もう主人公じゃない
……………………
──もう主人公じゃない
アレックスは父に会わぬままに5歳になった。
母クラウディアは日に日に落ち込んでいる。父があまりにも長く帰って来ないことへの不安があるようだった。アレックスにもその不安を感じることができた。
だが、アレックスの場合はそれは不安ではなく、苛立ちだ。
アレックスは今明白に自分が何をすべきかを把握していたし、そのための手段も得ていた。彼は学んでいた黒魔術をさらに洗練させ、その時に備えている。
すなわち、受けるべき報いを受けさせるために。
父の名はヨハネス・フォン・ネテスハイム。
父ヨハネスは魔術に長けたネテスハイム伯爵家の当主であり、宮廷魔術師長だ。その地位に就いて10年以上の歳月が経っており、現在の年齢は45歳。
つまりアレックスが誕生したのはヨハネスが40歳のときでクラウディアが30歳のとき。10代での出産すら珍しくないこの世界において、夫婦の間に子供ができないと嘆くには十分な年齢だったに違いない。
「奥方様。帝都から手紙が届いております。ご当主様からです」
「まあ! 本当に!?」
久しぶりにクラウディアの笑顔をアレックスは見た。ヨハネスからの手紙が帝都から届いたのだ。
クラウディアは喜んでそれを開き、読み始める。
「アレックス! お父さんが帰ってくるそうよ!」
そう、手紙はヨハネスの帰宅を知らせるものだった。
「お父さんはいつ?」
「来週。来週帰ってくると言っているよ」
「楽しみです」
取り換え子として、醜い悪魔として生まれるはずだった息子が、そうならずに待ち構えているのだからなとアレックスは内心で暗い笑みを浮かべた。
それからクラウディアは嬉しそうに過ごしていたが、アレックスはやっと訪れる断罪のときに備えて準備を進めていた。
そして、1週間後──。
「奥方様、ご当主様がお帰りになりました」
「すぐに行く」
ヨハネスが帰宅するとすぐにクラウディアが迎えに行った。
「お帰りなさい、あなた!」
「ああ。戻った」
口数少なく再開の言葉を述べる男こそヨハネスだ。
黒髪に大きな鷲鼻、落ちくぼんだ眼、それから青白い肌をした長身の男。アレックスに遺伝したのは黒髪と身長だけだ。
その瞳は濁った青色で、正しい感情でなく、何かしらの狂気じみた思想を持っているように見えた。
「お帰りなさいませ、お父様」
そこでアレックスが前に出てヨハネスにそう挨拶する。
「……お前は……」
「私はアレックス・フォン・ネテスハイム。あなたの息子です」
アレックスが笑顔とともにそう言ったとき、ヨハネスの表情が氷の彫像のように冷たく固まった。
「無事に生まれたの、私たちの子供が! あなたもアレックスを祝福してあげて!」
「そんな、そんな馬鹿な……」
クラウディアの言葉にヨハネスが驚きと恐怖の表情を浮かべる。
「どうしたの、あなた? 気分が悪いの? 帝都からは長旅だったでしょうからね。少し休むといいよ。さあ、部屋に行きましょう」
「あ、ああ」
クラウディアに付き添われてヨハネスは屋敷の中に入っていった。アレックスはそれをじっと見つめ続ける。
ヨハネスは自分の部屋に入ったのちにそこに立て籠もるように閉じこもった。
「どうしたのかな、あの人……。やっと望み続けてきた自分の子供に会えたというのに喜びもしないなんて」
クラウディアはそんな夫の様子を怪訝そうに感じていた。
「きっとお父様は初めて会った息子に困惑しているのだと思います。何せもう私が生まれてから5年も経っているのですから。いきなり自分に5歳の息子がいるということを知れば困惑するかと」
「そう? じゃあ、もう少し待ちましょうか」
アレックスはそんなクラウディアにそう言い、クラウディアはまた待ち続けた。
しかし、夜になっても、翌日になっても、またさらに日が過ぎてもヨハネスはその姿を見せない。彼は料理を自室に運ばせたまま、引きこもっている。
ヨハネスはただただ怯えていた。自分の息子など生まれるはずがなかったことを彼は知っている。しかし、そう名乗る存在がこの屋敷にいて、ヨハネスの前にいた。
何故だ? 自分は妻の胎をベルフェゴールに捧げ、宮廷魔術師長の地位を手に入れた。そうであるからにしてベルフェゴールがそう求めない限りは、普通の人間が生まれるなどということはあり得ない。
生まれたとしてもそれはベルフェゴールとクラウディアの子だ。自分の子ではない。
あれは悪魔の子、おぞましい化け物だ!
「ふわあ。これはこれは臆病な契約者さん。せっかく奥さんと子供が帰りを長く待っていたのに、彼女たちに抱擁すらしてあげないのですか?」
「ひっ!」
不意に暗がりから少女の声がするのにヨハネスが身をすくめる。
現れたのはベルフェゴールだ。ヨハネスと契約していた彼女が姿を見せた。
「あ、あなたは一体何をしたのですか……? あの子供は一体……!」
「かわいい子供ですよ。もっとも社会的にはあなたの子供ですが、実際には私の子供なのですけれど。彼はベルちゃんの血を引く落とし子なのです」
ヨハネスが震えた声で問うのにベルフェゴールが怪しい笑みを浮かべて返す。
「光栄ですよね。実に光栄ですよね。喜んでいいですよ。あなたの子供は地獄の国王である私の血縁となったのですから」
「わ、私はどうすれば……?」
「はて? 普通に息子さんを愛してあげるといいのでは? もっとも彼がそれを受け入れればの話ですがね」
ベルフェゴールがそう言ってくすくすと笑う中、ヨハネスの自室の扉が開いた。
「やあ、お父様。そこにいるベルフェゴールから話は聞いているのだろう? あなたに感謝をしなければいけない。これで私は英雄になる条件を満たしたのだからね」
現れたのはアレックスだ。彼がヨハネスの方に不気味な笑みを向ける。
「お、お前は化け物だ! 大悪魔の落し子などおぞましい! 本当ならばこんなことになるはずでは……!」
「これは、これは大げさな。何を恐れているのです? あなたは別に悪魔を恐れたりするような人間ではないでしょう。それに私がこうなった原因はそもそもあなたのせいではないですか」
「しかし……こんなはずでは……」
アレックスが笑うのにヨハネスが怯えるように後退る。
「あなたが私と母を犠牲にして、地位を手に入れるつもりだった。悪魔に家族を売り飛ばすことができるあなたが、私のことをおぞましいだと? 実に笑える話だ」
「私をどうするつもりだ……?」
「さて、どうしたものか。私にとってあなたを殺すのは簡単だが、それで復讐というのは生ぬるい。もっと見るも恐ろしい地獄を味わってもらいたいものだ」
アレックスのその言葉にヨハネスが恐怖に顔を歪めた。絶望の色が濃く浮かぶ。
「さて、家族の問題は家族で解決してください。私は契約をちゃんと果たしましたよ。あなたから受け取り、あなたの願いを叶えた。不満はないでしょう? ふわあ……」
ベルフェゴールがそう言って欠伸をする。
悪魔が最悪なのは願いを叶えはするものの、それを最悪の形で実現するところだ。彼らはときとして普通に願いを叶えることはあるものの、多くの場合においては不幸しかもたらさない。
「家族水入らずの時間をどうぞ」
ベルフェゴールはそう言って忽然と姿を消し、この場にはアレックスとヨハネスだけが残った。
「私はずっと主人公になりたかった。主人公というものに憧れていた。だが、私は見落としていたのだ。主人公というものに必要なのは力や魅力だけでなく、善性というものがあるのだよ」
アレックスがひとりそう語る。
「正しい行いをし、物事を善き方面から正しく考える。私はそんなのはごめんだと思った。今回の件でも、それ以前の件でも、自分が正しくあったところでいいことなどまるでないのだからね」
だから、とアレックスが続けた。
「主人公などクソ食らえだ。私は悪役として生きようではないか!」
……………………




