10
「――エヴァン、あいつを追いなさい!」
背中の上で、リリアンが鋭く命じる。
「御意」
低く応え、狼は地を蹴る。
闇の中へ。
細い通路を駆け抜ける。
石壁を削るように風が走る。
「お怪我は」
走りながらの声。
「問題ないわ」
短い返答。
「かすり傷よ。それより――」
「ええ」
間を置かずに続ける。
「調査で判明したことを」
速度は落ちない。
「カイル・エルシオンが赴任して以降、学園の資金は急速に回復」
「……やっぱり」
「寄付金の増加。出所は不明」
「礼拝堂」
「彼の設計、主導による建設です」
リリアンの目が細くなる。
「……エルシオン家」
「はい」
「宗教を司る名家」
風が強くなる。
出口が近い。
「……すべて繋がったわね」
次の瞬間、視界が開けるとそこは森だった。
冷たい空気。
月明かり。
その先に――
「……いた」
黒い影。
息を切らしながら走る背中。
「カイル・エルシオン」
狼が止まる。
リリアンが軽やかに地面へ降りた。
「そこまでよ」
振り返るカイル。
「……やれやれ」
肩をすくめる。
「追ってきたか」
「あなたの悪事は、すでに明らかになっているわ」
静かな声。
だが、逃げ場はない。
「教育を語りながら、子供の命を生贄にするなんて」
一歩、踏み出す。
「そんな人間に、教師を名乗る資格はない」
カイルは口元を歪める。
「……厳しいな」
「学園の経済難に目をつけた」
リリアンは続ける。
「それを打破するために、貴族の信仰心を利用した」
「エルシオン家主催の“ミサ”」
「その肩書きだけで、人は集まる」
一歩ずつ、距離を詰める。
「さらに黒魔術」
「“願いが叶う”――その餌で、寄付金という名の参加料を搾り取った」
沈黙。
「そして」
視線が鋭くなる。
「優秀で、従順な子供たちを選んだ」
カイルの目がわずかに揺れる。
「洗脳」
「あなたを慕うよう仕向け、自ら従わせた」
「だから痕跡がなかった」
そのとき。
後ろから足音。
いつのまにか人の姿に戻ったエヴァンが現れる。
「彼らは抵抗しなかった」
冷たい声。
「“信じていた”からだ」
一歩、前へ。
「あなたを」
静かな怒りが滲む。
「……人間のクズですね」
空気が張り詰める。
カイルは数秒、黙っていたが――
やがて、笑った。
「……はは」
肩が揺れる。
「ははははは!」
森に響く高笑い。
「見事だ。すべてお見通しというわけか」
笑いながら顔を上げる。
その目は、狂っていた。
「だがな」
声が低くなる。
「仕方がないだろう?」
「……何が」
リリアンの声が冷える。
「教育には金がいる!」
叫び。
「知識はただじゃない!」
「理想だけで回るほど、世界は甘くないんだよ!」
一歩、踏み出す。
「誰かが払わなきゃならない!」
「そのために学校という教育現場で子どもを選んだのね」
即答。
カイルの笑みが歪む。
「……効率的だろう?」
「しかも私は“殺していない”」
にやりと笑う。
「子供たちが、自ら――ね?」
沈黙。
風が止む。
リリアンがゆっくりと口を開く。
「……そう」
一歩、前へ。
「なら、なおさら最悪ね」
視線が突き刺さる。
「自分の手も汚さず、子供に傷を負わせるなんて」
静かに告げる。
「あなたに教育を語る資格なんて、最初からなかったのよ」
カイルの表情が崩れる。
「……黙れ」
低い声。
次の瞬間。
踵を返す。
「逃がすと思う?」
「エヴァン」
「御意」
地を蹴る音。
一瞬で距離が詰まる。
狼の姿へ変わる。
「――っ!?」
カイルが振り返る。
間に合わない。
ガブッ
鈍い音。
「ぎゃあああああ!!」
足に牙が食い込む。
倒れ込むカイル。
「離せ!!離せええ!!」
暴れる。
だが、逃げられない。
血が地面に落ちる。
リリアンが歩み寄る。
「……子供たちは、もっと痛かったはずよ」
見下ろす。
その目に、情はない。
「あなたには、きちんと罪を償ってもらう」
静かに。
確実に。
「すべて」
森に、風が戻る。




