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後編

「……っていう、ことなんですのよ、アンジェリーナ様!」

「まあ、何て酷い! 女性を利用するだけしておいて、用済みになったらそれとは! 男性の風上にも置けませんわね!」


 と、わたしたちはカフェの一角に座って楽しくおしゃべりをしています。多少、演技じみてお嬢様口調になっているのは勘弁して欲しい。

 わたしの目の前にはアンジェリーナ、その横にはランドルフ様。

 テーブルの上には美しい花の模様の入ったティーカップ、スコーンやサンドイッチの乗ったケーキスタンド。最近、街で流行っているという噂のフルーツたっぷりのパンケーキの皿もある。

 美しい刺繍の入ったテーブルクロスも、店内の内装も何もかも優雅な感じ。これなら女の子が気に入るだろうといった店構え。店員である人たちの服装も、一流の仕立てと思われる洗練されたデザインだった。

 だから当然、カフェの中は貴族だと思われる女の子たちでいっぱいだった。


「凄いな……」

 ランドルフ様の肩が震えている。笑いだしそうなのを必死に堪えているといった様子で、ティーカップを持つのも難しいらしい。さすがにお嬢様口調がわざとすぎただろうか。

「いや、別に『そういう』趣味をどうこう言うつもりはないが、君という美しい婚約者を手にしたというのに、裏ではずっと裏切っていたというのはね。同じ男として許せないよ。婚約破棄は正しい。君は間違っていない」

 ランドルフ様もノリノリである。

 わたしたちの目論見を聞いて、彼も手伝ってくれることになったのだ。だから、こうしてカフェに来ているというわけだけれど。

「あら、美しいだなんて」

 思わずにやけつつそう言うと、ランドルフ様の目に少しだけ真剣な光が灯る。

「嘘じゃない。君は子供の頃よりずっと、美しくなった」


 ――あらやだ。


 思わずわたしは、はしたないかもしれないけれど、テーブルの下でアンジェリーナの靴のつま先をつついた。

 もう、いつの間にあなたのお兄様はこんなに口が上手くなったの? って言いたかったのだ。

 アンジェリーナがふっと笑う。何となく意味深な笑みだ。


 ランドルフ様の趣味というのは、剣だ。

 わたしが幼い時、アンジェリーナの屋敷であったお茶会に招待されて初めてお邪魔した時に彼と会った。彼はまだ十歳そこそこ、わたしたちはそれより幼かった。

 アンジェリーナの屋敷には名のある剣士が師範として呼ばれていて、その人と訓練しているのが見えた。身体を動かすのが好きな彼は、あまり口が上手い方じゃなかった。でも、真面目に訓練している横顔が格好よかったことを覚えている。

 だから、こうしてみると時の流れを感じる。

 大人になったなあ、ということ。


「君の婚約者……いや、もう婚約破棄したのだから元婚約者、か。彼の節穴である目を笑ってしまうね。彼が手放したものの貴重さを、後で知るといいが」

「あら」

 ちょっと言いすぎじゃない?

 そう思うけれど、わたしたちのさっきまでの会話がそこそこ近くのテーブルの辺りに届いているようで、何気なくこちらを見てくる少女たちの多さったら。


 ああ、どきどきする!


 もっと聞いて! で、噂を広めて!


 そう心の中で叫びつつ、ランドルフ様に微笑みかける。

「わたし、これでも頑張ってきましたわ。アーネスト様の力になるべく、勉強も、剣も」

「ああ、努力している姿を見てきたよ。ずっと、昔から」

「ええと……」


 えーと、だんだんその瞳に熱がこもっているように見えてきたんだけど、どうして? 噂を広めるために、ちょっと演技をしているだけだったはずなんだけど。

 だんだんわたし、椅子に座っているというのに居心地が悪くなってきた気がする。

「君の兄さんとも長い付き合いだ。だから、色々聞いてきた」

「あら、どんなことでしょうか」


 お兄様から何を聞いているのか、気にならないはずがない。どうせ、あのシスコン兄のことだから、うちの妹が尊いとか、妙な誉め言葉ばっかりなんだろうけど。

 でも、自分の評価というのは知りたいものだ。


「君が剣を習い始めたきっかけとかね」

 そう微笑んだランドルフ様は、そっと手を伸ばしてきた。わたしがテーブルの上に置いていた手のひらに上から重ねるように。

 ちょ、ちょっと待って。

 え、これはどうしたらいいの?

「君の兄さんは子供の頃、身代金目的の男たちに誘拐されそうになったろう? 屋敷の者たちが必死になって救い出したようだが」

「え、はい」

 そうだ。

 それは、忘れもしない事件。

 わたしは壊れた馬車を前にして、お母様の悲鳴を聞いていたと思う。お茶会か何かに招待されて、側近と共に帰るはずが、途中で武器を持った男たちに襲われたのだと言う。

 あの怒涛のような一連の流れを、ただ震えて見守るしかできなかった無力な自分。

 悪漢から救い出されたお兄様は、顔を殴られて気を失っていた。お兄様は幼かったし、わたしだってそうだ。でも、大切な人が暴力を振るわれたという事件は、わたしに大きな不安を与えた。

 大切な人だから守りたい。

 強くなりたい。

 そう思って、わたしはその後から、お兄様と一緒に剣を習い始めたのだ。自分の身を守るために、という口実だったけれど。でも実際にはお兄様に何かあったら、自分も助けにいくのだと心に決めていた。


「君が家族を誰より愛していることを知っている。君は愛する者を守るために強くなろうとした。女性として美しくなるだけじゃなく、教養を得るための勉強をするだけでもなく、怪我をすることすら恐れず剣も習い、自分自身を磨くことに励んだ。そんな君の姿が、とても眩しいと感じていた。君の強さがとても好きだった」

「え、あの」

「だから、正直なところ、君が婚約したと知って悔しかった。手に届かないと気づいても、どうすることもできない無力さを恨んだ」

「あ、あの、その」

 わたしはおろおろと辺りを見回した。

 そうしてみると、改めてこちらが他のお客さんの注目を集めていることに気づく。

 すると、一気に自分の顔に血が上るのを感じた。目元だけじゃなく、耳まで熱い。どうしよう。


「婚約破棄というこの君にとっては重大な傷を負った時に言うべきではないと解っている。それでも、少しでも早く伝えたいと焦ってしまう。すまない、ミルドレッド」

「いえ、あの」

 さらに、わたしの手の上に置かれた彼の指先に力が入る。それで、彼が見た目に寄らず緊張しているのが伝わってきて、わたしも――彼が冗談ではなく本気で言っているのだと理解してしまった。

「君は強い女性だ。鋼のように強く、それでいて弱いところもある。それを、幼い頃から見てきて知っている。君が兄を助けようとするのと同じように、婚約者の男を守ってやりたいと頑張ってきたのも知っている。でも、私は」

「ランドルフ様?」

「そんな君を守ってやりたいと思う。私だったら、君を守ってやれる。その自信がある。だから、これから一緒に隣を歩いてくれないだろうか」


 そこで、彼はわたしの手をそっと取り上げると、軽く引いて指先に口づけた。

 その感触が伝わった瞬間、とうとうわたしの思考能力が完全に停止したのを知った。


 ――あああああ、待って待って待って!


 色々と限界です!


「答えはゆっくりでいい。いや、あまり待たせられると心が保たないからそれなりに、で頼む」


 ――どっち!?


 でも。

 わたしはランドルフ様の真剣な顔と、その隣に座って優雅に紅茶を飲んでいる長年の親友、アンジェリーナを見て。

「ええと……その、前向きに、というか。その、よろしくお願いします、わね?」

 と、頭を下げてしまったのだった。

「無理せず、いつもの砕けた口調でいい」

 ランドルフ様はそう言って、子供の頃によく見かけた無邪気さを含む笑みを見せてくれた。え、何それ尊い。って、尊い!? しっかりしなさいよ、わたし!


 何が何だか解らないうちに、カフェの片隅で恋愛小説の一幕みたいなことをやってしまったわたしたち。頭の中がぽわぽわしていたわたしは気づくのが遅れてしまったのだが、わたしたちのやり取りは随分と貴族の子女たちに伝わってしまったようで。


 気が付いたら、元婚約者であるアーネスト様と、その恋の相手であるシリウス様は色々な場所で腫れ物扱いされてしまっているようだ。彼の狙い――高価な林檎酒の生産地と酒造を奪ったら離縁するという考えもさりげなく広まったみたいだし。

 だから、女性たちからは「あれが噂の」とひそひそされ、男性からも奇妙な目で見られつつ遠巻きにされ、友人もかなり失ったと聞く。かわいそうに。もちろん慰謝料はがっぽりもらいました。ざまあ。


 わたしの兄のリチャードはシスコン魂を発揮して、「妹にもう手出しするとは!」とランドルフ様と決闘まがいの剣の手合わせをしていた。そしてお兄様が負けた。うん、知ってた。身体つきもそうだけど、剣の腕はランドルフ様が凄すぎるから仕方ない。

「お兄様は悲しい。やっとお前が私の手元に返ってきたと思ったのに」

 と、剣で負けてがっくりきているリチャードがわたしを抱きしめてきたので、とりあえず頭を撫でておいた。

 リチャードはわたしが剣を習い始めた理由を知っているし、それゆえ、わたしのことも大切にしてくれる。妹を守るのは自分なんだ、とずっと言い続けてきた。だから、婚約が決まった時は凄くショックだったらしいが、それでもアーネスト様に「大切な妹なので泣かせないでください」と頭を下げたんだという。

 それを見ていた執事が後でこっそり教えてくれた。

 だからきっとまた、ランドルフ様にも同じように頭を下げるんだろう。大切な妹をよろしく、と。

 うん、お兄様、わたしもお兄様のことが大切だし、好き。

 こうして彼の頭を撫でていると、気の弱い大型犬みたいで可愛いと思ってしまうのだから、わたしもブラコンかもしれない。


 でも、何となくだけれど。

 ずっと大切な人を守るために頑張ってきたけれど、逆に誰かに守ってもらえるって凄く幸せなのかもしれない、と気づいてしまったわたし。

 ランドルフ様のことは、今までアンジェリーナの兄としか思ってなかったし、むしろ第二の兄、みたいな感じだったのに今は――。


 アーネスト様みたいな顔だけしか取り柄のない弱い男よりもずっと、好きになれそうだと思ってしまって、妙に胸がざわつくのだ。

 それに、アーネスト様のことは心の中からすっぱり消えてしまって、わたしの頭の中にはランドルフ様がほとんどを占拠している。これが俗にいう『女心と秋の空』というやつだろうか、と他人事のように考えてしまった。


 まあ、後でアンジェリーナから「計画通りね」と微笑まれて、何が計画通りなんだろうと疑問に思った。どうも訊いたらいけない気がして、それでもさりげなく水を向けると。

「ごめんなさいね。実は、アーネスト様の不貞……というか、本命が他にいるって知ってたの」

「え?」

「大切な親友の婚約が決まったんだもの、どんな相手なのか調べるのは普通でしょ?」


 ――いや、普通じゃありませんが。


「そして、彼があなたを食い物にしようとしているのも知ったから、何とかしようと思って手を回したの」

「はいぃ!?」

「アーネスト様が頭の中が軽くて助かったわ。わたしの手の者に『真実の恋を貫かないなんて不幸だ』ということを吹き込ませたら、あっさりああなってくれたし。アーネスト様の本命の彼だったら、上手くいかなかったでしょうね」


 そこで、わたしの背中に冷たい汗が流れた。

 ああ、そうか。

「……感謝してるわ、アンジェリーナ」

 わたしは思わず、居住まいを正して彼女に頭を下げた。「あなたがいなかったら、わたし、とんでもないことに巻き込まれていたんでしょうね」

 わたしの父はやり手だし、もしもアーネスト様が領地を乗っ取ろうとしても上手くいったとは思えない。ブラコン兄だって父にしごかれて次期当主となるべく頑張ってる。ああ見えて、兄も優秀だ。

 わたしだって、万が一そんなことになったら全力で敵を潰しにいくし。


 とはいえ、身内に敵がいる状態になれば何が起こるか解らないものだ。


「いいのよ」

 アンジェリーナは静かに微笑んだ後、気まずそうに目を伏せた。「わたしだって、お兄様の長年の片思いを何とかしようとして……その、でも兄はいい人だと思うわよ? 自慢の兄だし、その」

「うん、解ってる」

 わたしは手を伸ばして、彼女の手を握る。すると、アンジェリーナがほっとしたように息を吐いた。

 何だかんだで、婚約破棄は間違ってなかった、としみじみ思う、そんなわたしなのだった。

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