第百十八話
「三番、セカンド―――九衞君」
ウグイス嬢のアナウンスが流れる。
戸枝の額に汗が僅かに流れる。
中野監督が九衞にサインを出す。
(へぇ、一球目から必ずそれか―――大胆だな。んで、後は好きに打てか―――)
九衞が一塁の紫崎を見る。
紫崎がすぐに顔を逸らす。
それを見て何かを理解したのか、九衞がフッと笑う。
九衞が捕手に挨拶する。
「……よろしく」
捕手が顔を見ずに無視する。
(へぇ、思ったより効いてるみたいだな。なら監督の言うようにあれが出来るか)
九衞がバットを構える。
「―――プレイ!」
審判が宣言する。
(こいつが九衞か、中学野球界で噂になったとは言え、ここは高校野球。どれほどか見せてもらおうか)
捕手がサインを出す。
戸枝が頷き、投球モーションに入る。
指先からボールが離れる瞬間―――後ろの紫崎が二塁に走り出す。
捕手がハッとするが、九衞はバットをスイングして視界を隠す。
中野監督のサインを見た九衞が紫崎に目で盗塁を指示したのだった。
外角高めのボール球がスイングによりアウトになる。
「―――ストライク!」
球審が宣言する。
ボールを掴んだ捕手が二塁に投げ込む。
「っ!? 盗塁か!?」
気づいた戸枝が飛んでいくボールを避ける。
紫崎が二塁付近でスライディングする。
塁を踏んだセカンドにボールが渡る瞬間―――。。
スパイクの先端が二塁の角に触れる。
「―――セーフ!」
捕球した後に塁審が宣言する。
「フッ、あらかじめバレにくいようにリードを取っておいて正解だったな」
紫崎の盗塁は成功した。
「こんな序盤で―――!」
声をあげた戸枝が唖然とする。
スコアボードに112キロの球速が表示される。
ベンチの中野監督が肩の力を少し抜く。
(私のサインどうりになったな―――試合序盤で、まだどちらのチームも試合の主導権を握っていないとすれば、せっかく出たランナーが盗塁死し、相手が勢いづいてしまうことを恐れる。よってリスクのある盗塁は控える傾向が強い)
「セットポジションとは言えアンダースロー相手に盗塁成功しましたね。普通ならまず成功しない場面ですよ?」
古川がスコアブックを書きながら話す。
中野監督が冷静に答える。
「今回だけは投手が焦っている状態だからな。戦略の裏をかいた。おまけにキャッチャーの肩もそれほど強くは無いようだ」
「―――みたいですね。捕手の返球速度が少し遅いのが幸いしましたね。データ通りです」
書き終えた古川がペンを置いて、座りながら伸びをする。
戸枝はセカンドから返球されたボールを力を入れて握る。
高鳴る心臓を鳴らしながら、熱い息を吐く。
(俺のアンダースローに一回目から対策してきやがったか。構わねぇ―――三打者を抑えるだけだ)
見ていた九衞がバットを構え直して、ニヤリと笑う。
(落ち着け。まだこの打者に打たれていないんだ。捕手の先輩だって解っているはず―――)
捕手がサインを出す。
戸枝が頷く。
ワインドアップから投球モーションに入る。
指先からボールが離れる。
外角やや中央にボールが飛ぶ。
九衞がバットを振る。
ボールが打者手前で左に曲がりながら落ちていく。
(甘いな。そのシンカーは練習中にマネージャーで慣れてんだよ!)
バットの軸にボールが当たる。
カキンッと言う金属音でボールがファーストの頭上を越える。
ランナーとバットを投げた打者が走る。
ボールはライトより右方向に飛んでいき、ファール線の手前でバウンドする。
フェアになる。
ボールの方向に振り向いた戸枝が驚く。
(こいつ、ハインや紫崎と同じくらい、いやそれ以上かもしれない。かなり出来る!)
ライトがボールを捕って、一塁に返球する。
その時にハインがホームベースを踏む。
大森高校に一点が入る。




