百日ダリアは恩義に厚い
ボクは九々葉家を後にすると、駅の方角へと足を進めた。
藍ちゃんや相田には適当な理屈というか、ある意味で正しい理由を話したわけだけれど、暇つぶしとか巡回とかいうよりは監視や観察と言った方がより事実に即していると言える。
問題を起こしそうな奴に予め目をつけて、監視をする。
ボクがやっていることはいわば、そんな類の行為だ。
学校で一度問題を起こした生徒などは、教師から目を付けられることになる。
社会で一度犯罪を犯した者は周囲からも白い目で見られることになる。
本人的には不本意なその視線であったとしても、客観的に見れば警戒される理由、嫌悪される理由はありうる。
けれど、本当に面倒な事態というのは警戒内からではなく、警戒外からやってくる。
地震に気をつけていれば、津波がやってくるし、津波に気をつけていれば、火山が噴火したりする。
世の中そんなものだろう。
それで言えば、ボクはもはや警戒内に入ってしまったと言える。
一度問題を起こした。
相田や藍ちゃんにとって。
だから、本当は彼らはボクを必要以上に警戒してしかるべき、なんだと思うんだけれど……。
実際にはそうなってはいない。
彼らは、自分たちに嫌がらせを行った、ひどいことをした、だまそうとした、そういう色眼鏡ではなく、対等な友達としてボクに接してくれる。
見下すこともなく、距離を取ることもなく、近づけば近づいただけ、ちゃんとそれだけの反応が返ってくる。
それだけのことが嬉しい、とボクは思う。
当たり前のように人間らしい扱いをしてくれるだけで、とても幸せなことだと思う。
世の中、ものすごく人生辛い、みたいな顔をしてその辺を歩いている人間がいるけれど、自分だけが苦境の中にいる悲劇のヒロインみたいな顔をしている人間もいるけれど、ボクみたいな地獄から這い上がった人間からすれば、ただ生きているだけで幸せな気がしてくる。
呼吸ができて、足を動かそうと思えば、好きに動かすことができて、食べたいものがあれば、今の時代、大抵のものはすぐに手に入る。娯楽があり、情報があり、テレビやネットを通して、多くの人間のことを知ることができる。
書店に行けば本が手に入り、物語や知識に触れることができ、映画館に行けば、普通ではありえないような世界観や人生を、映像として追体験できる。
世界が小さくなった今、交通機関を通して、何百キロも離れた異国を訪れ、その情緒に触れることができる。
ネットを通じて遠くの人間や今まで関わる機会のなかった人種の人間ともコミュニケーションをとることができ、話をし、一緒に遊ぶこともできる。
できることがいっぱいな世の中だ。
これで不幸せだというのなら、何をやっても不幸せだろう。
幸せになりたい人間は、ただ自分にとって都合のいい幸せがほしいだけで、目の前にある幸せを見ようとはしない。
すぐそばにある幸せに気づき、それを受け入れるだけでもっとずっと人生楽しいのに。
ボクはそう思う。
と、横に逸れた話を元に戻そう。
とにかく、対等に扱われることがボクは嬉しいわけで、ただそれだけで、とても幸せなんだ。
だから、感謝をしているし、恩は未だに感じている。
何をおいても返したいと、そう思えるくらいには。
「……うにゅう」
柄にもないことを考えてしまったので、一旦リセット。
そのために変な声を上げる。
「あー、ただのいい奴にはなりたくないんだよなー」
そう。ボクはずっとずっと変な奴でいたいのだ。
個性のない大多数の中に埋もれるなんて、鳥肌が立って仕方がない。
空気なんて読んでたまるものかよ。
浮いて浮いて浮き尽くしてやる。誰も彼もが引くぐらいに目立ってしょうがない存在になってやる。
そうしてボクは自由の鳥であり続けるのだ。地を這う蟻の集団には決して埋もれない。
「……でも、一人だと寂しい」
ので、ボクを肯定してくれる人を一人呼ぶことにする。
数十分後。
「あのね、ダリア。急に『駅前に来て』なんて言われても、わたしに用事があるかもとか無視してるわけだからね。もう少し相手の都合を気にしてもいいと思うよ」
バスに乗って駅前までやってきたボクは、今さっきホームに入ってきた電車でやってきたところのるりと合流する。
「えへっ。パフェおごるから許して」
「……ダイエット中だからいいです」
媚びた笑顔でそう言うと、肩をすくめたるりは返答した。
そんな彼女の腕にしがみつく。
ああ、なるほど。たしかに二の腕は少し……。
「ちょっとー」
「え?」
「勝手に人の体型チェックを始めないでくれる?」
「ばれたか」
「……腕の肉を指で挟まれれば誰でも気づくよ」
はあ、と彼女はため息をつく。
こつんと額を小突かれてしまった。
本来はたぶん、もう少し友達相手には柔らかい物腰で接しているはずのるりだが、幾度となく彼女を困惑させる行動を取った結果、今では大分雑な扱いをされている。
彼女にそうされるのはなんだか特別扱いを受けているみたいで逆に嬉しい。
ので、さらに行動がエキセントリックになっていくわけだが、それが彼女をさらに困惑させるのだろう。
嫌われないレベルではっちゃけていこうと心に決意する。
「で、わたしを呼び出した理由は何?」
「いやさー。ボクを除け者にした理由を知りたくてー」
「……っ」
るりがぎくりと背筋を強張らせる。
その周囲をくるくると回りながら嫌味ったらしく続ける。
「藍ちゃんとさー。なーんか、やってるよねー。るり。面白いことをさー。だっていうのに、二人そろって親友のボクに何も言わないっていうのはどういう了見なのさー。ねえ」
「……パフェおごるから、とりあえず、落ち着ける場所で話をしよっか」
「……えへへ」
るりがそう提案して、ボクは笑み崩れた。
いやー、ちょうどパフェが食べたかったんだよねー。
「なるほどねー。そういう魂胆」
「……魂胆って、まるで悪いことを企んでみるみたいに言わないでよ」
近くのファミレスでパフェなどをおごってもらいながら、ボクは言う。
口の中に広がるアイスや生クリームがとても甘い。
甘すぎて、表情がとろける。
「意外と甘いもの好きだよね、ダリアって」
「え、何が?」
「もっとこう、ひねくれてお煎餅とかかじってそうなイメージがあったから」
「そう? ボクはそんなにおばあちゃんでもないけど。ちゃんとそれなりに女子っぽさは持っているつもりですよ。それなりに」
「それなりに……ね」
苦笑するようにつぶやくるりはずずっとカプチーノを口にする。
ダイエット中と言いつつも、若干糖分多めの飲み物を口にしているのは、目の前でおごりのスイーツを頬張るボクへのせめてもの抵抗か。
「でも、まあ、そういうことなら、確かにボクにできることなんか何もないかもね」
「……でしょ?」
「だからと言って、何も言わないのは別だけどね」
「……」
「お詫びとして何を要求しよっかなー」
「え……、散々甘いもの食べてるじゃない」
空になったパフェ用のグラスと、チョコレートケーキの乗っていた皿を見ながら、白い目でるりがボクを見る。
あー、冷たい視線が心地いいー。
甘いものを食べた後に、苦い態度を取られると、プラマイゼロでフラット。
「んー……」
「な、なに……」
向かい合わせに座るるりの下から上まで舐めるように見つめる。
特にその大きく膨らんだ胸などねっとりと。
「やめてよ。その視線」
「またまたー。百合に目覚めかけてた頃もあったくせに」
「あ、あれは……」
赤い顔をして言い募ろうとするるりに、ボクは軽やかな笑い声を上げる。
そう。軽やかな。
彼女といると楽しくて、気分が明るくなって、気持ちが上向く。
元気をもらえる気がするのだ。だから、るりは好き。彼女を傷つけるものは何においても排除してやりたいってぐらいに。
少なくとも、今ではボクはそれくらいるりのことを気に入っていた。何なら、藍ちゃんよりも上なくらいに……っていうのはまあ、ないんだけれど。おんなじくらいには気に入っていた。というか、別ベクトルで、かな。二人ともを違った風に、同じくらい気に入っていた。
「それで、藍ちゃんを矢面に立たせようっていうのは誰のアイデアなわけ? 藍ちゃん自身? それともるり?」
「……藍ちゃん自身だよ。ほんとうはわたしがやろうかって言ってたんだけどね。藍ちゃんそういう人前でリーダーシップを取るのとか苦手そうだし」
「……まあね」
答えながら、とある女のことが頭に浮かぶ。
彼女の身近にいながらも、彼女と友達関係を結びながらも、どこか後ろ暗さを感じる目つきで彼女を見つめていたその女を。
「未だにぐちぐち言ってる奴いるみたいだけど、大丈夫なわけ?」
「……ぐちぐちって……、藍ちゃんのこと?」
「そう。入学当初、やさぐれてたんだっけ? ボクは人伝でしか知らないけど。そのことを未だに重箱の隅を突っつくみたいにいじってくる輩。表立って言わない癖に、絶対本人に聞こえるように仲間内でしゃべってくるからうざいよねー。ああいうの」
「まるで経験したことがあるみたいな言い方だね」
「主にボクがそれをやる方だったりしたけどね」
「……」
言うと、るりがまじめな表情でボクを見た。
真剣な瞳に真顔を返す。
その目に傷ついたような色を感じて、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「冗談」
「……たちが悪いよ、そんな冗談」
「ごめんってば」
彼女の過去的に、あまりそういう女の嫌らしさのようなものは受け入れがたいのだろう。
ましてや親友のボクをして、ということだ。
「……でも、君がよく話してるような奴らじゃないの? あの股の緩そうな軽めの女共」
「…………ダリアさ」
「はいはい。言葉に気をつけます。イケイケなファッションをしたナウでヤングなシティーガール。で、実際のところは?」
「――比較的よく話す方かもしれない。けど、いつも一緒にいるわけじゃないし。普段はもっと別の子たちといるよ」
「ふぅん」
永遠の外様大名。江戸初期で言えば、百万石の加賀藩的な立ち位置にいるボクとしては、クラス内の勢力というか、グループというかについては疎いところもある。
相田をいじめるという目的があった以前とは違い、演技をすることをやめた今、気分で適当に一緒にいたい人といることが多い。用がないときは一人でいることも。
当然、浮くは浮くのだが、転校生兼外見異端児のボクは元からそうなのでノープロブレム。
それ以外の、主にクラス内女子の分布としては、るりを中心とした集団と、その頭の緩めな女共と、ぽつぽつと小さな集団があり、その中でも大人しめな女子を集めた藍ちゃんの集団、みたいなイメージ。
ボクは永世中立国。つまり、スイス。フランスのハーフだけど。
「でも、全体として雰囲気は悪くないと思うんだよ。うちのクラス」
「そう。それはよかったじゃないか。心から祝福申し上げさせていただきます」
「なにその言い方」
「別に。クラスの雰囲気とかどうでもいいと感じるボクからすれば? そーんなくだらないことを気にする価値観なんて理解できないけど? でも、普通の感覚としては喜ぶべきところなんだろうな、と思っているだけだよ」
「……相変わらず、ダリアはざくざく刺してくるね。親友のわたし相手でも」
「刺してるつもりはこれっぽちも。雰囲気とか空気とか、科学信仰なのか迷信信仰なのかわかんない国だよね、日本も。敬虔なキリスト教信者のボクとしては、神を信じないのに、目に見えない空気や雰囲気があると信じる日本人というのも理解できないけれど」
「……意外と信心深いんだね、ダリア」
「幼い頃からの父の影響で」
それと祖父。
お天道様が見てる、とかよく言われたものだ。
それにしては言動その他が大分危うかった気がするけれど、今は改善されたので気にしない。
「まあ、大体の話はわかったよ」
追加で注文したチーズケーキを食べ終えたところで、引きつった笑みを浮かべたるりにそう告げた。
「ボクの出る幕ではとりあえずなさそうだから。大人しくしておくよ」
「……わたしのお財布事情を圧迫しておいてよく言うよ」
「お、るりが恨み事とは珍しい」
「言いたくもなりますー」
むくれた顔をした彼女はなかなかかわいくて、思わず頬が綻ぶのを感じる。
るりもそれを見て、表情を緩めた。
席から立ち上がったボクたちは、じゃあ、これからどうする? という話になり、せっかくだから、二人で買い物にでも行こうか、ということになった。
財布に余裕のあるボクが、奢ってもらった十倍でも二十倍でも、彼女に見合うお洋服を見繕ってあげよう。
変で、突拍子もなくて、気分次第で偏屈で、価値観の逆転しているボクだけれど、受けた恩、もらった好意、感じた優しい心だけは絶対に忘れない、そんな心優しき変人、百日ダリアなのでした。