行ってきます
窓から日差しが差し込んでくる。朝だ。
詠治はそれを明かり代わりにして、卓袱台の上で書き物をしていた。と言っても、執筆にそう時間を要するものではない。便箋に定型句を埋めればいいだけだ。
彼は、退学届けをしたためている。
宮上魔導学校を、辞めるのだ。
悩まなかったと言えば嘘になる。苦労して知識特待生として認められ入試をパスしてやっと入った一流の魔導学校だ。そこを自主退学するなど、前代未聞だろう。
遅れを取ることは間違いないが、別の学校へ入学しなおそうと考えている。今度は普通科のある高校だ。魔導とは無縁の、非魔導士たちが集まる学校。
詠治が狙っているのは公立の単位制高校で、途中入学が認められているのが特徴だ。何より、授業料が破格の安さなのだ。入試はあるが、知識特待生の詠治は普通科目ももちろん優秀な成績、風邪でも引かない限り落ちることはない。
宮上魔導学校には、もう何の魅力も感じていない。本当は、高校にもさして行きたいとは思っていない。
ただ、それでも高校はどこでもいいから卒業しなければならなかった。高校卒業資格がなければ、専門学校へは入学できないからだ。
詠治はちらりと視線を横に泳がせる。
畳の上に、調理師専門学校の入学案内が開かれた状態で放られている。
自分が誇れるものとは何なのか。
突き詰めて考えていくと、答えは決まってユリアのあの言葉が脳裏に蘇る。
何かを生み出す、それはまさに奇跡です
誇って、いいのですよ
ならばその奇跡を、もっとたくさんの人に見せて、魅せたい。
僕が生んだ卵を美味しく料理し、それで喜んでもらう。
ユリアがいつも食事のたびに、顔をほころばせていたように。
そんな店を、いつか出す。
その想いを胸に秘め、詠治は大きな進路変更を決意したのだ。
卵料理だけでは厳しいだろうし、第一詠治の魔力ではそこまで多くの卵は産めないから、必然的にほかの料理も学ばなくてはならない。でも、それもまたいいだろう。レストランのショーケースを眺めるユリアみたいな客をつかむには、品数は大いに越したことはない。
考えるだけで、彼の心は躍った。
当初は宮上魔導学校を辞めてすぐに入学しようとしたが、高校卒業資格がなければならないというわけで、遠回りなようだが別の普通科高校への道を模索することにした。宮上魔導学校卒でも問題はないが、これ以上、魔導の勉強をするのは無駄だと思い、詠治はそれまで積み上げたものを切って捨てた。
――もう、アースガルズにも興味はないしな。
ユグルズ事件。
レキ・アースガルを中心とした『真夏の雪』再来計画は、あれから一ヶ月が経った今、このように呼ばれている。
あの時ユリアを取り囲んでいた聴衆は、詠治の予想通り非魔導士の人々や魔女の血が薄い連中だった。その中に宮上家の者がいたという噂もある。
アースガルズが『真夏の雪』再来の情報を一部に向けて流したという。しかもあの場にいた半数近くの人間は魔法反対同盟グレムの人々だった。彼らがこの事件のことを公にして世に一気に広まったのだ。魔粒を浴びそこなった腹いせとも取れる。
これを知ったとき、詠治は心底呆れ果てた。お前らには誇りがないのか、と。
ユグルズ事件によって世の中に僅かだが変化が訪れた。公示結社アースガルズによる情報支配体制への疑問だ。それがユグルズ事件をきっかけに、公然と人々の間で語られるようになった。詠治にしてみれば今さらかよ、と鼻で笑うところであるが。
明らかになった歴史の新事実。
それとこれが何よりも致命的だった。レキが口走った『あらゆる情報を手にし、なければ作り出すっ!』という発言。
何せあの場には延べ千人以上もの目撃者がいた。証拠としては十分すぎる規模である。今まで配信してきたものは全て嘘だったのかと人々に問われるのに、そう時間はかからなかった。
レキは『本社の経営を手伝う』といういかにも即席ででっち上げたような理由で、母国スウェイデンに帰国した。公示結社アースガルズ日本支局では、次期支局長に誰を任命するかで水面下の攻防が繰り広げられているという。
ユグルズ事件の裏では魔導省も関与していたのではないかという憶測も飛び交い、ジパングのエネルギー政策に転換期か? などという見出しでニュースを飾る弱小ニュースサイトも最近では多い。
何かが変わろうとしている。そんな予兆を誰もが感じている。
そしてそれは詠治も同じ。
もっとも、彼の場合は自分自身の変化だが。
――よし、できた。
書き終えた退学届けを封筒に入れ、スクールバッグに放り込む。それから部屋着から制服に着替え、卵かけご飯をかきこんだ。
――なんだかなぁ。
詠治は苦笑する。
最後の登校ではあるが、特にこれといって感慨深くなることもなかった。狭い四畳半に貧相な朝食。いつもの朝である。
けれど、もし今ここにユリアがいたら、彼女はきっと目を見張ることだろう。部屋の片隅に立てかけてあるアコースティックギターを見て。
バイト代を少しずつ溜めていた貯金をはたいて買ったそれは、まだ昨日買ったばかりの新品だ。弾き方なんてさっぱりである。
――吟遊詩人になりたかった――
ユリアの願いが、詠治を動かした。以前だったら、無駄なことだと見向きもしなかったに違いない。
――高校に入学したら、軽音部にでも入って練習するのもいいかもな。僕にかかればギターくらい、三日もあればマスターできるだろう。新入部員である僕の成長速度の速さに、部員たちは度肝を抜かれるぞ。
そんな想像を巡らせ、詠治は一人静かに笑った。
笑う。
そんな何気ない表情の変化に、詠治は少し驚く。
なんだかユリアに見られているような気がして、詠治は慌てて取り繕うように「フンッ」と鼻を鳴らした。
携帯電話の時計に目をやると、もう家を出る時間だった。詠治はスクールバックを手に持ち、三和土で靴を履く。
振り向いて、言った。
「行ってきます」
――行ってらっしゃい、エイジ――
初めまして、作者のカカオです。
このたびは本作『夜型の騎士と血の足りないニワトリ』にアクセスしていただき、ありがとうございます。
今作はもう一年以上前に書いたもので、推敲しつつのアップとなりました。簡単にいくかなーと思いきや案外時間がかかってしまったのは僕の力不足です。はい。
執筆当時は、原発の問題や節電など、エネルギーに関するニュースが多く、僕もまたそれに関心を寄せていました。その結果がこの物語に登場する魔粒や魔女の血ですが、結局エネルギー問題については物語中でも解決できなかったのだが悔いといえば悔いかもしれません。
ただ、僕ごときがエネルギー問題を解決させるような物語が書けるのかというと、それもまた甚だ疑問ですが(苦笑)
今回はどちらかというとエネルギー問題に際してよく取り沙汰された『責任の所在』をピックアップした形を取りました。
東○の社長さんとか、ね……。無責任な上の方々を見るにつけ、こんなのばっかじゃイライラするぜ!
という思いから、いささか責任感が強すぎるユリアが誕生した次第です。ちょっと悲しい終わり方かもしれませんが、僕はこれがベストかなと思います。
ユリア曰く、本来彼女は現代にはいないはずの存在なのですから。
重ね重ね申し上げます。
本作にアクセスしていただき、ありがとうございました!




