素敵な恋人
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──素敵な恋人
メフィストフェレスは翌日から動き始めた。
「あれが君に口説き落としてもらうアリスだ」
「ほう。私好みの女性だな。実に魅力的だ」
物陰からアレックスがアリスを指さして言うのにメフィストフェレスが頷く。
「あの憂いを秘めた緑色の瞳を見るがいい。あのような美しい瞳で彼女は何を見ているのだろうかと考えずにはいられない」
「何を見ているもクソも明らかに本を見ているだろ」
メフィストフェレスが図書館で椅子に座って本を読んでいるアリスをそう評価するのにサタナエルがあっさりとそう突っ込んだ。
「ノンノン。違いますよ、陛下。本を読んでいるとき、人は文字を見ているのではないのです。文字の先にある景色を見ているのです。文字が生み出す豊かな感性の世界を見ているのですよ」
「貴様はアレックスにそっくりだな。親戚じゃないのか?」
メフィストフェレスが雄弁に語るのをサタナエルは白けた目で見ていた。
「君なら彼女をどう攻略するのか。見せてもらおう、メフィストフェレス」
「見ているといい、人間」
そしてアレックスたちの見守る中、メフィストフェレスが周囲の景色を眺めながらアリスの方へと向かって行く。
「あいつ、いつの間にか画材を持っているぞ」
「ふむ。何をするのやら」
メフィストフェレスはスケッチブックを抱えていた。
そして何やら図書館の中を周囲を見渡しつつ、アリスの方へと進む。アリスは本に夢中でまだメフィストフェレスに気づいていない。
「ねえ。あの方、教師の方かしら?」
「まあまあ。多分そうよ。美術教師ね」
「それにしても……」
メフィストフェレスは流石は幾人もの魔女を口説き落としてきただけあって、凄まじいイケメンである。どんな女性も彼を見れば黄色い声を思わず上げてしまうほどだ。
「彼には口説き文句など必要ないかもしれないね。あのツラで付き合えというだけで問題は解決するだろう」
「つまらん話だ」
「それでは彼自身も満足しないだろうから楽しめるだろう」
アレックスたちは物陰からメフィストフェレスの動向を見守る。
「失礼、お嬢さん」
「は、はい?」
そして、ようやくメフィストフェレスがアリスに声をかけた。
「よろしければ絵のモデルになってくれないだろうか? 私はメフィストという。新任の美術教師だ。臨時だがね」
「はあ……。って、絵のモデル……? 私が……?」
「そう、この図書館を見渡して君しかいないと思った」
思わずぎょっとした表情を浮かべるアリスにメフィストフェレスがぐいとそう押し込んでくる。
「まさに君はこの図書館においてきっちりとはまったピースだ。そう、宝石で彩られた王冠が美しい女王の頭にあるのが相応しいかのように、君にはその本と図書館があまりにもきっりとはまっている。実に美しい……」
「そ、そうですか? 照れちゃいますね……。へへっ……」
「そこでこの美しさを記録しておきたい。モデルなってくれるだろうか?」
「いいですよ。ええ。私でよければ……」
「ありがとう!」
メフィストフェレスがアリスの承諾を勝ち取った。
「ふむ。流石は女たらしで有名な大悪魔にしてかのルシファーの眷属。私だったら恥ずかしくてあんなセリフは吐けないね」
「ああ。見ているだけでうんざりさせられる。まだ俺も見てないとだめなのか?」
「これから面白くなるよ。何せまさに人をたぶらかす悪魔の絵だ。この手の話がどういう結末を迎えるのか。君には興味はないのかね?」
「ないわけではない」
「では、もう少し見守ろう」
渋々というようにサタナエルが残り、アレックスたちは監視を継続。
「えっと。ポーズとかは……?」
「そのままの君でいい。君は飾ることなく美しい」
「そ、そうですか? えへへ……」
アリスが本を読み続けながらちょくちょくメフィストフェレスの方に視線を向けるのにメフィストフェレスは一心不乱に鉛筆をスケッチブックの上で走らせた。
「君は絵に興味は?」
「あ、あります。いつか本の表紙とか挿絵とかを描いてみたくて……」
「なるほど。よければその点について助言しよう。お礼というものだ」
「うわあ。ありがとうございます!」
メフィストフェレスがにこりと笑い、アリスもぎこちないながらも微笑む。
「見たまえ、サタナエル。今回の件だけで終わらないように次の約束をちゃんと得ているよ。彼には本当に女たらしの才能があるようだ」
「ああ。ヒモの才能もありそうだな。紙と鉛筆だけで女を意のままとは」
アレックスたちは未だに覗き見を続けているが誰にも気づかれていない。
「できた。完成だ。素晴らしい。見てみたまえ」
そして、メフィストフェレスがスケッチブックをアリスの方に向ける。
「わあ……。これが本当に私……?」
「気に入ってもらえただろうか?」
メフィストフェレスの描いた絵は完璧だった。アリスはより美しく描かれ、それでいて図書館の風景も綺麗に写されている。
「もちろんです! これで完成ですか?」
「いいや。これからさらに清書をして色を付ける。数か月、あるいは数年の間。満足できるまでやるつもりだ。君の美しさを永遠に残すために」
「うへえ……。けど、なんだか嬉しいですね……」
アリスはすっかりメフィストフェレスに魅了されてしまっているようだった。
「ああ。私としたことがまだ君の名前を聞いてなかった。教えていただけるかね、図書館の君?」
「は、はい。アリス。アリス・ハントです。その、よろしくお願いします……」
「ああ。その名前は私の臓腑に、魂に刻み込まれた、アリス。私がその名前を忘れることは永遠にないだろう……」
「そ、そんな大げさな……」
そう言いながらもアリスは嬉しそうだった。
「うむ。見事なテクニックじゃないか。感服するね。まさに女たらしの中の女たらしだ。地獄にも彼の被害者がいるのではないかね?」
「ああ。低位のサキュバス程度なら引っかかるだろうな。だが、悪魔どもはそこまで馬鹿ではないし、人間のように己惚れてもいない」
「そうかね? それは彼にとって悲しいニュースに違いない」
地獄に存在する悪魔たちは自由に地上に出入りできるわけではない。特に階級の高い悪魔ほど地獄から出るのは大変だ。
本来ならば地獄の皇帝という最高位の悪魔たるサタンは彼が封じられたコキュートスから一歩たりとも外に出れないはずだ。それが地上に出ているのは異常事態である。
それはそれだけサタンの契約者であるアレックスの力が異常であることを意味する。
「では、これから絵について君に教えられることを話そう。どこか場所を変えないかい? この図書館は知識の宝庫というロマンチックな場所であるが、芸術はまた別の場所で語るのが相応しい」
「え、ええ。けど、この後授業があるのでまた今度で……」
「そうなのかい? それは残念だが君を引き留めるわけにはいかない。なら、連絡先を渡しておくとしよう。私は美術準備室で作品を仕上げている。いつでも来てくれ。君ならばいつであろうと歓迎する」
「は、はい」
アリスはメフィストフェレスからメモ書きを受け取っていそいそと図書館から退室。しかし、その表情はにやにやの笑みであった。
「見事に引っかかったね。見事なまでに」
「所詮はあの根暗も女だということだ」
「そのようだ」
アレックスは大して思うところもないようでサタナエルにそう短く返す。
そして、アレックスとサタナエルは引き続きメフィストフェレスの『ロマンス大作戦』を見守ることに。
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