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太陽が真上にあがったころ、ヘカテーは城を出た。
一晩眠れば、だいぶ体も楽になる。レトは城門前で、ふかく頭をたれた。
「ほんとうに、ありがとうございました。ヘカテーさま。あなたさまがいなかったら、わたくしたちはどうなっていたことか……」
「いや。あの女はわたしを狙っていた。だから、謝罪を述べなければならないね。悪かった」
「そんな。ヘカテーさま……」
ヘカテーがそっと頭をさげると、あわててレトがそれを制す。
――われら魔女の敵は、『あの女』ではないのだ、ということを暗にしめしていた。
「わたくしたち魔女の敵は、あの人ではありませんのよ」
「ああ、……ああ、そうだったね」
われら魔女の敵は、どこまでも「神」そのものなのだ。神、そしてその使いである天使。
「そうだった。わたしたちの敵はあの女じゃない。わすれるところだったよ。ありがとう、レト」
「いやですわ。お礼なんて」
「じゃあ、わたしたちはこれで失礼するよ。また、夜会があれば呼んでおくれ」
「もちろんです。われらが母」
レトは手を振り、そして城門がおもたげな音をたてて閉じられる。そばに控えていた金鵄は、そっと息を吐き出す。その表情はどこか、疲れているようだった。
「なんだか、すごい疲れる夜会でしたね。こんなこと、初めてでしょう? ヘカテーさま。けどなんであの女、いきなり現れたんでしょう」
「どうせあの女のことだから、ただの気まぐれだろうよ。だから、理由なんてないのさ」
城を出て、林のなかを歩いていると、すぐに丘の上の家が見えてくる。この道は魔女の血を持つもの、あるいはその使い魔にしか開かれない、特殊な道なのだ。時折人間が迷い込むこともあるが、それはレトが責任を持って人間の世界に返していると聞いている。
扉を開けようとすると、郵便ポストに白い封筒が入っていることに気づく。
「……おや。何だろうね」
その長封筒を取り、差出人名を見てヘカテーは珍しく目を見開いた。金鵄もその差し出人を見た直後にひどく嫌そうな顔をする。
差出人名には、「八月朔日 允嗣」と書かれていた。
「八月朔日? あいつ、なんの用なんでしょうか」
「さあ。でも手紙か。嫌な予感しかしないけど」
リビングのソファーにすわり、その長封筒を開く。そのなかに入っているものは、一枚の便せんのみだった。
「……やっぱりね。直接話したくないからって、手紙でよこすとは。切手も貼ってない。直接ここに投函したんだろうね」
「なんのことですか?」
「まあ、見てみれば分かるわ」
金鵄に手紙をわたすと、ヘカテーは自室へと向かってしまった。一人残された金鵄は、その一枚の便せんを見下ろして、その文字の羅列を目で追う。
「えぇ……」
文字をおうごとに、金鵄の顔色があおざめていった。
その内容は驚愕に値するものであり、さらに警察ではどうすることもできないと、八月朔日らしからぬ言葉で締めくくられている。
「八月朔日の妹がいなくなった……って、それこそ警察の出番でしょうに」
「理由があるんだろう。警察が動けない理由が」
「そんなことがあるんですか?」
「ああ、まあ、人間たちには人間たちの事情ってのがあるんだろうね」
「それで、ヘカテーさま。行かれるんですか? 八月朔日の家に」
「恩を売っておくのもいいだろうよ」
ヘカテーは黒い繊細なレースがついたエンパイアドレスに着替え、ベージュのショールをはおった。出かけると言うことだろう。
「えー……。でかけるんですか?」
「ああ。失踪だか誘拐だかわからないが、話を聞いてみるだけでもいいだろう。ごちそうにありつけるかもしれない」
先刻帰ってきたばかりだというのに、と金鵄がつぶやくも彼女には逆らえない。渋々うなずいて、自身も仕立てのいいスーツから私服に着替えた。
そうそうに家を出ると、日はすこしだけ陰っていた。雲がかかり、雨がふりそうでもある。
「ヘカテーさま。あいつの家、分かるんですか?」
「ああ、便せんに地図が書いてあっただろう。この辺りの地理はだいたい頭に入っているからね」
いつも通る林をぬけると、コンクリートの地面が広がった。その地には、まるい水滴がしたたりはじめている。雨が降ってきたのだろう。持ってきた傘を開く。
「おや」
傘を持ったさきに、男がいた。
険しい顔をして、傘もささずにただ立ちすくんでいる男が。