
おまけに、遠目に見てもわかるほど立派な家なので、家主との距離感も相応にあるだろう。家主とずっとそばにいるのはかなり神経がすり減るが、ここなら客間で一人の時間も十分作れそうなので、精神的にも助かる。
「……では、ありがたく。そうさせてもらいます」




