129 弱気なアルト会長
ちょっと短いです。
アルト会長に追いつきました。サラナ・キンジェです。ごきげんよう。
あれからアルト会長を追いかけて、呼びかけてもなかなか立ち止まってくださらなくて。ちょっと本気を出して走って、ぜえぜえしながら追いついて、アルト会長の手を取ると、ようやくハッとしたように、こちらに気付いてくれました。これだけでも、アルト会長らしくないのが分かるわ。全方向に気遣いの塊なのが、アルト会長だもの。
「……サラナ様」
くっ。子犬が。耳を垂れて目をうるうるさせて、全身でしょんぼりしている子犬会長が、私の中の何かを直撃しているわ。ぐぅぅぅ。可愛いぃ。頬っぺたとか撫でて触りたくなるぅ。駄目よサラナ。我慢しなくちゃ。私、淑女ですもの。
そのまま、しおしおとしたアルト会長を小さめの応接室に連れて来て。は、はしたないかなと思いましたけど、向かいの席ではなく、隣に座りました。逃げられると困るので、手は繋いだままだ。
侍女さんたちは神業のような速さでお茶のセットを準備して、全員、護衛も含めて部屋から退室していく。え。婚約寸前とはいえ、未婚の男女を2人きりにして大丈夫ですか? ああ、ドアはすっごく細めにだけど空いているから『2人っきりとはいえ密室ではありません』という体裁は整えているんですね。指一本分しか開いていないけど、無問題と。
暫し言葉もなく寄添って座っていましたが。うう。沈黙が重い。何を言えばいいのか分からないわ。私が凄腕カウンセラー並みに、話を聞き出すのが上手だったらよかったのに。いやいや、カウンセラーは傾聴が基本だったわ。相手が話したいと思う時までじっくり待たなくてはいけないのよね。ということは、私が今すべきことは、アルト会長が話してくれるまで待つ事。大事なのは忍耐よ。
なんて分かってはいるのだけど、待つって結構大変。アルト会長の顔を見たら、ついつい『何があったの?』『どうしたの?』と聞いてしまいたくなる。彼の気持ちを尊重して、うっかり問い質さないように、私はアルト会長の辛そうなお顔から目をそらし……。ふと、私の手と繋がっている彼の手が目に入った。
お祖父様や伯父様のごつごつした分厚いグローブみたいな手とは違う、でも私よりは大きくて筋張った手。
爪は短く切り揃えられていて、清潔感がある。剣ダコではなく、ペンダコがあるのがアルト会長らしいわ。剣ダコもペンダコも、仕事は違えど、どちらも頑張っている証なのよね。
こうして手に現れるぐらい、アルト会長は努力してきたのだ。私はこの手にいつも、支えてもらっていた。アルト会長がそばに居てくれるだけで、無条件に安心してしまうぐらい頼りにしている。今では、隣にいる時に手を繋いでいないと、ちょっと違和感を感じてしまうぐらい、この手に触れる事が、当たり前になっていて。
アルト会長も、そんな風に感じてくれているかしら。私が側にいて、心強いとか、安心できるとか、思ってもらえたらいいのに。私だって、アルト会長のことを、全力で支えたいと思っているのだから。
でもねぇ。アルト会長は私のことを、危なっかしいと思っている気がするのよねぇ。中身はアラなんとかだけど、実年齢は歳下だし。色々と、ええ、それはもう色々と、無茶振りをして迷惑をかけてばかりだし。
あうぅ。思い返したら反省しか出てこないわ。こんな仕事ばっかり吹っ掛ける女、恋人としてどうなのよ。こんなんじゃ、頼りにされるわけないのに。うぇーん、でも心配なのよぅ。頼って、アルト会長!
「サラナ様……」
アルト会長の妙に静かな声に、私はハッとする。いけない、考え込んでいて、肝心なアルト会長を放置していたわ。慰めの言葉一つ言えずに黙って座っているだけなんて、なんて役立たずなのかしら。
呆れられてしまったのかと、そうっとアルト会長を見上げると。あれ、思っていた表情と違う。耳まで真っ赤。どうしたのかしら。この顔は、なにか、恥ずかしがっている?
「あの、その、そんなに触られると……」
アルト会長がチラリと視線を下に向ける。釣られて私も視線を向ければ。
あ。どうやら私、無意識にアルト会長の手を撫で回していたようだわ。いつの間にか両手でアルト会長の手を包み込んで、なでなでもみもみ。おおぅ。なんてこと。淑女にあるまじき手の動きだわ。
「す、すみませんっ。つい」
違うんです。無意識だったんです! アルト会長の手に触れていると気持ちいいからとか、そんな邪まな気持ちは少ししか抱いていません!
大変だわ。人気の少ない小部屋に連れ込んで、意気消沈している相手に付け込み、相手が抵抗しないことをいいことに、手を撫で回すだなんて。お巡りさん、不審者は私です。捕まえてー!
「ふふっ。……はははっ」
混乱のあまり脳内で自首する私に、アルト会長が吹き出す。強張っていた表情が解れて。あ、いつものアルト会長だわ。片手で顔を隠して、見たことないぐらい笑っているけど。さっきまでの思い詰めた様な表情よりは、笑われた方がマシです。ううぅ。ホッとしたぁ。
「……すみません、サラナ様。ご心配をおかけしました」
ひとしきり笑い倒して落ち着いたアルト会長から、お礼を言われました。こちらこそ、はしたない真似を許して頂きありがとうございます。淑女失格ですわー。反省。
「……サース家の事は、いずれは話さなくてはと思っていましたが、どうしても踏ん切りがつかず。サラナ様のご様子から、ここに来た時は問い質されるのを覚悟していたのですが。ふふ。妙に真剣な顔をなさっていたかと思ったら、急に手をマッサージされるから。なんだか、力が抜けてしまって」
「……こほんっ。アルト会長が話したくなければ、無理にお話されなくてもよろしいのですけど……。でも!そんなお顔をなさるくらいなら、1人で抱え込むのはお止めくださいませ」
ついでに、先ほどのもみもみなでなでも忘れて下さい。記憶の遥か彼方に、追いやって下さったらいいと思うの。
「抱え込んでいたつもりはないのですが、格好悪い過去ですし、貴女にどう思われるかと気になって。話すのをためらってしまいました」
アルト会長のいつにない、気弱な声に胸がキュンとなりました。え。男性の弱った姿は前の世からの私の弱点ですが、好きな人だと更に魅力が倍増するとは、どういうことかしら。キュンキュンと鳴く、か弱い子犬が目の前にいるわ。ううう、頭を撫でて慰めたくなるぅ。駄目よサラナ。婚約もまだなのに、これ以上のお触りは犯罪よ。
「おや。サラナ様に撫でて頂けると期待していたのですが」
ぎゃああ。また心の声が読まれている。アルト会長のエスパー能力は今日も絶好調なのね。でもこの声音は絶対に揶揄っていらっしゃるわ。弱気な子犬が行方不明。復活し過ぎよ。
私はアルト会長からツンと顔を逸らした。いつまでも私を揶揄えると思ったら大間違いよ。アルト会長から見たら年下かもしれないけど、中身はアラ何とかなんですから。大人の女ですからね!まだ20代のアルト会長なんて、私から見たら年下の男の子なんだから。
「では……、こちらにしてみましょうか」
心の中で必死にイイ女のイメージを保つ私に追撃が。アルト会長の手がスルリと、って。うひゃあああ。アルト会長の長い指が私の指と交差して、きゅっと握られました。こ、これは。幻の、恋人繋ぎ!
今日は来客の予定も外出の予定もなかったから、完全にオフモード。ええ、淑女の嗜みである手袋無しです。つまり感触が生々しくダイレクトに。アルト会長の長い指が、私の指にぴったりと絡んで。なんだか背中が、ゾワゾワするぅ。
なんてことでしょう。あの幻の恋人繋ぎが、私の身にも起こるなんて。前の世では恋人は何人もいたけれど、手を繋ぐなんて小っ恥ずかしい事は、え?あったっけ? ましてや恋人繋ぎなんて、私の中では未確認生物ぐらいありえない事だったわ。
しかも今はアルト会長とソファで隣同士というとてつもなく近い距離で寄添っていて。手から伝わる体温とか、ほのかに薫る香水の匂いとか、ともすれば感じる吐息とか。もうどうすればいいのか分からないほど近いわ。恥ずかしい。私今、どんな顔をしているの? 視線を感じるから、アルト会長からジッと見つめられているのでしょうけど、そちらに目を向けられないぐらい、頭が真っ白なのですけど。
「お嫌ではありませんか?」
そう囁くように聞かれ、私は反射的にぶんぶんと首を横に振る。嫌じゃないです。むしろご褒美? なんて言えないわ。でも、繋いだ手を直視出来ない。恥ずかし過ぎて心臓が死ぬからー。
「良かった。少しこのままでいさせてください。……話すのは、やはり勇気がいるようです」
ちょっとだけ、アルト会長の声が沈む。その様子に、恥ずかしさが吹っ切れました。やっぱり、ご実家のことはアルト会長にとって、相当な心の負担なのだわ。いつも落ち着いているアルト会長が、落ち込んだり、かと思ったら急に揶揄ってきたり。ううーん。情緒が不安定。
恋人繋ぎの手をぎゅっと握り直すと、アルト会長の顔が微かに緩む。うんうん、大丈夫。何でも話して。何を聞いてもどんとこいだわ。だって、アルト会長のことですもの。
そう、腹を括ってアルト会長からお話を伺ったのですが。大変胸糞が悪かったということを、予告しておきますわ。
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