プロローグ 「魔法を捨てた日」
俺、レオン・アークライトには、世界でただ一人の才能があった。
無詠唱魔法。
呪文はいらない。杖もいらない。思っただけで、魔法が発動する。
――そう、「思っただけで」だ。
五歳の冬。「今日は寒いな」と思ったら村の井戸が半年間凍結した。
七歳の夏。「星がきれいだ」と思ったら流星群を三日早めた。天文学者が三人引退した。
九歳の春。夢の中で巨大なプリンと戦ったら、起きたら領主の城がプリンになっていた。城は甘く、領主は泣いていた。
極めつけは十歳。くしゃみと同時に山がひとつ、隣の山と場所を入れ替わった。地図職人組合から正式に抗議文が届いた。
「レオン。おまえの魔法は強すぎる。強すぎて、誰にも――おまえ自身にも制御できん」
じいちゃんはそう言って、俺の左腕に古びた腕輪をはめた。
魔封じの腕輪。宮廷魔導師ヴォルフ様が、俺のためだけに鍛えてくれた特別製だ。
「これで、おまえはただの人間だ」
ただの人間。それがどういう意味か、俺はすぐに知った。
魔法を封じた俺は、弱かった。村の子供との相撲で十八連敗した。相手は六歳だった。
なら剣だ、と思った。騎士に憧れて剣を握った。
折れた。
二本目も折れた。三本目は鞘から抜いた瞬間に折れた。
腕輪でも封じきれない微量の魔力が、握った金属を疲労させるらしい。俺が剣を持つと、名剣だろうが聖剣だろうが、賞味期限切れのパンみたいにポッキリいく。年間六百本。王国の鍛冶組合に「歩く経営難」と呼ばれた。
途方に暮れた俺に、流れの老武術家が言った。
「――ならば、折れぬ得物で戦えばよい」
「折れない得物?」
「拳よ」
それから七年、俺は武を積んだ。
「空手」に相当する打撃武術、「柔」の投げ、「合気」の流し、「八極」の震脚、南方拳法、軍隊格闘術、古流の体術――大陸中の流派を巡り、学び、叩き込まれ、時々プリンにされかけながら(師匠の中に一人、俺の寝言で被害を受けた人がいる。本当にすまなかった)、すべてを修めた。
魔法なしの最弱は、拳ひとつで最強になった。
十七歳の春、俺は魔王を倒した。
素手で。
魔王城の最上階、玉座の魔王リリスは俺の正拳を受けて吹っ飛び、壁にめり込み、そして言った。
「……もういい。魔王やめるわ。あほらし」
こうして戦争は終わった。俺は英雄と呼ばれた。
――ここで終われば、めでたしめでたし、だったんだが。
凱旋式のあの日。王都の空が、裂けた。
落ちながら俺は思った。ああ、これ、絶対ろくなことにならないやつだ。
俺の信条はひとつ。
「魔法を使うくらいなら拳で戦う」。
その信条が、剣と魔法の世界より遥かに恐ろしい異世界で試されることになるとは――この時の俺は、まだ知らなかった。
その世界の名は、「法治国家・日本」という。




