寝癖
「おはよう」
朝、何をするでもなく自分の席に座っていると、後ろからそう声をかけられた。
振り返ると、九々葉さんがこちらを見て、ぎこちない笑みを浮かべている。
「ああ、おはよう」
僕は答え、何となく彼女の全身を眺めた。
相変わらず、九々葉さんは小柄で華奢だ。
身長は百五十センチもないくらい。
膝上五センチくらいの野暮ったいスカートから伸びる脚は白く、とても細い。
肩先に触れないくらいの長さの黒髪はほんの少しだけ乱れていて、頭頂部には一房、寝癖が立っている。
「……あのさ、九々葉さん」
「なに?」
「寝癖立ってるよ」
「え、ほんと?」
彼女は鞄から手鏡を取り出して、自分の頭の辺りを確認する。
「あ、ほんとだ」
「だよね」
「えっと、直してきます」
「はい、どうぞ」
そのまま、彼女は教室を出て行った。
彼女は朝に弱いのかもしれない。いつもけっこうぎりぎりに登校していることが多いし。
後ろを向いていた体勢から前に向き直ると、視線を感じた。
クラスの連中からの視線だ。
興味深そうな、それでいて訝るような、そんな視線。
「……そんなに珍しいものかね」
ぽつりとつぶやく。
僕が人と話しているのが珍しいのか、それとも、九々葉さんがまともに人と話しているのが珍しいのか、どちらなのだろう。
おそらくは後者なんだろうけど。
「……さっきはありがと」
トイレにでも行って寝癖を直してきたらしい九々葉さんはそんな風にお礼を言った。
「どういたしまして。ところで、九々葉さんって朝は弱いの?」
「……うん。あんまり強くはないかも。それに、家が学校の近くだから、ぎりぎりまで寝ちゃうことが多くて……」
「へえ。でも、それは楽そうでいいね。僕なんか自転車で一時間かけて登校してるからさ。毎朝、疲労感でいっぱいだよ」
「……大変そう」
「もう慣れたけどね」
それからしばらく、ぽつぽつと彼女と話をした。
クラス内の視線などすぐに気にならなくなる。
昼休み。
いつものように食堂に向かおうとして、九々葉さんと友達になったのだから、彼女を誘ってみるかと思い直す。
「九々葉さんって、昼はお弁当? それとも学食?」
振り返って問うと、彼女は首を振った。
「どっちもだよ。たまに自分でお弁当を作ってくることもあるけど、学食で食べることもある」
「ちなみに、今日はどっち?」
「学食、かな」
「じゃあ、僕と一緒に行きませんか?」
「うん。わかった」
頷いた彼女とともに学食に向かう。
人でごった返す食堂に到着し、券売機の前に至る。
僕は日替わりの定食を注文し、九々葉さんはざるそばを注文した。
片隅に二人で座れるスペースを発見し、腰を下ろす。
僕の正面に彼女が座った。
いただきます、と口にして食べ始める。
無言でそばをすする彼女に話しかけた。
「普段、何を食べることが多い?」
「それは学食でってこと?」
「そう」
「それなら、麺類かな? そばとか、ラーメンとか」
「へえ。それは何か理由があってのこと?」
「単純に好きだから」
「なるほど。それは大事な理由だね」
十数分かけて食べ終えて、それから、お盆を片付けて食堂を出る。
「この後のご予定は?」
「教室に帰って本を読む、かな」
「そっか。なら、良ければちょっと生徒相談室にでも行かない?」
「……え、生徒相談室って……」
「うん。こないだ九々葉さんがあそこに入っていくのが見えてさ。どういう場所なのか気になって入ってみたんだよね。そしたら」
「雰囲気がよかった?」
「うん。まあ、そんな感じ」
「じゃあ、行く?」
「うん。行こう」
彼女と二人で生徒相談室に向かった。