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ヒロインは最後に笑う

 王太子婚約者が決まったと連絡があり、セイラは王城に呼ばれた。

 案内されたのは、普段妃教育に使用していた部屋よりももっと、王族の使用しているエリアに近い応接室だ。

 最上級の家具調度の置かれた部屋でただひとり。侍女も護衛も部屋には入れさせてもらえなかった。


 大事な日だからと祖父が用意してくれた新しいドレスに身を包み、髪は結い上げて形見のピアスがよく見えるようにした。

 緊張して気持ちが悪くなりそうで、ソファーに浅く腰かけて何度も深呼吸をする。

 十分ほど待たされただろうか。ノックの音が聞こえてすぐに扉が開いた。

 セイラは扉から入ってきた相手に気付き、慌てて立ち上がろうとしてよろめき、再びソファーに座ってしまった。


「待たせたか」

「い、いえ」


 慌てて立ち上がり、手でドレスを整えた。

 学園で制服姿の彼は何度も見ている。妃候補三人になら話しかけて来たこともあった。でも制服以外の上着を着て、彼女だけを見て、彼女だけに話しかけてきたのはあの時以来だ。


「私がここに来たのだから、どういう結果だったかはわかるな」


 侍女も誰もいないため、テーブルの上には何も出ておらず、セイラは呆然と立ったままだ。

 この状況も、観察するようにこちらを見ながら近づいてくるサイラスの様子も、とても今後の人生を左右する決定を伝える場とは思えない。


「これが書類だ。必要な事はこれを見ればわかる」

「いったいなんのお話でしょう」


 扇を開いて口元を隠し、セイラは冷ややかなまなざしでサイラスを見つめた。


「なんの説明もなく連れてこられ、侍女は部屋に入れませんでしたのでお茶もいただけませんでしたわ。この王宮、どうなっていますの?」


 サイラスの性格ならほとんど把握している。

 ここで言いなりになれば、つまらない女だとお飾りの妃にされかねない。


「それは失礼した。まあ座ってくれ」


 サイラスは笑い交じりに言いながらセイラに座るように促し、当然のようにすぐ隣に腰をおろした。


「あの……殿下?」

「私が王太子になったのは聞いているな」


 サイラスが書類の入った封筒をテーブルに放り、体ごとセイラの方を向いて足を組んだため、彼の膝がセイラの太腿に微かに当たる。それが気になりながらも、どうにか顔をあげてすぐ近くにある澄んだ眼差しと目を合わせると、彼がひどく機嫌よさそうな楽しそうな表情をしている事に気付いた。


「はい。伺っています」

「だから三人の中から妃を選んだ」

「……はい」

「おまえだ」


 ドクンと心臓が大きな音を立てる。

 サイラスが妃を選ぶシーンなどゲームになかったから、どう返事をすればいいのか迷ってしまう。そもそも、前世から通して親しい男性などひとりもいなかったのだから、こんな近くに座られただけでいっぱいいっぱいだ。


「そのピアス、憶えているぞ」


 腕が伸びてきて、そっと耳たぶに触れようとするのを、反射的に避けて身を引いた。


「私は二回それを見ている」


 サイラスは今度は体ごと身を寄せて来た。


「あれは、おまえだろう?」


 耳元で囁かれた言葉に、少し前なら頷いていたかもしれない。

 でも今は、アリシアに忠告されたばかりだ。 

 ぐっと奥歯を噛みしめ、震えそうになる指先に力を込めて扇を閉じる。ここで全てを無駄にすることは出来ない。


「殿下、少し近すぎますわ」


 扇でそっとサイラスの肩を押した。


「私、このピアスは気に入っておりますから、学園でご覧になられたのでしょう?」


 何を言われているかわからないと言いたげに、そっと首を傾げる。サイラスは拗ねたように目を細め、セイラの扇を摘まんで肩から退かせた。


「我が婚約者殿はつれないな」

「いいえ。私はまだ婚約者ではありませんでしょう?」

「さっき、おまえに決めたと言ったはずだが?」

「まあ殿下、そんな言葉だけで手に入るような、安い妃をお望みですの?」


 座ったまま腰をずらしてさらにふたりの間に距離を置く。心臓がバクバクして顔に血が上って熱くなってきたので、あまり近くにいたくない。扇で顔の半分を隠して、そっと息を吐いてからサイラスに向き直った。


「私を婚約者にしてくださるなら、神殿で誓いを立ててくださいな。そしてあなたの妃にふさわしくいられるようにしていただきたいわ」


 こちらは必死に言葉を捜して話しているというのに、サイラスが今にも笑い出しそうな楽しげな顔をしているせいで、少しだけイラっとしたおかげで気の強そうな表情と声になったと思う。


「仰せのままに」


 胸に手を当てて軽く頭を下げたサイラスに、セイラは目を丸くした。あのサイラスが、自分に頭を下げるとは思わなかったからだ。

 男性が愛する女性に跪くことは話で読んだことがある。それと同じだろうか。


(サイラスが私を愛してるなんて、ありえない)


 ピアスのことを言い出した以上、彼はセイラが何をしてきたか知っている。その上で、彼の性格ならば、妃にするかもしれないと考えてわざとピアスをつけたのだ。

 ゲームでは、彼は目的のためなら手段を選ばない魔王だ。セイラのした事を役に立ったと思えば利用しようとし、邪魔だと思えば排除するだろう。

 そしてサイラスは利用することを選んだ。それだけの事だ。





 神殿での誓約式に、セイラは祖父にエスコートされて訪れた。

 誓約書にサインをするだけなのだから、十分もあれば済むというのに半日貸し切りだという。だが理由は行ってみてわかった。国王と宰相と、サイラスの側近達と妃候補だった他のふたりとアリシアまで揃っていたのだ。


「今日は一段と美しいな」


 エスコート役が祖父からサイラスに代わった途端、耳元で囁かれてよろめきそうになった。


 今日のセイラはレースをふんだんに使った純白のドレスを着ていた。

 この世界では花嫁が白いドレスを着る習慣はない。いずれ婚礼が行われても着るのはサイラスの髪か瞳の色のドレスだろう。


「おー、この世界でウエディングドレスを見られるとは」


 控室で待機しているセイラの元に顔を出したアリシアは、すぐに意図を察してくれた。やはり彼女も転生者だったとわかって、少しだけ落ち付く事が出来た。


「サイラスが怖いくらいにご機嫌だから気を付けてね。前回会った時のあなたがかわいかったんですって」

「……かわいい?」


 誓約書にサインして妃にふさわしいティアラをよこさない男は、婚約者じゃないぞと言ったようなものなのに、かわいいと言われるとはどういうことなのだろうと思っていたところに、出会い頭の口説き文句だ。

 どう答えていいかわからないので、言われ慣れている振りですっと目を逸らし、前だけを見て足を運んだ。横で、サイラスが微かに肩を震わせている気配がするが、なにも失敗していないはずだ。笑われる理由がわからない。


 震える手で誓約書にサインを終えると、神官が正式にふたりが婚約者になったことを宣言する。もう王家と侯爵家の縁談がなされたのだ。そう簡単に解消は出来ない。


 続いて王家から婚約者に、王家のひとりに迎えられた証としてティアラが贈られる。付き人が恭しく運んできた箱を開け、ふたりと来客に見えるように台座にいったんティアラが飾られた。


「……まあ」


 サイラスの瞳の色の大きなアクアマリンの周囲を、いくつもの小さなクロムスフェーンとダイヤが飾っている。驚くほど繊細で驚くほど高価なティアラだ。


「これならあのピアスに合わせられるだろう」


 セイラを驚かせる事に成功して満足そうなサイラスは、ゲームで知っていた彼とは違う。もっと感情豊かで、子供っぽいところもあって、なによりとろけるようにやさしい目をしている。


「あり……がとうございます」

「これでおまえは私の婚約者だ」

「はい」


 ティアラをそっと頭に乗せられ、泣きそうになりながら頷くと、肩をきつく抱かれて額に口づけられた。


「なっ……」

「肌が白いから、赤くなると目立つな」


 そっと手の甲で頬を撫でられ、びくりと肩を揺らす。


「この間も最初からずっと耳が赤かったし、最後は頬まで真っ赤だったぞ」

「……」


 あんな余裕のありそうなセリフを吐きながら、顔が真っ赤だったと聞いて、セイラは涙目になって俯いた。


「どうした」

「こ、こんなところで言わなくてもいいじゃないですか」

「私にくっつけば顔を隠せるぞ」

「けっこうです!」


 本来なら、このままふたりで並んで神殿を出て、王宮に帰る馬車に乗り込むのだが、どうもふたりが揉めているようだと思われたのだろう。側近達が椅子に座って見送りをせずに少し遅れて後ろを歩いてくる。


「早めにおまえに伝えておくことがある」

「……はい」

「おまえが私をどう思っているかは知らないが」


 しっかりと肩を抱かれたまま、セイラはサイラスの真剣な顔に気付いて身構えた。


「私は、これでも真剣におまえを愛しているようだ」


 ゲーム画面から聞こえて来たよりも、少しだけ低く甘い声で、吐息ごと耳元で囁かれて、今度こそセイラは膝の力が抜けて座り込みそうになってサイラスに抱き込まれた。


「私の声が好きか」

「……っ」

「婚約期間は一年ある。その間に声以外も好きにさせてみせるさ」


 明るい笑顔のサイラスという、想像したこともなかった表情を見せられ、セイラはもう愛していないふりをするのは諦めた。好きにしてくれて結構だ。


 初めて病室で彼を知った時ともう一度同じ年になり、あの世界を終えた年も越え、もうすぐで十六歳だ。

 この世界で刻む新しい時間が始まる。

 出来る事なら、これからずっとサイラスの隣で時を刻んでいきたいと願った。










 侯爵家のセイラの部屋には今、何重にも結界が張られ盗聴を防ぐ魔道具が設置されている。

 テーブルに向かい合ったアリシアとセイラは、前世も含めて今までの事を伝え合ったところだ。

 特にセイラの告白はアリシアを驚かせた。この世界に来てからの事ではない。それならなんとなくは想像がついていた。だが前世、病気で五年も入院したまま十五で亡くなったという境遇はあまりに意外だった。


 でも改めて考えれば、大人になり仕事もしていた普通の女性に、ここまでの思い切った行動が出来る人はそうはいないだろう。はっきり言えば犯罪だ。多くの人の命が奪われている。

 ただトリガーになったのは彼女の行為だが、実際に命を奪ったのは王宮側の人間であり、サイラス側の人間でもある。

 権力の中枢にいながら、のほほんと恋愛にうつつを抜かすとこういうことになるのだ。


 しかしそれは他人事ではない。

 

 女が男の前と女しかいない時で態度が違うというのなら、男は妻や恋人とふたりだけの時とそれ以外で態度が変わると、前世の友人が言っていたが、アリシアの周りにいる男どもは、婚約者の話をするだけでも顔つきが変わる。

 いつも浮かれた調子なら注意するところだが、彼らだけしかいない時のみ見せる顔なので、婚約したばかりの彼らの幸せに水を差すのも悪いかと様子見をしているアリシアだ。

 エレインとグレンはようやく晴れて婚約者となり、隠れずに会う事が出来るようになった。セドリックとロレッタは情報通なところや冷静な性格が良く似ていて、ふたりでサイラスのために情報網を作ろうとしているらしい。

 サイラスは王太子になったばかりで、別館から王宮本館への引っ越しと仕事の引継ぎで忙しく、セイラになかなか会えないと愚痴をこぼしていた。


 三人共、婚約者と非常に仲睦まじい。

 つまりこれで三人共、弱点がひとつ出来たわけだ。婚約者の身に何かあってはまずい。特にサイラスが本気で惚れていそうな婚約者を失うなんて事態は絶対に避けなくてはいけない。


 護衛はアリシアとクリフの仕事だ。魔道士団特殊部隊とバージェフ侯爵家からそれぞれに護衛をつけた。

 そしてセイラにはアリシアが自ら護衛につくことになっている。


「現在、一番狙われているのは自分だという自覚を持ってね」

「本当にあなた達は私を彼の婚約者として認めるのね。すべて終わったら幽閉されるか殺されるかもしれないと思っていたわ」

「でもサイラスに正体を明かしたんでしょう」

「そうね」

「自分を王座に押し上げてくれた相手に、彼は恋をしたのよ。でも、あなたは彼に弱みを握られた。大変なのはこれからよ」


 アリシアの言葉にセイラはただ微笑んだ。


「本当にサイラスに惚れ込んでいるのね」

「あなたは……どうしてサイラスを選ばなかったの?」


 サイラスを選ぶのが当然だという言い方に、今度はアリシアが笑ってしまった。


「あなたはサイラスのために生きて行こうとしているのでしょう?」

「ええ」

「私はこの世界で、自分のために生きていきたいの。クリフはそんな私に寄り添ってくれるのよ」


 同じ転生者でヒロインでも、ふたりのたどった道も生き方もまるで違う。

 それでもふたりは共犯者として、サイラスを国王にするために動く仲間として、これから協力して生きていかなくてはならない。


「ゲームなら、ここでめでたしめでたしだけど、現実世界はここからが本当の勝負よ」

「ええ、楽しみだわ。今回はちゃんと大人になって、全部抱えて生きていくわ」

「これからきっと、もっと多くのものを抱えることになるわよ」

「いいのよ、だって私はヒロインですもの」


 微笑みあいワインの入ったグラスを軽く触れ合わせて、ふたりのヒロインは新たな物語に向けて進み始めた。

 


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