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あなたと咲かせる恋の花。  作者: しっちぃ


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22/22

特別編:ライラック―『青春の喜び』(もらいもの)

またまた斉藤なめたけ先生に頂きました。うちはまたもえてはいになりました。

 毒をもって毒を制す……と言うけれど、一つの緊張を他の緊張で打ち消すことはどうやらできないみたい。


 電車に揺られていたとき、私……江川智恵はそのようなことを考えていた。


 隣の座席には邑さんがいて、他の乗客さんはすれ違うたびに私たちに対して感心したような視線を投げかけてくる。私の緊張は上書きされるどころか上乗せされて、私は邑さんに「大丈夫か?」と気遣われてしまった。「ふたりきりで海に行きませんか?」と誘いかけたのは私なのに、本当に、何やってるんだろ……。


 海の日の海は、あいにくの曇り空が広がっていた。日差しは和らいでいるものの、暑さは相変わらず空と大地の間にわだかまっている。日焼け止めの必要がないのはありがたいが、意地の悪い湿気が私の肌を生乾きのシャツのような質感にさせていたのであった。


 このときの私は長い黒髪を三つ編みにして、クローゼットの奥にしまってあった白のワンピースを身につけていた。生徒会の子にオススメされたミュールを素足に履き、直射日光を防ぐために鍔の広い麦藁帽子をかぶっている。清く正しく夏のお嬢さまと周りには思われたことだろう。邑さんは、いつものようすで「綺麗だな」と言ってくれたけど、もっと褒めてほしいのかは、私にもよくわからない。


 もともとそこまで有名な場所でもないし、こんな曇天だから訪れる人もほとんどまばらといった感じだ。すでにやって来ている親子連れさんとかは子どもの不興を親がウンザリしたようすでなだめているのが現状である。


 海デートと言っても、私たちは特にレジャーシートとかビーチパラソルとか準備しているわけではない。おしゃれはしたものの、二人して身一つで海を堪能するつもりであったのだ。なんというか、念入りに用意して盛り上がるのって私たち向きじゃないと思う。


 別に何をするわけでもなく、私たちは砂浜に足を付けて、波打ち際でたわむれている水着姿の女性の二人組に視線を向けていた。天気が思わしくなくても、彼女たちには関係がないのだろう。二人で遊ぶという事実が環境の何よりもまさっていることは疑いようがなかった。彼女たちこそが太陽と思える光景に、私は邑さんととの今のありさまとを重ねた。


「ずいぶんと際どいものを着てるものだな」


 邑さんも同じものを見ていたらしい。私からすればありふれたビキニの水着に見えたが、露出に縁のない邑さんにとっては刺激の強いものに見えたのかもしれない。ちなみに、邑さんは履き慣れたジーンズに夏用のブルゾンという格好で、履き古したスニーカーで砂を踏みながら、ビキニコンビに寄せた視線を今度は私に向けてきた。


「……智恵も泳ぐのか?」

「ふぇえっ!? ゆ、邑さん……」


 このとき、私の想像力は奇妙な方向にねじ曲がっていた。邑さんは別に私に対してビキニのことをいっさい出していないのに、私の中で視界の二人の格好を引きずっていたのであった。実は、去年のりんりん学校で身につけていた水着を持ってくることも考えたが、生徒の皆とならまだしも、邑さんと一対一で水着になる勇気なんてとてもじゃないけど出てこない。純白のかわいらしいワンピースが私にとっての、精一杯のおめかしなのだ。


 私は思わず、ズレてもない眼鏡を直しながら水着を持ってきていないことを告げて、邑さんの何気なさそうな「そうか」を受け取った。どうなんだろう、邑さん、本当は私に水着を着てきてほしかったのかな? たぶん、そう言えば邑さんは「好きなようにしている智恵を見れればいい」と答えるだろうが、それだとどうすればいいかわからなっちゃうこともあるのだ。


 水着のお二人さんがビーチに上がると、私は邑さんに浅瀬に足を付けてみたいと言ってみた。邑さんは頷き、水がかからないところまでついてきてくれた。履いていたミュールをあずけると、私はおそるおそる足を震わせながら、なだらかな表面の海肌に触れてみた。


「ひゃっ……」


 つめたい。そんなことはわかっていても、リアルの触感に足の裏がびくっと震えてしまう。だが勇気を奮って、再び現れた波に裸足をつけた。片足、そしてもう片方の足を。私は目に進み、足首から下まで海の水にゆだねた。肌に受ける気温はそう変わっていないはずなのに、足の冷たさが、肌やうなじに張りついた汗を忘れさせるかのようだった。


 ビキニのおねえさまがたと違って、私の場合はひっくり返ってしまったらいろいろ大惨事である。ちゃんと両足で踏みしめているはずなのに、さざ波に足首をくすぐられると、なんとも頼りない心地に立たされる。しぶきがかかりそうになったので、今さらのようにワンピースの裾をつまみ上げる。ふくらはぎに生ぬるい風が吹き抜けて、なんともそわそわする。


「えへへ、やっぱり冷たいですね……」


 気の利いた語彙が出てこなかったので、私はそう言って、ぎこちない笑みで邑さんに振り返った。邑さんは淡いが確かな笑みを返すと、ミュールを足元に置いて、その隣に脱いだスニーカーを並べた。邑さんも私に続くかたちで足首を海水にひたしたが、このような機会がなかったのだろう。早くもジーンズの裾が水気を吸いそうになっている。僭越ながら、私は注意をうながした。


「あの、邑さん。裾を上げたほうが濡れずにすみますよ?」

「そ、そうか。そうだな」


 初めて気づいたような顔になり、邑さんはかがんで裾をわずかにまくり上げた。日に当たって仕事をしているには信じられないくらい白い足首に、私はどきりとしてしまう。


「確かに……智恵の言ったとおり、冷たいな」


 邑さんは言う。やっぱり、水際の上に立つと、どことなく危うげに見えてしまう。邑さんの柔らかくもしっかりとした身体が、まるで海風になぶられる若木のように感じられた。


 もろくて儚い足場の上、波に揺さぶられながら、私たちは立っている。


「きゃっ……」


 一陣の風が鳴いた。ワンピースのスカートがひるがえりそうになり、結わえた三つ編みがむき出しの肌を叩く。麦藁帽子の鍔が羽ばたきにも似たような音を立てて、私の頭から飛び去ろうとしており、片手でワンピースの裾をつかみながら、もう片方の手で帽子を押さえつけようとした、そのとき。


「あっ……」


 私たちは同時に声を上げていた。私の手を、邑さんが上から支えようとするかのごとく重ねている。どうやら声だけでなく、考えていることも同じだったらしい。そう思うと、おかしくもあり、嬉しい気恥ずかしさも私の心を満たしてきた。


「ふう、危ないところだった」


 邑さんの口調が普段より、ぶっきらぼうに聞こえた。やっぱり、照れくさかったのだろうか。


「出ようか」


 手を離して、邑さんはそう呼びかける。私は頷き、帽子を押さえた手を今度は邑さんの前に差し出した。邑さんは頷き返し、私の手を優しくつかみながら同時に浜へ上がる。


 不安定な世界の中で、あなたの手だけが何よりも強く、揺るぎのないものだった。

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