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植物医フェイの診察録  作者: 春登あき
ノルドルン王国編

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001 旅立ち


 小鳥のさえずりと、小川のせせらぎ、風が草花を揺らす微かな音。

 ささやくような自然の音色が豊かに満ちた森の中に、一軒の小さな家がある。


 朝日が静かに屋根を照らす頃、小鳥たちの軽やかな歌声とともに目を覚ますのがフェイの日常だ。


「おはよう……」


 フェイは、寝起きの重いまぶたを擦りながら起き上がる。

 朝の挨拶に、返事はない。


 半ば無意識のうちに、フェイは家の中をぐるりと見回した。

 淡い金髪と、そこからぴょこんと飛び出る尖った耳輪(じりん)が特徴的な美丈夫の姿は、どこにもない。


「……いないんだった」


 わずかな落胆と寂しさとともにため息をつくのも、もはや日常だ。


 育て親で、師匠でもあるエルフのキーランがいなくなってから、もう三ヶ月になる。


 しかし、約十三年もの間ずっと二人で一緒に暮らしてきたのでなかなか一人暮らしに慣れることができない。ふとした時に「ねぇ、師匠」と虚空を振り返り話しかけてしまうし、朝は半分寝ぼけているからか、ほぼ毎日のように彼の姿を探してしまう。


 フェイは捨て子だ。

 キーランは、夜の森でうずくまっていたフェイを拾ってくれた恩人である。


 フェイのことを気遣ってくれていたのだろう。どこへ行くにも一緒で、一人にしないようにしてくれていた。だからなおさら、急に環境が変わって落ち着かない。


「今はどのあたりにいるんだろうな、師匠」


 ベッドから出て軽く毛布を整え、フェイは二人用の小さな食卓へ向かった。

 そこには、三ヶ月前の朝のまま、小さな書き置きの紙が置いてある。


『しばらく旅に出るね』


 内容はたったそれだけだ。


 突然のことで驚いたし、行き先くらい教えてくれたらいいのに、と思った。

 けれど、元来エルフは気まぐれだというし、行き先も決めない自由な旅に出たのだろう。


 ちなみに、フェイは半年ほど前に成人を迎えている。


 いつでもどこでもずっと一緒の子供扱いは卒業で、大人として認めてくれているということなのかもしれない。



 

 水で顔を洗ってから、フェイは外へ出た。

 そして、家のそばにあるシェルネの大樹にそっと触れる。


「おはよう」


 快晴で風もないが、葉っぱがさわさわと優しく応えるように揺れた。見上げると、枝葉の隙間で小さな足がぷらぷらと動いている。


 フェイはふっと微笑んだ。どうやらシェルネの精霊は、天気がいいのでご機嫌らしい。


「んー……っ!」


 思い切り伸びをして、森の朝の空気を胸いっぱいに吸い込むと、いよいよ新しい一日の始まりだ。


 フェイは(かご)を持ち、家の前の畑や木立の中から、早朝に採集するのが最適な薬草をどんどん摘み取っていった。

 種類ごとに綺麗にまとめるところまで済ませたら、家に戻って朝ごはんだ。


 パンと野菜と果物、それから塩漬け肉を少し焼く。香草を混ぜてあるので臭みはなく、爽やかで香ばしい匂いが漂った。


「塩漬け肉、買ってこなきゃ」


 今日の分で肉はおしまいだ。フェイはたまに狩りをするけれど、大型の動物を仕留めても一人では食べきれないので、基本的に必要な分だけを村で買っている。


 元々今日は薬草を(おろ)しに行くつもりだったので、ちょうどいい。


 朝食を終えたあと、フェイは採ったばかりの薬草と、干しておいた薬草を持って村へと向かった。



 フェイとキーランが暮らす家は、森の中にぽつんと佇んでいる。


 周辺に民家はなく、近くの村までは歩いて一時間ほどかかるが、自然豊かで湧き水や小川もあるため、生活には何も困らない。人とあまり関わらず静かに暮らせるので、フェイは森の小さな家がとても好きだった。


 木の実をつまみ食いしながら山道を下って行ったフェイは、村に着いて真っ先に、レオーネの薬屋へ向かう。


「……こんにちは」

「おお、フェイか」


 薬屋の主人であるレオーネは、フェイの姿を見ると微笑んだ。


「そろそろ来る頃だと思っていたよ。薬草を見せてくれ」

「はい」


 束にしてある薬草をどんどん渡していくと、彼は種類ごとに重さを計っては記帳していく。最後に算盤(そろばん)を弾き、代金を渡してくれた。


 今回分の量にしては、金額が少し多い気がする。フェイが少し不思議に思っていると、レオーネはいくつかの薬草を指さす。


「村じゃあこのあたりの薬草の出来が悪くてね。買取価格を上乗せして、あちこちからどうにか集めてるんだ。質がいいのをたんまり持ってきてくれて助かったよ」

「そう、だったんですか。じゃあ、近いうちにまた持ってきます」

「そいつは有難い」


 用件は済んだので店を出ようとすると「ああ、そうそう」とレオーネが声を上げる。


「待ってくれ、フェイ。お前さん宛に手紙が届いてるんだ」

「……手紙?」


 レオーネの机は、きちんと整頓されているけれど物は多い。ガサゴソと探し始めてからしばらくして、ようやく一通の手紙が差し出された。


 宛先は『レオーネの薬屋』だが、宛名はフェイ。そして、差出人にはキーランとある。


「師匠から……。あの、この手紙はどこから……?」

「王都から仕入れた荷物の中にあったら、王都だろうね。もしかすると、どこか別の場所から王都に届いて転送されてきたのかもしれないが」

「そうですか……。ありがとうございます」


 店を出て早速、フェイは封筒を開ける。

 便箋には、キーランの流れるように美しい筆跡が綴られていた。



 『フェイへ。

 

 元気にしているかな。わたしは変わりないよ。

 朝、君の声で起こされないのが、なんだか不思議で少しばかり落ち着かないけれどね。


 フェイは一人で寂しくないかい?


 人と話したくなったら、村に降りて、レオーネに薬のことを教わるといい。

 彼は薬のこととなると饒舌(じょうぜつ)だし、面倒見がいいからね。きっと充実した時間を過ごせる。


 わたしはあれからのんびり旅を続けているよ。

 行く先々でいろんな景色を見て、その地のものを食べて、また歩く日々だ。


 時々馬車に乗ることもあるけど、揺れを考えると、時間がかかっても歩く方が性に合っていてね。

 フェイは馬車でも平気な顔をしていたことを思い出して、すごいなぁと心底思ったよ。


 さて、ほとんど歩きということもあって、今回の旅はとても長いものになりそうだ。


 だから、こうしてきみに手紙を書くことにした。


 フェイ、きみはもう立派な大人で、一人前の植物医だ。わたしが保証する。


 きみはわたしの庇護下でなくてもちゃんと生きていける。物覚えがよくてとびきり優しい、素晴らしい子だよ。自信を持っておくれ。


 わたしの帰りを待たなくていいからね。


 きみにも、行ってみたい場所や見てみたい景色、調べたい植物、興味をそそられるいろんなものがあるだろう。


 わたしを待つことに、貴重で尊いきみの人生を費やさないでほしいんだ。

 きみの好きな場所で、自由に、元気に、きみらしく生きてほしい。


 それがわたしの願いだよ。



 それじゃあ、またね。


 きみを世界一大切に思っているキーランより、愛を込めて』




「……師匠らしい」


 穏やかで、どこか飄々としている文面は実にキーランらしいものだ。しかし同時に、なんだか引っかかりを覚えてしまう。


 仮にフェイも旅に出た場合、今回と同じような手段で手紙を届けることは難しくなる。


 フェイがレオーネに行き先を告げておけば、また手紙が届いた時に転送してもらえるかもしれない。だが、経由地が増え、輸送距離が長くなるほどに不確実性は高まる。


 まともに連絡が取れなくなれば──会えなくなる。


 前触れもなく突然旅に出てから数ヶ月で帰って来るのでもなく、長旅になりそうだから、きみも好き生きなさいだなんて。これまで、十三年もずっと一緒だったのに、急にどうして。


 とはいえ、彼はエルフで、人間のフェイに比べたらずっと長生きだ。


 彼が『長旅』と言うくらいだから、一年や二年ではないのだと思う。

 少なくとも五年、十年単位で考えるべきだろう。


 フェイは十八歳。これからの十年は、体力も気力も十分にあり、人間が何かに没頭するには最適な――人生の中でも特に貴重な十年だ。それを待ちぼうけで無為に過ごさせるのは、師としては看過できないのだろう。


 フェイが十年くらい各地を放浪してから森の家にふらっと帰ったら、以前と何も変わらない様子で「おかえり、フェイ」と出迎えてくれる気もする。


(だけど……すっきりしない)

 



 フェイは結局塩漬け肉を買わずに、考え事をしながら家へと戻った。


 食卓の上にある書き置きの隣に、今日受け取った手紙を並べる。


(なんだろう……何かが引っかかる。間違いなく師匠からの手紙で、師匠らしいのに……なんだか、らしくなさもあるというか。それを言うなら、この旅そのものがそうなんだけど)


 思えば、突然短い書き置きだけ残していなくなったことにも違和感があった。それに気づかないふりをしていただけで。ずっと、心の奥底にモヤモヤが沈んでいたのだ。


 キーランは優しくて、ちょっぴり心配性なくらいだった。


 旅に出ることについて事前にフェイに一言の相談もなく、行き先についてもまったく触れずに、夜のうちにひっそり発つなんてなんだかおかしい。


 フェイが知るキーランなら、「三ヶ月くらいで戻るよ。わたしがいない間もちゃんとごはんを食べるんだよ。お金はこことここに隠してあるからね。結界があるけど、戸締りもきちんとして。ああ、それから……」と、延々と、それこそ一週間くらいかけて繰り返し注意事項を伝えてきそうだ。


 そして終いには「うーん、やっぱり心配だ。旅はやめにしよう。それか、フェイも一緒に行く?」なんて話になりかねない。


 明確な違和感を持って手紙を見ると、もう一つ気になることがあった。


 最初の書き置きにも、今回の手紙にも、地名が一切出てこないのだ。


 行き先を特に決めていない気まぐれな旅なのだろうと、書き置きの段階では気にしていなかった。


 しかし、旅の途中に書かれたであろう手紙にも、地名はおろか、立ち寄った場所を示すような描写すらない。


(長い旅って書いてあるけど……師匠、戻る気あるのかな。もう……戻らないつもりなのかな)


 そう考えただけで、胸の奥がズキッと痛んだ。

 はぁー……と長く息を吐き出し、フェイは机に突っ伏す。


 「また、一人になっちゃったな」


 寂しくてつい、自嘲的な言葉が漏れる。けれど、『また捨てられた』とは思わなかった。それだけの期間、疑いようのない愛情を注がれていたから。


(師匠がいきなりいなくなったのは、きっと、そうする必要があったからだ)


 のろのろと顔を上げたフェイは、改めて二つの紙を見る。


 キーランのことなので、嘘は書いていないだろう。しかし、書かれていない何かがある。そんな気がする。


「……何を隠してるの? 師匠……」


 手紙にそっと触れるけれど、ただの紙からは何も伝わってこない。


 静まり返った家の中で、フェイはしばらくの間じっと、手紙を見つめていた。




 ――翌日。


 夜明けが間近に迫るまだ薄暗い時間に、フェイは荷物の最終確認をしていた。


 絶対に欠かせない仕事道具は肩掛け鞄に入れ、日用品や着替え、よく使う薬など必要最低限の荷物は背嚢(リュック)に詰め込んでいく。


 用心のために、金貨は肌着に小さな袋を縫い付けて、その中に一枚ずつ入れて隠した。全部で三枚。いざという時のためのへそくりだ。


 路銀用として、銀貨と銅貨もいくつかの袋に分けて鞄に仕舞ってある。ある程度の長旅にも耐えうる額だ。


 可能なら、薬を作るための薬研やすり鉢も持っていきたいところだが、嵩張(かさば)るし重いので置いていく。


「これでよし」


 背嚢を背負い、鞄を肩から斜めにかける。薬草が入った籠も持つと、フェイは家を出た。


 キーラン特製の魔力錠をかけているうちに、山肌から顔を出した太陽がシェルネの木を照らし始める。

 フェイはいつも通り、大樹の幹に触れて話しかけた。


「おはよう。しばらく旅に出るよ。留守の間、お願いね」


 抗議するように、葉っぱがざわりと揺れる。


「必ず戻るから。それまで、この家を見守っていてほしい」


 長い静寂のあと、フェイの前に黄色い花びらがひらりと舞った。見上げると、季節外れのシェルネの花がいくつも咲いている。


「……ありがとう」


 それから、フェイはキーランに教わった通り、水晶を触媒にした結界を張った。


 これで、このあたりに誰かが近づいたとしても、家を視認することはできなくなる。もちろん、キーランならば難なく突破できるものなので問題はない。


「行ってきます!」


 どこからともなく柔らかな風が吹き、シェルネの花が舞い散る。

 フェイは美しい餞別の景色を目に焼き付け、慣れ親しんだ森の家をあとにした。 




お久しぶりの新連載です。

派手で劇的な展開はありませんが、穏やかにゆっくりと、ここではないどこか遠くの世界を旅するフェイのお話をのんびり楽しんでいただけると嬉しいです。


しばらく毎日更新します。

どうぞよろしくお願いします!

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