1 婚約破棄のちゾンビ
「なんで、なんでホーリーライトが効かないのよぉっ!」
半泣きで少女は必死に廊下を駆けていた。
白いドレスの裾を踏み、よろけながらも振り返り、精神を集中させる。
「せ、せ、聖なる光よ、穢れを――
ホーリーライト!」
眩い光が弾けた。
だが、次の瞬間。
「……え?」
光を真正面から浴びたそれは、一瞬動きを止めたが、それだけのことだった。すぐに何事もなかったように動き出した。歯をむき出し、意味を持たない声を上げながら。
「うそ……や、やっぱり効かない……?」
「だから言ったでしょう!」
少女の腕を引き、強引に走らせながら、もう一人の、金髪の少女が叫んだ。
「あれはアンデッドじゃない! ゾンビよ!」
「ええ!? ゾ、ゾンビ!?
なんですかそれ、聞いたことありませんけど!?」
「説明してる暇はないわ! とにかく逃げるのよ。走りなさい!」
逃げる2人の少女の足音に反応したゾンビたちがワラワラと寄ってくる。
いくつもの悲鳴が沸き起こる中、2人は確実に包囲され始めていた。
――数十分前。
「ミランダ·ヴァイス。お前との婚約を破棄する」
王立ラグーン学園の卒業パーティーで、ミランダ·ヴァイス侯爵令嬢は突然の宣言に動揺を隠せなかった。
「ラブト殿下。突然、なにをおっしゃるのですか?
婚約破棄?
私との婚約を破棄と申されましたか?」
「そうだ。
お前のわがままに振り回されるのはもううんざりだ」
「わ、わがまま?
私がどのようなわがままをしたと言うのですか」
ラブト王子はやれやれと首を横に振り、その髪をかきあげ、ミランダを睨みつけた。
「全くもって身に覚えがないとは。
イチイチ数え上げる気もないが、学園生活のあらゆる場面で、お前はわがままを重ねたただろう」
「いえ、そのようなことした覚えは……」
「極めつけは!」
ミランダの言葉を無視してラブト王子の断罪は続く。
「我が聖女クレアに対する嫌がらせ!」
「えっ? えっ? クレアさんへの嫌がらせ?」
ミランダは混乱したように口を閉ざす。一方、ラブト王子は止まらない。むしろ饒舌さが加速する。
「クレア。我がクレアよ、こっちに来てくれ」
王子が手を差し伸べた。
その優雅な仕草に卒業パーティーに参加している全ての生徒たちの視線が誘導される。その先には白いドレスで身を包んだ1人の少女がいた。
聖女クレアであった。
「え? え? わたくしですか?」
突然名前を呼ばれたクレアは顔を上気させ、もじもじとしていたが王子の近衛兵に背中を押される格好で王子の横に並んだ。
満足そうに王子は頷くと再びミランダへ向き直る。
「ミランダ。貴様はこの神から選ばれた聖女クレアにすら公然と嫌がらせをしたと言うではないか。
聞いたぞ。先週、クレアが階段から落ちて足を挫いたそうだが、あれはお前がクレアを突き落したそうだな?
これは明白な神への冒涜である!」
ミランダは全身の血が下がるのを感じた。
聖女クレアが足を挫いたことなど今初めて知った。
身に覚えのない断罪に、釈明しようとすると口を開くが、言葉が出てこない。
「よって、私は学園の秩序を守るためにミランダを断……」
「きゃああ~」
断罪する、と言う王子の言葉は突然上がったけたたましい悲鳴に掻き消された。
大扉が勢い良く開かれたかと思うと3人の男女が転がるようにパーティー会場に飛び込んできた。
「た、助けてくれ〜」
足をもつれさせ転んだ男子生徒が顔を上げ、叫んだ。
顔や服に血がついていた。
その姿を見た時、ミランダは変な感覚に襲われた。
なにか頭から魂をちょっと引き抜かれた。自分が自分ではないような、あるいは自分ではない何者かが自分の体にいるようなそんな不思議な感覚だった。
大扉が再び開くとバラバラと数人の男女が乱入してきた。
先ほどの生徒とは一目見て違うと分かった。
口から泡を吹き、目を剥き、ビクビクと体を小刻みに痙攣させながら意味不明な唸り声を上げていた。
異常者。いや、異常者ではない、これは……
ミランダは雷に打たれたように体をビクリと震わせた。
強烈な既視感。
もっとしっくりする表現があった気がするが思い出せない。
「う、うわぁー!」
乱入してきた異常な生徒の1人が躊躇なく近くにいた生徒に飛びかかり、噛みついた。
「えっ……これって……」
ミランダは息を飲む。
人が人に噛みつくなど初めてみる光景……のはずなのに何故か見たことがある気がした。
それも何度も何度も。
「痛い……」
こめかみが激しく痛んだ。
「うわっ?!」
「お、おい! 止めるんだ!」
「どうなってるだ、これ? なんだ、なんだ」
後から乱入してきた生徒たちはみな、近くで呆然と立っていた生徒に見境なく襲いかかっていった。
何人かの生徒は力を合わせて襲われている生徒を助け出し、襲いかかってきた生徒を組み伏せようと必死になっている。
「うわあぁあ」
助け出された生徒が突然叫んで、体をぐねぐねと動かし始めた。
まるで異様なダンスを踊っているようだ。
助け出した生徒たちが驚き、思わず一歩後ずさる。
体をくねらせていた生徒がぴたりと動きを止めた。
と、ぐるんと白目を剥くと口を開き、獣が威嚇するような咆哮を上げた。
「きしゃあ〜」
噛まれた生徒が、数秒で“別のもの”に変わる。
それを見た瞬間、頭の奥で何かがはじけた。
ミランダは小さく呟く。
「これ……ゾンビだ……」




