地下に延びる悪意
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──地下に延びる悪意
黒魔術と口にしたアレックスをサタナエルが興味深そうに、アリスがぎょっとした様子で見る。アビゲイルの反応は窺えない。
「我々も黒魔術師だ。みたまえ。ここにいるのは何を隠そう地獄の皇帝サタンと地獄の公爵メフィストフェレスだ。我々は彼らと契約している。他でもない明かされるべき知識の追求のために!」
アレックスが堂々と宣言するがやはりアビゲイルの反応は見えない。
「……古今東西、サタンを騙る悪魔は存在した。奴らは知性すらろくにない非常に矮小な存在であってもサタンが偉大な存在だと理解している。そこにいる女がそうではないとどうやって証明する?」
「なんだと」
アビゲイルがそう言い放つのにサタナエルが恐ろしいまでに殺気を生じさせた。
「ひ、ひっ……! し、しかし、魔術師なのにサタンが分からないんですか……?」
「仕方がないことだ。陛下や我々のような大悪魔は本来完全に地上に出ることは不可能。天界との協定によって我々は高位の悪魔であるほど自由に動き回れない。よって我々はアバターとでもいうべき仮初の肉体を構築している」
アリスが隣にいたサタナエルの殺気に怯えて尋ね、その疑問に対してメフィストフェレスがそう答えた。
そう、サタンが本来地上を闊歩するなどあってはならない。そのようなことが起きるのはこの世の終わりである。それは神が裁きを下されるとき、とどのような宗教でも似たようなことが書いてあるものだ。
「そう、サタナエルのそれもアバターだ。彼/彼女の本体である恐るべき地獄の支配者は未だに地獄に眠っている。ここにあるのは彼/彼女が伸ばしたほんの少しの指の先でこねられた土くれの人形だ」
「ふん。人間と同じ土くれだ。それならば煩わしい神どもも気にはしない、だが、この姿であろうと貴様を100回以上殺すことは不可能ではないぞ、死にぞこないの魔術師?」
アレックスが補足し、サタナエルがそうアビゲイルを脅す。
「お前が本当のサタンであるならばその姿を見せよ。そうすれば私は頭を下げ、地に膝を突き、その権威に敬意を示そう。見せられるのであれば」
アビゲイルはそうサタナエルに求めた。
「いいだろう。その求めには私が応じようではないか」
しかし、それに応じると答えたのはアレックスだ。
「とくと見るがいい、古き黒魔術師よ。私が誰と契約しているかを」
アレックスのその言葉とともに魔法陣が浮かび上がった。アレックスたちがミネルヴァ魔術学園で習っている古代言語よりもっと古い言語で記号が記された魔法陣だ。それが複雑怪奇な幾何学模様とともに空中に浮かぶ。
「地獄の皇帝サタンよ、来たれ。『一つ目の頭』まで!」
そしてアレックスのその詠唱と同時に硫黄の臭いが立ち込め、獣の唸り声が聞こえる。低く、とても低い重音で、あらゆる存在に恐怖を感じさせる獣の唸りだ。
「まさか……本当に……」
アビゲイルがそう呟く中、巨大なドラゴンがその姿を見せた。
地獄の皇帝サタンだ。
「どうだね、アビゲイル女史? これはサタンのほんの少しの力を発揮させたに過ぎないが、それでも彼は地獄の皇帝に相応しい姿をしているだろう?」
「ああ。ああ。確かにその通りだ。申し訳なかった」
サタンを前にアビゲイルが深く頭を下げ、地面に跪く。
「やはり噂通りだな、アレックス・C・ファウスト。陛下を地上に自由に連れ出すことができるとは。一体お前は何を手に入れたというのだ?」
「企業秘密だ、メフィストフェレス。ただ特別なことはない。私は常に私なりにやってきただけだ」
「ふん」
メフィストフェレスがアレックスの答えに不満そうに鼻を鳴らす。
「これって凄いこと、なんですか? とてもやばい感じはするんですけど……」
「先ほど言ったように大悪魔ほど地上に出れない。サタン陛下ほどの力があってもだ。それをあの黒魔術師は捻じ曲げた。陛下を地上に召喚したのだ。あらゆる神が地獄に課した制限を全て無視する形で」
「神の力を無視したと……」
「そう、絶対に破られることがない監獄から囚人を脱獄させたようなものだ。それでも、まだ陛下は完全に地上に召喚されたわけではないが……。これならば完全に召喚されるときも時間の問題だろう」
地獄から地上へ悪魔たちが自由に行き来できれば地上は瞬く間に荒廃してしまう。だから地獄は地底深くに封印されているのだ。
しかし、アレックスはそれを無視して、よりによって最強にして最悪の大悪魔たるサタンを召喚して見せた。その事実にメフィストフェレスすらも驚きを示している。
「平伏しろ、死にぞこない。これで考えを改めたか?」
「はい。確かにあなた様は地獄の皇帝サタンでいらっしゃる。平伏し、認めましょう」
サタナエルがそう言い、アビゲイルが跪いたままそう言った。
「では、アビゲイル女史。我々のためにこの扉を開けてはくれないかね? 我々はまさにあなたの迷宮を必要としている。その理由はあなたにはよく理解できるだろう。まさに再び神の名を騙った魔術師狩りの時代が来ているのだ」
「ああ。教会は愚かだ。奴らは間違っている。この世に暴くべきではない知識などないのだ。全ての知識は暴かれるべきであり、我々は知るべきである。この世の全てを。この世ならざるものの全てを」
「そうとも、そうとも。知るべきだ。暴くべきだ。会得するべきだ。それが魔術師の存在する理由というもの」
アビゲイルの言葉にアレックスが頷きながらそう語る。
「ならば、この扉を開こう、若き黒魔術師たちよ。されど用心せよ。この迷宮には私が使役するものではない悪魔や死霊が住み着いている。そのものたちはお前たちを排除しようとするだろう」
「承知した。気を付けよう」
この学園地下の迷宮には悪魔や死霊が住み着いている。メフィストフェレスが言っていたように地下というのはこの手の存在が好むのだ。
「では、行くがいい」
そして、ついにアビゲイルが守護する扉が開かれた。
ずずずと不気味な音を立てて金属の巨大な扉が開き、その先に広がる暗黒の中に光がゆっくりと灯っていく。
「素晴らしい。ここが我々の拠点となるのだ。我々『アカデミー』の拠点に」
アレックスはその様子を見てそう宣言。
「行こう、諸君。いざ、この迷宮を制圧するのだよ!」
「ええ……? 今からですか? どれだけ広いかぐらいは分かってるんですよね?」
「まあ、それなりに広いね」
「それなりて」
いい加減なアレックスの答えにアリスが深々とため息をつく。
「最初から全部分かってしまっては面白くないだろう? 人生は分からないことがあるからこそ面白いんだ。この先に何が起きるのかとわくわくできなければ人生は空虚というものだよ」
そんなことをいいながらアレックスから扉を潜り、学園地下迷宮へと足を踏み入れた。続いてサタナエル、メフィストフェレス、アリスが同じく迷宮へ。
「ふむ。確かに下級悪魔やら死霊がうろついているな。その手のものには困りそうにない。それにマモンの気配がする。奴がこの迷宮の維持に力を貸しているというのであれば不思議ではないが」
「ああ。かの地獄の国王が影響しているからこそ悪魔や死霊がいる。ここはある種の異界だよ。地獄に似ている。君たち悪魔にとっては心地いいだろうがね」
「しかしだ。実に心地がいい」
アレックスとサタナエルはそう言葉を交わすと迷宮を進む。
「ここは掃除が必要だな。私の愛するアリスをこのような粗末な場所で過ごさせるなどあってはならない」
メフィストフェレスはそう言って中を見渡した。
迷宮の中はアドルフ3世記念講堂の続きのようになっており、時代が同じためか造りが似ている。石造りの建物で壁にはロウソクの明かりの代わりに魔術による明かりがともっていた。
しかしながら清掃が行われているアドルフ3世記念講堂と違って清掃は行われておらず、周囲には埃は深く積もっている。
「悪魔と死霊を従わせて掃除をさせればいいさ。問題は従わないものたちだ」
アレックスがそう言ったとき、前方から獣の唸り声が聞こえてきた。
敵意ある存在が現れたのだ。
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