71話
「ここが今日の宿なんだね」
「……申し訳ありません。あまり良い宿は」
「要らないよ。皆が作ってくれた宿に比べる方が酷な話だ。それにいつも贅沢をしていては庶民の心を忘れてしまうだろ」
別に贅沢な食事なんて俺は求めてはいない。
求めている事があるとすれば美味しい食事くらいだ。それが贅沢な悩みと言えば、それまでの話でしかない。ただ、美味しくない食事を望んでいる人なんていないだろう。高級品でなければ美味しくないなんて馬鹿げた思想も持ってはいないし。
だからこそ、こういう昔ながらの宿屋は寧ろ大歓迎だ。市場調査にもなるし、高級宿以外の情報だって得られる。宿屋を経営している身としては情報や知識程に必要となってくるものはありやしない。
「それに何が待ち構えているかなんて見てみないと分からない。本当に必要な事は、こういう所にこそ」
「いらっしゃいませ」
その顔を見た瞬間に心臓が止まった気がした。
一瞬……というには、長い程の呼吸が止まる感覚があった。いいや、そんなものは当たり前の事だろう。だって、目の前に現れた女の子は嫌という程に夢に現れてきた少女なんだ。勝手に記憶を失っておきながらも律儀に現れてくれた……アイに似過ぎている。
「あの……なにか、ありましたか」
「い、いいや……綺麗な顔に見蕩れてしまいました」
「……私より幼いのに何を言うんですか」
見た目からして十六歳とか、だろうか。
まぁ、この世界の人達って老いも若いも魔力によって見た目が変わるから何とも言えないけどさ。仮に六十歳だと言われても信じてしまうね。いやいや、一介の街娘がそれだけの魔力を持っている訳もないから流石に分かるか。それに六十歳のレディが金髪ツインテールとか……それはそれでアリかもしれないな。って、そうじゃない。
「あ、あの……名前を、聞きたいです」
「……私はマシュ。それ以外にはありますか」
「いえ、ありません。ただ、余計にここに泊まりたくなりました。マシュの顔を見て確実に良い宿だと思いましたからね」
名前を聞いた瞬間に明確に心の奥が跳ねた。
分かっている……鎖だ。門の奥にいる本物の俺が出せと叫んでいるんだ。それだけの存在が騒いでおきながら放っておくなんて出来る訳もない。小さく深呼吸をして目の前の少女の目を見詰める。
瓜二つと言ってしまうのは女の子相手に失礼なのかもしれない。ましてや、比較対象は元カノのような存在だ。それでも……本気で見蕩れてしまうような美しさがある。記憶の中にあるアイと差異の無い少女が確かにいるんだ。転生した存在だと言われても信じるだろう。そのレベルで似過ぎている。
「……変な子、でも、悪い気はしません」
「あはは、よく言われます」
「ただの世辞よ。……それで宿泊料金は」
別に金額に関しては気にしてはいない。
腰に下げた麻袋から一つの袋を取り出す。当たり前だけど空間魔法を併用しての行動だ。仮に麻袋を奪われたところで何も無い。……でも、テーブルに置いた袋の大きさからして、宿を営むのならば意味くらいは分かるだろう。
「二泊三日、これで足りますよね」
「……成金か、貴族なの。それなら」
「これは僕の稼いだ金ですよ。ほら」
ミカンとしての偽物のギルドカード、それでも普通ならば見合わないランク帯である事には変わりないだろう。それに金貨と銀貨が入っているだけの麻袋なら依頼を熟すだけでどうとでもなる。そのやり方が普通の人には出来ないだけだ。
それと、もう一つ多く出した理由がある。
遠回しな脅迫……俺の事は誰にも言うなよ、という意味合いにもなるだろう。訳ありな客だと分かれば他の宿に止まらない理由にもなるし、ナンパしている事にも適当な理由を見付けてくれるはずだ。
「……その歳で、すごいですね」
「マシュに逢うためですから」
「すごいね……私を口説くなんて愚か過ぎて何も言い返せませんよ。私は」
「おいおいおい! コイツはどういう事だ!?」
奥から酒の臭いに塗れた男がやってきた。
着ている服はボロボロで見るからに捨てる一歩手前だ。髪はボサボサで髭すらも見ていられない程に生え揃っている。皺とかの少なさからして三十路には至っていなさそうだけど……でも、そう見えてしまうくらいには酷い姿だ。
「言ったよなァ! マシュ! もう客は取らねぇってよォッ!」
「……アンタには関係の無い話よ」
「連れねぇなぁ! この宿は俺のおかげで!」
いきなり、迫ってきてマシュの肩を掴んだ。
俺と影信には少しも視線が行かないあたり、本当に興味が無いんだろうな。まぁ、愛情の縺れなのかなんなのかは知らないけど、傍から見れば暴漢に襲われている可憐な少女でしかない。そのままにしていても面倒だし対処はしようか。
「うるさいな」
「アァ!? ガキが何を───!」
「汚いな……唾が飛んでいるぞ」
男の唾とか、かけられるなんて最悪過ぎる。
じゃあ、女の子の唾ならいいかと聞かれれば肯定出来はしないけど……せめて、エルやリリーが相手で許せるかどうかだ。だから、今まで他人に飛ばしてきた分くらいは受け止めろよ。出てきてから飛ばしてきた唾は全て溜めてやったんだ。
「はァ……!?」
「手加減してやったんだ。次は殺すぞ」
唾を圧縮して胃へと一気に流し込んでやった。
水が通るとかの感覚ではないだろう。だって、流れていく時の速度はかなりのものだし、形状だって変化させているんだ。ズタズタに引き裂かない程度には食道が酷い目になっているんじゃないかな。まぁ、加減したから気にしなくていいか。
「アハハ、冗談ですよ。でも、既に宿は取った身ですので兎や角と言われる筋合いはありません。こう見えても私は邪魔をされる事が大嫌いですので」
「さっさと消える事ですね。それとも……次は私が裁きを与えるべきでしょうか」
「それは……まさか! SSSランクの証か!?」
「ええ、旧友からの贈り物です」
おーおー、驚く程に真っ青になっているな。
ただ、その首飾りに関しては俺も初めて見た。決まりとしては聞いていたけど出会う事自体が稀なものだし、当たり前か。確か、冒険者ギルドの最高ランクであるSSSに至った者やパーティメンバーには特別な魔道具が渡される、だったかな。
「アガシャの瞳……少しは知見を持つべきですよ」
「……チッ!」
影信の威圧に当てられたのか、戻っていった。
何とも可哀想な話だ……確かに強い事は知っていたけど、最高ランクの人間が現れるなんて誰も予測出来ないだろう。ってか、俺も今し方、初めて知った事だし。それにアガシャの瞳という物にも聞き覚えがある。確か───
「今日は早く休みましょうか……あまり、気分が優れません」
「……そうだね! マシュ! 鍵をくれるかな!」
「は、はい……どうぞ」
教えたとはいえ、踏み入って欲しくは無いんだ。
だから、俺も知らないフリを続けよう。それが優しさだとは言えないだろうけど……今の影信にするのは酷な話だ。ただ今は彼の孫として接してあげるだけ、それなら誰も否定はしないだろう。
そこからマシュに粗方の説明を受けた。
影信だけ、先に部屋に向かわせて休むように命令しておいたから問題無いだろう。食事は本来なら食堂で食べるそうだが、今の一件で難しいだろうからと持ってきてくれる約束をしてくれた。何でも今の男は料理長らしいから、そも食堂に入れてくれるかも分からないらしい。
「……私が代わりに作ります。だから、安心してください」
「マシュの食事が食べられるなんて! 楽しみにしておきます!」
この子は頭が良いんだろうな。
だって、俺が考えていそうな事を察して先に口にしてくれた。先程の変わらない言い方をしたのは怒っていない事を伝えるためだ。それが分かっているからこそ、表情も少しだけ和らいだのだろう。逆に俺としては変に首を突っ込んでしまった事を謝罪したかったけど……まぁ、いいか。
名前だけ見るとピンクの片目女子が出てしまうのはアニメ文化に毒され過ぎている人ですね、私も同じです。個人的には酒呑ちゃん一筋ですので対戦よろしくお願いします。
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