これからの方針を
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──これからの方針を
それからアレックスの自宅に医者が訪れた。
「やあやあ、ノイマン先生。ようこそ」
「アレックス君。手紙を出したのだが、読んでもらえたな?」
現れた医師はスキンヘッドの中肉中背の男で、立派なスリーピースのスーツ姿だった。彼はエレオノーラには挨拶せず、真っすぐアレックスに歩み寄って小声でそう尋ねた。
「もちろん読んだよ、先生。だが、あなたの提案は受け入れられない」
「しかし、このままではいろいろとリスクがある。執事のシュテファンさんだけでは、介護の人材が足りないだろう? 彼も24時間付きっ切りというわけではないんだ」
「入院させればそれが解決するとでも? それにリスクと仰るが、それが自殺のことだと認識していいのだろうか?」
「ああ。その通りだ。君のお母さんには自殺のリスクがある。手紙にも書いたようにもっと適切な環境でなければ危険だ」
エレオノーラにも僅かにだが話は聞こえていた。
「……どうせ入院しても状態がよくなるわけではない。特効薬も治療方法もないのだからね。それに母も他人ばかりの見知らぬ場所で暮らすより、知人がいて、住み慣れたここがいいはずだ」
「分かった。君の意見を尊重しよう。だが、もしまた彼女が──」
「その時は改めて相談しよう、先生」
医師の言葉にアレックスはそう言って頷いていた。
「では、診察をして帰るとするよ」
「頼む」
医師はそういうとクラウディアの診察に向かった。
「アレックス。あなたのお母様の心の病というのは……」
「一種のトラウマによる記憶障害。と、ノイマン先生は言っている」
「トラウマ? 何かショックなことがあった?」
「父に関わるものだ。あまり気持ちのいい話ではないが、それでも聞くかい?」
「あなたが話すことで少しでも気が安らぐなら」
「ありがとう、エレオノーラ。では、話そう」
エレオノーラの言葉にアレックスが語り始める。
「私の父は自殺した。死体を見つけたのは母で、そのことそのものもショッキングだった。父の死体は酷い状態だったし、母はあのろくでもない父のことを、それでも本当に愛していたからね」
アレックスの父ヨハネスの自殺を発見したのはクラウディアだ。
「それに追い打ちをかけるように父は遺言状に私たちとネテスハイム伯爵家の縁を完全に切ると書いてあった。この家は残すが、我々はもう父の家族ではないと父は最期にそう残したのだ」
「なぜそんなことを……」
「母は父のことを愛していたが、父は母のことを愛していなかった。それから私も父のことを愛しておらず、父もまた同様であった。そうであるがゆえに、だ」
ヨハネスはただただ恐れていた。
おぞましい大悪魔ベルフェゴールの落とし子であるアレックスを。自らが取り換え子として見捨てるはずだった息子が存在することを。それが自分に対して何を行うかを。
ただただ恐れ、最後は死に逃げた。
「父を愛していた母は一連のことで傷つき、混乱し、心に傷を負った。それによって母の記憶は混乱している。今も父が生きていて、家にいないのは帝都で宮廷魔術師長の仕事をしているからだと思っているんだ」
「愛する人の死を受け入れられない、か……」
「愛する価値もない男だったというのに」
アレックスは本当に忌々し気にそう呟いた。
「あのノイマン先生は精神科医で、母をずっと診てもらっている。だが、最近は入院させろと繰り返していてうんざりさせられるよ。昔の記憶のままの母を住み慣れたこの家から離したら、それこそ症状は悪化すると思うのだがね」
「けど、いつかは事実を受け入れないといけない。ずっとはこうして現実逃避を続けてはいられないと思うよ。死は逃げていても、逃げ切れるものじゃないから」
「……そうだね。いつかは、いつかは母に事実を受け入れてもらいたい」
エレオノーラが心配して言うのにアレックスはただ頷く。
それからアレックスたちは暫く実家に滞在し、クラウディアの容態が落ち着くのを待ってから、再びミネルヴァ魔術学園へと戻るために馬車に乗った。
「エレオノーラ。今回はありがとう。君のおかげでひとりで背負わずに済んだよ」
「それはよかった。いつでも相談に乗るよ。私たちは、その、友達だしね」
「友達以上になれると思うかい?」
「え」
アレックスがふとこぼした言葉にエレオノーラが目を見開く。
「いや、気にしないでくれ。今後ともよろしく頼むよ、エレオノーラ!」
「え、ええ」
快活に笑うアレックスと頬を赤らめ心臓をどきどき鳴らしたエレオノーラだった。
彼らは帝都へと戻り、それから学園へと戻る。
「帰ったのか、アレックスの小僧」
寮ではサタナエルが退屈そうにしていた。
「ただいまだ、サタナエル。私がいない間どうだったかい?」
「クソみたいに暇だから、適当に人間を捕まえて半殺しにしていた」
「それはそれは。では、そろそろ君を退屈させないイベントを提供しよう」
「ほう?」
アレックスが言うのにサタナエルが僅かに関心を示す。
「さて、まずは楽しいパーティー会場に向かうまでの準備をしなければね。『アカデミー』を招集しようではないか!」
いつものように地下迷宮にて『アカデミー』の会合が始められる。
「ジョシュア先生! 出席してくれて嬉しいよ!」
今回はちゃんとジョシュアも出席していた。
「ええ。どうしてもという話でしたが、短く済ませていただけますか? 私にはまだ解読しなければいけない魔導書が何冊もあるものでして」
「あなたという人は。少しは人との交わりを大事にしたまえ! 本の虫でいては社交性をどんどん失っていくよ!」
「それはどうも。頭の隅に出もとどめておきます」
ジョシュアはやる気なさそうにそう返すのみ。
「で、何をするんだ、アレックス? 私にも頼みがあるということだったが」
「そう、カミラ殿下にもお願いしたいことがある。前に言っていた同盟者を手に入れるための算段を付けておきたいのだ」
「その同盟者というのはまさか我々アルカード吸血鬼君主国のことか?」
「それもひとつ。だが、もうひとつ別にあるのだよ」
「ふむ」
カミラがアレックスの言葉に目を細めた。
「勿体ぶらずにさっさと言ってくださいよ。同盟者ってどこのどいつなんです?」
「それはバロール魔王国だ!」
アレックスが告げたのは魔族のに国であるバロール魔王国であった。
「バロール魔王国と?」
「うへえ。正真正銘の人類の敵じゃないですか」
話を聞いたエレオノーラたちが驚きと呆れの感情を示す。
バロール魔王国は人類国家と長年殺し合ってきた魔族の統一国家だ。その名の通り魔王によって統治され、その国民は魔族である。
最後に人類国家と戦争状態になったのは南部のグレート・アイランズ王国のさらに南のサウスフィールド王冠領を巡る南部動乱で、それは20年前のことになる。
「そうとも。人類の敵と手を結ぶのだ。我々の扱う黒魔術が人類国家で許容されない以上は、人類の敵の手を借りるしかない。その点はバロール魔王国は最適だろう?」
「確かにバロール魔王国であれば黒魔術師たちに寛容でしょう。人類国家や第九使徒教会よりも。しかし、残念なことにバロール魔王国は現在次の魔王や指導体制を巡って内戦状態にあるのです」
「ああ。知っているよ、トランシルヴァニア候閣下。それは問題ではあるのだが、ある意味ではチャンスだ。彼らが内戦状態にでもなければ、我々のようなよそ者がいきなり出向いて同盟してくれとは言えない」
「なるほど。恩を売るというわけですな。ですが、どの勢力に?」
「それは決めてある。後で説明しよう」
トランシルヴァニア候がアレックスの言わんとすることを悟るのにアレックスはそう言って話を進めた。
「というわけで、ジョシュア先生にはアルカード吸血鬼君主国への留学手続きを。カミラ殿下も同様に留学生を受けれいるように働きかけていただきたい。我々はアルカード吸血鬼君主国からバロール魔王国へ向かう」
イオリス帝国からいきなりバロール魔王国に向かうのはまず無理だ。敵国への渡航は外務省が禁止している。
しかし、現在友好条約が締結されたアルカード吸血鬼君主国からならば可能。
「それから渡航前にルートヴィヒ殿下を落とす。さあ、諸君、仕事の時間だ!」
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