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プロローグ

月明かりだけが差し込む書斎は、インクと古い紙の匂いで満ちていた。俺、エリィ・イリス・ピエトラは、背後で聞こえる微かな衣擦れの音に意識を向けながら、最後の仕掛けシリンダーが小気味よい音を立てるのを待っていた。


カチリ。


まるで熟練の職人が宝石をカットする瞬間のような、静かで精密な感触。寸分の狂いもなく、重厚な金庫の扉が沈黙を破って、わずかに開いた。


「――終わりです、ウィルマ」


背後に立つ師匠に小声で報告すると、彼女は満足げに喉を鳴らした。


「上出来じゃないか、エリィ。あたしが教えた中でも、あんたは筋がいい方だよ。特にその指先の繊細さは、まるで宝石職人だね」


「光栄です。元は、そちらが専門でしたから」


皮肉めいた師匠の言葉に、俺は静かに答える。かつて、その指は宝石の原石を見極め、デザインを描くためにあった。今は、他人の富をかすめ盗るためにある。


金庫の中から目当ての書類――子爵が管理する闇ギルドの金の流れを記した裏帳簿――を抜き取り、懐にしまう。今回の依頼は、とある商人からのもので、この子爵に陥れられ、全てを失ったことへの復讐だった。どこか、自分の境遇と重なる。


「さあ、ずらかるよ。ここの主が、お気に入りの愛人と夜会から戻ってくる前にね」


ウィルマが身軽に窓枠に足をかける。彼女の紺色の一つ結びが、夜風に揺れた。赤い瞳が、獲物を狩る獣のように細められている。


「それにしても、あんたもずいぶん様になったもんだ。半年前は、スラムの路地裏で雨に打たれて震えてた、みすぼらしい坊ちゃんだったってのに」


「……あなたのおかげです」


俺は窓の外に広がる王都ツェントラールの夜景を見下ろしながら、静かに答えた。きらびやかな貴族街の灯り。その光が届かない場所に、俺たちが生きるスラムがある。


「あなたに拾われ、技術を授けていただいた。本当に、感謝しています」

「お世辞はいいって。あたしはあんたの才能に投資しただけさ。その瞳……憎しみと決意が混ざり合った、紫水晶アメシストのようだ。曇りのない、一級品だよ」


ウィルマはにやりと笑う。


「これで……ようやく、俺の目的を果たせるだけのスキルが身につきました。俺からすべてを奪った者たちへ、完璧な報復カットを施すための技術が」


俺の言葉に、ウィルマは何も言わず、ただ夜の闇へとその身を躍らせた。俺もその後に続く。


半年前、俺はすべてを失った。

家族も、財産も、名誉も、未来も。

だが、代わりに手に入れたものがある。


――シーフという職業と、鋼のような復讐心だ。


この力で、俺は俺の人生を砕いた者たちに、相応の報いを受けさせてみせる。彼らが築き上げた偽りの輝きを、根こそぎ奪い取ってやる。


これは、元宝石商の息子が、職業シーフとして革命を成し遂げるまでの物語だ。


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