第十六話「混沌の契約者」③
「状況報告! そろそろ……ジャマー魚雷のノイズが消える。体勢を立て直せ……急げっ!」
「センサー回復します……艦体姿勢安定……静音モード待機中。ですが、シルバーサイズ……見失いました。指向性アクティブソナーを使いますか?」
奇襲、少なくないダメージを負ったにも関わらず、速やかに立て直した上で、隠蔽モードで待機。
うん、蛍もちゃんと解ってる。
こう言うケースでは、目くらましをカマして、一目散に逃げるってのがセオリーだと思うけど、それをせずに目くらましの上でジッと動かない。
上手く敵の裏をかけたとは思うのだけど……この至近距離で見失ったのは痛い。
「見失ったか……。ひとまず限界深度まで潜行して、相手の下に付く。その上でアクティブソナーで敵の位置を再確認する……この様子だと、抜かれたのは、確実だろうけど、今ならまだ追いつける」
エーテル潜行艦戦のセオリー……基本は相手の下に付く事だと聞いている。
空戦とはまるっきり真逆だけど、潜れば潜るほど攻撃手段が限られていく上に、上から下への索敵は意外と難しい。
だからこそ、相手の下を取るというのが潜行艦戦では、セオリーとなる。
現状は、こちらが不利……損傷を受けたとは言え、ここはリスクを犯してても、潜るべき局面だった。
「申し訳ありません。佐竹提督からプライマリーコードによる緊急指令受諾……本艦は直ちに緊急浮上を実施します。遥提督は直ちに脱出準備をお願いします!」
操艦アタッチメントが次々とパージされていき、座席周りが装甲隔壁に覆われていく。
アタシら再現体でも、エーテル流体に晒されたら、10分程度しか持たない。
それ故に、再現体提督の生存率を上げるために、各艦にこう言った緊急脱出機構が備わるようになっていた。
このまま黙っていると、船外へ打ち出されて、エーテル流体面上で何も出来ず、救助を待つ身となる。
けれど、艦のコンディションはそこまで酷くない……佐竹提督はアタシの命の危機を悟って、脱出を最優先としたつもりなのだろうけど、今ここで戦線離脱させられるのは、極めてよろしくない。
……戦闘中に漂流なんて、洒落にならない! 勘弁して欲しい。
「蛍……緊急浮上は中止だ! 脱出シーケンスも中断! 180度回頭の上で、むしろ無音潜行するんだ! 今、狙われたら今度こそ、終わるぞ!」
「申し訳ありません。プライマリーコード発令中に付き、命令遵守します。敵艦影未だロスト中……危険な行動なのは、解っているのですが……」
こんな状況で緊急浮上とかやってる場合か! 完全に佐竹提督の指示が裏目に出てる。
ここは、せめて現場の判断に任せるべき局面……! プライマリーコードなんて、慌てすぎだろ!
「くっそーっ! 佐竹提督、何要らない事やってるんだ! ここでそんな事やったら、こっちにとっては自殺行為だってのに! とにかく、アクティブソナーを乱打して構わない! 周辺警戒を厳にしろっ! 敵を捉えないと逃げるのもままならない! 今はそれが最優先だ!」
蛍としては、板挟み状態なんだろうけど、一応アタシの言うことは聞いてくれた。
変調アクティブソナーによる探査情報更新。
「シルバーサイズ捕捉しましたっ! ……これはっ! 当艦を完全に無視して、伊10へ向かっています!」
「なんだって! つ、追撃を……牽制雷撃を放て! 今なら、伊10と挟撃できる。あいつは相当ヤバイ! 一対一なんて、伊10でも危険だ!」
「浮上シーケンスに入っているため、現在攻撃不能です。申し訳ありません……おっしゃる通り、現時点での浮上は明らかに悪手です……解ってはいたのですが……」
……これは蛍を責めるべきではない。
彼女は任務に忠実……それだけだ。
「なら佐竹提督へ警告をっ! シルバーサイズがそっちに行ったっ! 最大限の警戒を! どのみち、こっちの居場所も割れてるんだ……構わず、共鳴通信でホットラインを繋げっ!」
伊10との距離は30km程度。
途中から、距離を詰める為に、蛍が減速をかけたおかげで、伊10との相対距離は縮まっていたのだけど、まだまだその程度の距離があった。
戦闘の趨勢が決まった時点で、急ぐ理由も無かったのに……味方との足並みを揃えず、先走ったアタシのミスだった。
現状、下流にはこちらの援軍がひしめいている。
流体面下には、第九の主力……上にはグエン艦隊の先鋒駆逐艦群と天霧達。
この状況下……奴が強行突破を狙っているのだとすれば、第9艦隊を混乱させるためにも、ノコノコと先行してきた旗艦を沈めるのが、最善と判断するだろう。
敵の本命が伊10の撃沈だとしたら……敵の策にいいようにハマっている。
これはあまり良くない状況だった。
「おいおい、こっちに来やがったのか。遥ちゃんすまねぇ……完全に読み違えちまった。くそったれ、俺としたことが面目ねぇ……。蛍、プライマリーコードを解除するっ! 以降は遥ちゃんの指揮のみに従え、お前は彼女の命を守ることを最優先としろ、いいな? シルバーサイズは俺達が引き受ける……ここは任せとけっ!」
「蛍、了解しました。……現時点を以って、遥提督の指揮下に入ります。遥提督、浮上シーケンス中断の上で、シルバーサイズ追撃を実施いたしますか?」
現在の伊201の位置と、シルバーサイズの位置関係を再確認。
伊201の速力ならば、追いつけない事もないのだけど……問題は、伊201の受けたダメージと、正面側からジリジリと近づきつつあるデコイ群。
デコイも今は、何もしていないものの、実際に魚雷を撃ってきたのは確か。
一基のデコイが、どの程度の弾数を撃てるのか、不明確であるものの、このまま放置すると、突然後ろから撃たれかねない。
潜行艦にとって、真後ろは死角になる上に、アレはまだ生きている。
流石にこれは捨て置けない。
「いや、ここは追撃を諦めて、佐竹提督達に任せよう。……あのデコイが突然撃ってくるかも知れない。デコイ群の動きを警戒しつつ、下流方向へ回頭し、微速前進……せめて、後背から相手にプレッシャーをかける。現状、この程度の援護しか出来ないな。深度差がありすぎる……これだと、有効な攻撃手段もないようだね」
攻撃システムに割り込んで、各種武装による攻撃可否をチェックするのだけど、どれも攻撃不可のアラートが表示されてしまう。
「そうですね……。この伊201は小型艦のため、深深度戦に対応していませんし、船殻のダメージを考慮すると200m以深への潜行は圧潰の危険があります。シルバーサイズはすでに500mの深深度へ到達。ああなると、さすがに手が出せません」
「やむを得ない……追撃は諦めよう。今、こっちに天霧が血相変えて向かって来てるから、このまま浮上の上でアタシは天霧の救援を待ちながら、戦局を見守るとしよう。すまない、私は完全に足手まといになってしまっているね……。やはり、慣れないことはするもんじゃないな」
どうやら、この戦いでアタシが出来ることは、何もなさそうだった。
無線の向こうでは、天霧がギャースカ騒いでるのが聞こえてくる。
大人しく回収されないと、しばらく口聞いてくれないかもしれない。
「……賢明な判断ですね。私の力不足でもあります……不甲斐なくて、申し訳ありませんでした」
「気にするな。君もアタシも本格的な潜行艦相手の実戦デビュー戦だ。お互い、命があっただけみっけものさ……初陣で沈められるような艦艇や、初陣で戦死する再現体の例も数多く存在する。戦場の鉄則はとにかく、生き延びること……これに尽きるよ」
実際、さっきは死を覚悟した……潜行艦ってのは、エーテル流体の底で戦う以上、撃沈されると頭脳体ですら生還は危ういと言われている。
再現体では、まず助からない……座乗戦闘のリスクは通常艦艇の比ではない。
佐竹提督も伊201被弾の報でよほど肝を冷やしたのだろう……それを考えると、先の混乱もあまり責める気にもならない。
一方、伊10はシルバーサイズと対峙している。
相対距離は、まもなく20kmを切る……レールガン装備のエーテル空間戦闘艦だと、ここまで接近するともう目の前と言っていい。
後続とは、まだ距離があるため必然的に一騎討ち……伊10は大型艦だから、火力や潜行深度も伊201より優勢。
シルバーサイズよりも一回りは大きい……戦力的には互角以上のはずだった。
なお、現在の双方の深度は500mに達している。
エーテル流体面下の構造はよく解っていないのけれど、空間境界壁と呼ばれるエーテル空間の壁の底までは、深いところでは軽く5000mはあると言われている。
もっとも、今のエーテル潜行艦では、深度500mはほぼ限界深度。
エーテル流体の比重は海水よりも遥かに高いので、必然的に深深度におけるその圧力は、とてつもない数値となり、それはもはや海水圧の比ではない。
数値的には、海水の5倍相当と言うから、凄まじい圧力がかかっているはずだった。
エーテル流体は水のような性質を持つのだけど、組成的には液体金属に近い。
それ故に、潜行艦の船殻構造は、ガスジャイアントなどの大気圏下で、資源採掘に使われる耐圧採掘船などの構造を流用していると聞いていた。
もっとも、それら未来世界の技術を駆使しても、エーテル流体下2000m以深の深深度領域の超高圧力に耐えうる素材は見つかっておらず、超耐圧潜行船についても、今の所理論のみで実現は出来ていない。
なにせ、2000m以深の圧力係数は、地球上換算だと水深10000m相当……その上、ほんの僅かな隙間から漏洩し、内部から構造体を腐食していくエーテル流体……これが極めて厄介で幾多の挑戦者や実験船が失われる原因となっていた。
そのため、エーテル流体面下については、未だに謎が多いとされており、未知の先史文明の漂流艦やら巨大生物やら、様々なオカルトじみた噂話ばかりが流布していた。
とにかく、それがエーテル流体面下の実情である以上、深度500mともなると、もはや戦闘可能な深度ギリギリだった。
当然ながら、そこまで行くと流体面上からの有効な攻撃手段もないし、ソナーによる探知も怪しくなってくる。
シルバーサイズはひたすら潜っていって、すでにその戦闘艦の限界深度付近まで潜行していた。
「蛍……あの深度で使えるような武器って、何かあるのかい?」
「いえ、深度500ともなると、機雷や爆雷も圧潰して瞬時に自爆するのが関の山ですね。その上、500m辺りから重力係数が変化するので、魚雷も撃ち出すなりドンドン上に上がってしまったり、まっすぐ進まなくなります。専用設計の深深度対応魚雷や機雷でもない限り、有効射程が極端に短くなりますね……。当然ながら、お互い機動力も激減します……。艦内でも何もせずとも何処からともなくエーテル漏洩が起きますので、長時間の深深度潜行自体が無理があるのです。我々も深深度戦闘を想定した演習を行いましたが、危うく事故による未帰還者が出かける事態となりました」
うーむ、今いる深度100m程度でも十分、訳が分からないのに、深深度ともなるともう滅茶苦茶。
重力係数が変化するとなると、まっすぐ進むのも怪しいだろう。
ちょっと前までは、潜行艦なんて10mとか20m程度の深度で無誘導魚雷を撃ち合ってたらしいんだけど、そこからしたら格段の進歩とは言え、そんな所で戦闘しようなんて発想がそもそも間違ってる気がする。
けれど、そんな過酷な環境にも関わらず、伊10もシルバーサイズの意図を察して、深度限界近い500mまで潜行して相対している。
こうなるともはやチキンレース……先に音を上げて、上に逃げた側が一気に不利になる。
佐竹提督もなかなかどうして、肝が座ってるなぁ……。