魔術の名門
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──魔術の名門
ミネルヴァ魔術学園ではテストの時期が終わって休暇の時期が訪れると、生徒たちが一度帰省することがあった。
中間試験後の休暇は短いため帰省に時間がかかる生徒は学園に残る。それは金銭的に余裕がない平民ほどそうであった。
だが、貴族は逆にある程度距離があっても帰省することが多い。それは彼らが一族の流れる血を重視しているためであろう。
魔術の名門として知られるヴィトゲンシュタイン侯爵家に生まれたエレオノーラも休暇期間中に実家へと帰省していた。
「帰ってきた……」
ヴィトゲンシュタイン侯爵家は代々帝国北部に領地を有している。
さて、ヴィトゲンシュタイン侯爵家は名の知れた魔術の名門であっても、宮廷に仕える宮廷魔術師の類ではなかった。元々は帝国成立以前から北部を武力で統治していた軍閥の類だ。
それがある時期から魔術において秀でた功績を帝国に残し始め、今のような魔術に関わるものならばその名を知っていることは当然と言えるほどの魔術の名門となった。
彼らが魔術の名門として知られる上での異常性ともいえるもの。
それは個人によって差があるはずの魔術を代々全く同じように使えるという点だ。
そのヴィトゲンシュタイン侯爵家は帝国でも数少ない城を持つ貴族である。
4世紀前に起きた宗教戦争において諸侯が反乱を起こしたことで帝国が中央集権を進めた際に、諸侯の持つ城の多くが取り崩されたが、ヴィトゲンシュタイン侯爵家は特別に皇帝に城を持つことを許されていた。
城と言えど乱世の時代の要塞としての側面は目立たず、平時に暮らしやすい屋敷としての機能が充実されたもので、エレオノーラはその城に戻ってきた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
何人もの使用人たちがエレオノーラの帰りに頭を下げて迎える。
「お嬢様。旦那様がお待ちです」
「分かった」
家の使用人たちを纏める執事がそう言い、エレオノーラは無表情のままに頷いた。
そして、エレオノーラは実家に戻ってすぐに父親であり、現在のヴィトゲンシュタイン侯爵であるゲオルグ・ヴィルヘルム。ツー・ヴィトゲンシュタインの下へと向かった。
「お父様。戻りました」
「ああ」
ゲオルグは気難しそうな顔をした北方貴族らしい顔立ちの男だ。エレオノーラとおなじ金髪をオールバックにしており、鷲鼻としわの寄った眉間に分厚いレンズのメガネ。そんないでたちの男であった。
「学園はどうだ?」
「今のところは特に問題はありません」
「そうか」
親子の会話だがどちらも口数が少ない。
「中間試験の成績を見たが、記号学の成績がいまいちよくないな」
「申し訳ありません」
「努力しなさい。以上だ」
「はい。失礼します」
ゲオルグはそれだけで会話を終わらせてエレオノーラは退室した。
「はあ。他はよかったのに褒めてもらえなかったな……」
エレオノーラはそうため息をつくと城の中を自室に向かう。
城にはゲオルグ以外には家族はいない。母はエレオノーラを生んでから熱を出して亡くなっている。ゲオルグは後妻を娶ったものの家格で劣る家からもらったその女性は別の館に住まわせていた。
「……明日には学園に帰ろう」
エレオノーラはそう決めた。
その日の夕食でもゲオルグは言葉数はほとんどなく、エレオノーラに励ましや褒める言葉をかけなかった。エレオノーラもそれを期待することはなく、ただ父ゲオルグを怒らせないようにと振る舞うだけだった。
学園では明るく、賑やかなエレオノーラは実家では別人のようであった。
「皇帝陛下から手紙を受け取った」
ふと突然ゲオルグが夕食場でそう発言。
「ヴィトゲンシュタイン侯爵家の帝国への貢献についての話だ。我々が最近目立った貢献がないことに皇帝陛下は疑問を覚えておられる」
「……由々しきことです」
「ああ。由々しきことだ。私も先代ほどは帝国に貢献ができたとは言えない」
ゲオルグはそう言い、ワインのグラスを傾ける。
ヴィトゲンシュタイン侯爵家は代々帝国に魔術で貢献してきたのは先述した通り。だが、その貢献のやり方は様々だ。
魔術というのは広義の意味で道具に分類される。そして道具はそれそのものを作り出すことや道具を使って何事か成し遂げることに関わるもの。
ヴィトゲンシュタイン侯爵家は魔術そのものの研究で帝国に貢献することや魔術で武勲を上げるなどして貴族としての家格を高めてきた。
だが、今のゲオルグの代になってからはミネルヴァ魔術学園に寄付を送ることや有望な魔術師のパトロンとなる程度しか貢献と言える貢献はなかった。
「だからお前には期待している。私の、家の期待を裏切るな」
「はい」
ゲオルグはそうとだけ言って、そのまま夕食の席を立った。それからエレオノーラも無言で食堂を去る。
エレオノーラはそのまま部屋に戻り、何もせず眠った。
そして、彼女は翌日には実家を出て学園へと戻ってしまった。ゲオルグが彼女を見送るようなことはなかった。親子は言葉を交わさず別れた。
ヴィトゲンシュタイン侯爵領から帝都までは長距離移動用の馬車で4日ほどの道のり。その馬車は専用の品種の馬が引き、一日中休むことなく走り続ける。そのための長距離を移動可能だ。
広大な帝国を帝都という中央から支配するうえでこの手の技術は必要だ。通信と物流の発展は統治を助ける。
エレオノーラは14日間の休日が終わるよりも早く、学園に戻ってきた。
「やあやあ、エレオノーラ! もう帰ってきたのかい?」
「アレックス。あなたは帰らなかったの?」
学園に帰ってくるとその帰りを待っていたかのようにアレックスがエレオノーラに学生寮の入り口で挨拶。
「私は帰ってもあまりいいことはないからね。母の料理はお世辞にも美味しいとは言えないものなのにやたらと私に食べさせたがるんだ。ここにいれば食堂で美味しい料理がただで食べられる」
「まあ、酷い。お母様が悲しむよ」
「手紙は送っている。私が学園で上手くやっていることを母は喜んでいた」
「そっか」
アレックスがそう語るのにエレオノーラは少しばかり羨ましそうな顔をした。
「そうだ。私はお菓子作りは得意だから今度作ってあげようか?」
「おお。それはいいね。是非ともお願いしたい」
「喜んで」
そしてエレオノーラが微笑んだときだ。
「アレックス。一体、何をしてるんです? 私がわざわざ来たんですよ? 待たせないでください。不快です」
「やあ、アリス。エレオノーラとは既に知り合いかな?」
アリスが寮から出てきて不満そうな顔をするのをエレオノーラは見た。
「いえ……。あの、ヴィトゲンシュタイン侯爵家の人、ですよね……?」
「はい。私が同学年のエレオノーラと言います。アリス・ハントさんですよね?」
「あ。は、はい」
エレオノーラが笑顔で尋ねるのにアリスがそう答える。アレックスに話しかけていたときとは違って物怖じした様子だった。
その様子が少しエレオノーラに疑心を抱かせた。
「さて。会えてよかったよ、エレオノーラ。では、行こうか、アリス?」
「はいはい。さっさと済ませましょう」
アレックスが話しかけると渋々と言った具合にアリスはアレックスに続き、そのまま学生寮の中に姿を消した。
「……私がどうこう口出しする権利はない、から」
エレオノーラは苦虫をかみしめたような表情を浮かべて呟くと、自分の部屋がある方に歩み去っていく。
「ほう」
その様子を窓から眺めていたのは他でもないサタナエルだ。
「関心は好意へ。好意は独占欲へ。独占欲は嫉妬へ。嫉妬は憎悪へ。憎悪は殺意へ。人間というのはいつだって悪意へと堕落する生き物だ。人間の浅ましい、そういうところが俺は好きだ。実に醜くてな」
愉快そうにサタナエルがそう笑うと彼女はアレックスの部屋に戻る。
ほの暗い何かが確実に動き出していた。
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