機密情報
……………………
──機密情報
深夜。
アリスは作戦会議で決定したようにカミラがトランシルヴァニア候から渡された機密情報の盗撮を試みていた。
「メフィスト先生。準備はいいですか?」
「いつでもいいぞ、愛する人よ」
アリスが学生寮の廊下の角に潜んで告げるのにメフィストフェレスが頷く。
「では、始めましょう」
アリスはそう言って人形を廊下に放つ。
下級悪魔を宿した人形は下級悪魔であるがゆえにあまり魔力などを放たず行動し、カミラのために準備された特別な寮の部屋に向けて向かって行く。
しかし、扉から入ったのでは魔力を放っていなくとも人狼の護衛に気づかれる。
そこで人形は一度換気ダクトに侵入した。ミネルヴァ魔術学園の中では新しい部類に入る建物である学生寮にはこの手の空調のためのダクトが張り巡らされている。
「オーケーです。まだ気づかれないですよ」
この任務においては人狼の護衛というのがもっとも厄介な相手となる。彼らは嗅覚だけでなく、暗闇での視力から聴覚まで五感が人間より遥かに優れているためだ。
ダクトを移動している音に気づかれれば、それでゲームセットとなる。
「いざというときは私が騒動を起こそう。その隙に目標を得るんだ」
「なるべくそうならないようにしたいですね……」
空調ダクトを辿ることでカミラの部屋に人形を進めさせながら、アリスは万が一の場合に備えていた。
それは中級悪魔による人型の準備だ。カミラか人狼の護衛たちが気づいた場合は、アリスの正体まで発覚する前にメフィストフェレスと人型が、カミラたちを襲撃する手はずであった。
何せエレオノーラによれば人形はばっちりアリスの実家の玩具会社のものだと既に発覚している。それが何度もカミラに目撃されてはアリスが疑われることは避けられない。
「ダクトはもう少しで出口です。侵入しますよ……」
アリスはそう言って人形をカミラの部屋に忍び込ませた。
「侵入成功……!」
今のところ気づかれることなく、アリスは人形を進めている。そして無事に部屋の中に入った人形の視野を使って件の機密情報とやらを探す。
「さて、機密情報は、と……」
アリスは部屋の中を20センチ程度の人形の視点で見渡した。
すると、下級悪魔が反応を見せる。
「魔力、ですかね。トランシルヴァニア候とやらの残滓魔力かもしれません。寄ってみましょう」
「気を付けたまえ。別の魔力かもしれない」
「はい」
メフィストフェレスに言われてアリスは慎重に人形を中の下級悪魔が反応した方向へと進ませた。その方向は大きな机のある方向で、人形は椅子などを利用してよじ登り、反応があった机の上に到達。
「お。ありました、ありましたよ。これに違いないです!」
そしてアリスはついに機密情報が入っていると思しき便箋を発見。
「ううむ。しかし、封がされていますね。人形だと開けられなさそうな感じです」
「では、私に任せたまえ」
「どうするつもりです?」
「人形に入っている下級悪魔と私の位置を入れ替える。シンプルだよ」
メフィストフェレスはアリスにそう言うと指をぱちりと鳴らした。
次の瞬間、メフィストフェレスのいた場所に下級悪魔の入った人形が現れ、メフィストフェレスは姿を消した。
「さて……」
メフィストフェレスはカミラの部屋の内部に姿を見せていた。下級悪魔が調べていた便箋を手に取ると封を破り、中身を見る。
「名前とファイル、かエドムンド・ジェルズィニスキ、クリステル・ブレール、パトリック・カーニー。3名分の資料のようだ。いただいていくとしよう」
持ち去れば盗まれたことにカミラが気づくだろうが、封を開けている時点でもうその発覚は避けられない。それにファイルは意外に分厚く、この場で全て読んで記憶するというのは難しいところがあった。
メフィストフェレスは便箋を手に再び下級悪魔と位置を入れ替える。
「ああ、メフィスト先生。無事に機密情報は手に入りましたか?」
「この通りだ。さあ、退散しよう。下級悪魔は解体しておきたまえ」
「ええ。用事がすんだらすたこらさっさですよ」
アリスは下級悪魔を宿した人形を灰にして解体し、メフィストフェレスとともに機密情報を持って逃走した。
そして、翌日その機密情報を『アカデミー』の本部へと持ち込んだ。
「手に入れてきましたよ、機密情報を。これは本物の機密情報で間違いなしですよ!」
「おおー!」
アリスが宣言するのにエレオノーラが拍手を送る。
「さて、どんな内容なんだい?」
「えっとですね。中身は人事ファイルでした。全員が国防省所属の秘書であったり、官僚であったりと。『フィッシャーマン』は国防省にいると言っていたから、この情報は例のネットワークとやらに使われる人間の情報かもしれません」
「ふむふむ。思ったより凄い情報が出てきて驚いているよ!」
エドムンド・ジェルズィニスキは国防官僚、クリステル・ブレールは秘書、パトリック・カーニーは国防省勤めの軍人であり帝陸軍少佐。
「……えっと。この情報から『フィッシャーマン』の正体は分かるの?」
「いや。さっぱりだ」
「だよね」
知る人が見ればこれで『フィッシャーマン』の正体が掴めるのかもしれないが、何も知らないアレックスたちにとっては知らない人の名簿に過ぎない。
「だが、進展はあった。間違いなく『フィッシャーマン』は存在する。そして、その正体をトランシルヴァニア候かカミラ殿下は知っている。そうでなければこのファイルを渡した意味がない」
依然として正体は謎のままだが『フィッシャーマン』の存在はこれでほぼ確かなものとなり、さらにその正体をトランシルヴァニア候、またはカミラが知っているということも明らかになったのだ。
「というわけで、やはり狙いは『フィッシャーマン』だ。この謎の人物の正体を暴き、カミラ殿下を味方に引き入れるのだ!」
「正体がさっぱり分からないのにどうやるんです?」
「ふふふ! みたまえ! これが私の探し求めていた魔導書だ!」
「おお?」
そう言ってアレックスが取り出したのは革で装丁された古い本。とても分厚く、明らかに古そうなのが窺える。
「それが『虚偽の理論』って魔導書なの?」
「その通りだ、エレオノーラ。これをトランシルヴァニア候に使えば間違いなく『フィッシャーマン』についての情報が手に入るだろう」
「へえ」
エレオノーラはアリスやメフィストフェレスとともに興味深そうにアレックスが握っている魔導書を見つめた。
「しかし、これだけあってもトランシルヴァニア候に会えなければ意味がない。その点をカミラ殿下に会って解決しなければならないね。というわけで、カミラ殿下にはいつごろ会えそうだい、エレオノーラ?」
「まだ連絡はないよ。もう少し待とう」
「了解だ」
そしてアレックスたちはカミラからの連絡を待つことに。
そのころカミラはアレックスたちが起こした行動に僅かに反応していた。
「侵入者がいた」
カミラがなくなった便箋を見てそう言う。
「申し訳ありません、殿下。しかし、昨夜に物音などはなく……」
「だろうな。硫黄の臭いがするのが分かるか?」
「ええ。まさか……」
カミラが指摘するのに人狼の護衛が目を見開く。
「パーティーのときに続いて2回目だ。どうも問題の黒魔術師は学園内にいるようだな。となれば調べるべきものを調べておくとするか」
「何を調査すれば?」
人狼の護衛がカミラにそう尋ねる。
「ハントという姓の生徒だ。その家がパーティーのときに忍び込んでいた人形の出所のようだ。そこから買ったか、あるいは」
「その家が国家保衛局の関係者そのものである」
「まあ、なんであれ調査を行う必要があるな。こうして機密を盗まれたのでは」
……………………