第01話:調書が届いた夜に
未必の故意、という言葉がある。
たしか、姉様の部屋から勝手に持ち出した本に書いてあった。ミステリー仕立ての法律読本みたいな本で、難しい言葉が並んでいたわりに、その一節だけはやけに頭に残っていた。
結果を「そうなれ」と望んではいない。
けれど、その結果が起きることを認めている。あるいは、起きても構わないと思って行動している。そうした心のあり方を、法は「未必の故意」と呼ぶらしい。
あの結果を起こしてやろうと意図する「確定的故意」とは違う。
それでも、結果が起きたあとでは「認容していた」とみなされることがある。
なにかの抜け穴みたいだ、と思った。本人は「そんなつもりではなかった」と言う。だが、記録や証言が積み重なれば、第三者の目には「そうなることを許していた」と映る。
世の出来事の多くは、誰か一人の悪意だけで動いているわけではない。多くの人が、それぞれの都合や打算で、ある結果を「まあ、そうなっても仕方ない」と認めながら動く。
その積み重ねが、ある日、一人の転落という形で現れる。
それがどんな事件だったか、俺は卒業式で見ていた。
◇
私はヴァランシエンヌ辺境伯領の当主であり、あの令嬢の父親である。
事件の「裏側」を記した調書の束が、今、私の書斎の机の上にある。
娘が王都で何を言い、何をされたかは、手紙と使者の報告で把握していた。ただ、事件のあと王家がどんな取り調べをして、どんな証言が残ったかは、推測の域を出なかった。
王立学園の卒業式。
王太子が壇上で、婚約者である娘のリリアーヌへの婚約破棄と国外追放を宣言した。隣には子爵家の令嬢ミレーヌを据え、「真実の愛」を語る。
それに対し、娘は反論の機会を得て、いじめの嫌疑をスケジュールと記録で論破した。
王妃や宰相・法相の言葉を引きながら、追放の「コスト」と法秩序の観点から王太子を追い詰めた。
王太子が拳を振り下ろし、娘の頬に当たった。その直後に国王が介入し、事件は決着した。娘はその場で意識を失い、王宮の医師の手当てを受けた。
数日後に回復し、やがて領地へ戻ってきた。
その後、婚約は正式に破棄され、娘は望む形で自由を手にし、王太子は廃嫡の上で謹慎、ミレーヌ側にも処分が下った。辺境伯家には、国王から謝罪と賠償、そして娘の将来の自由を約束する親書が届いていた。
娘の行動に恥じる点はないと信じている。
それでも、この国が娘をどう記録したのか、周囲がどう証言したのかを、自分の目で確かめたかった。
そこで王家に、調書の閲覧を要請した。
返答は遅れたが、やがて「極秘文書として、写しを送付する」との通知が届き、今日の夕刻、封のされた箱が領地に届いた。
開封は私一人で行った。
中には、綴じられた書類の束がいくつか入っている。
ずっしり重い。王都の誰かがこれをまとめたのかと思うと、あの事件がどれほどきちんと扱われたか、ありがたくもあり、少々面倒な気もする。
夜食を取ったあと、私は書斎に戻り、明かりを灯して、束の表紙を開いた。
まず目に入ったのは、調書の一覧だった。
王家に派遣されていた家庭教師、マダム・ローランの調書。
宰相閣下の聴取記録。
法相の見解を記した文書。
そのうえ、卒業式の場に居合わせた複数の貴族たちの証言が、短い報告として並んでいる。
いろいろな貴族の調書があるのか。宰相のものまである。
娘に有利か不利かは、読んでみないとわからないが、少なくとも、あの場にいた連中の言葉が、何らかの形で記録されているらしい。
一覧を追いながら、私はふと気づいた。
王妃陛下の御発言は、記録には残っていないようだ。
壇上ではっきりと、息子である王太子を「放縦」「怠惰」と断じた。
あの言葉は、この国の誰もが知っている。だが、調書の一覧には、王妃の証言として残された文書の名は見当たらない。
王族の言葉は、臣下の取り調べとは別扱いなのだろう。あるいは、あの場で言い放った以上、わざわざ記録に残さない方針なのか。
いずれにせよ、王妃の「本心」を、この束のなかから読み取ることはできない。
それでよい。
親が子をどう思っているかまで、調書で暴く必要はない。
私は一覧を閉じ、最初の綴り——マダム・ローランの調書——を手に取った。
深夜の書斎に、頁をめくる音だけが響く。
あの事件が記録の上でどう再現されているかを読む。娘がどれだけやかましく反論したか、こちらはもう知っている。
問題は、周囲がどう証言したかだ。
私は最初の一枚をめくった。
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