特訓と哀歌
「……た、隊長……ちょっと待って……」
握った剣をだらりと下げて、今にも座り込みそうなルーベラがハヤトに向かって片手を上げる。
「なんだよ、もうへばってるのか? そんなんじゃ出陣部隊はおろか城壁の周りの警護にも立てないよ?」
意地悪そうにそう言うとハヤトがニヤリと笑う。
「だって……」
肩で息をするルーベラは恨めしそうにハヤトを見上げるが、だからと言って左手に握った剣を鞘に収める気はないようだ。
公共広場にて午後の早い時間から剣の稽古をつけてもらっているルーベラ。
右足を痛めていることから、右足を軸に使わなくて良いように、と、ハヤトがした提案が。
「だいたい! 左手で剣なんか持ったことないんですからね! もう少し手加減してくれても良いじゃないですか!」
息を切らしながらもルーベラが文句を言う。
「ああ、そんな口を叩いている余裕があるならまだいけるね。ほら、休んでる間に感覚を忘れちゃ困るだろ! いくよ!」
「わあああああああ!」
強引に稽古を再開するハヤトに、これまた律儀についてくるルーベラ。
使っている剣も、実戦で使う自分の剣なので全く気の抜けない状態なのだが。
それでも、左手で剣を握り、左足を軸にして動き回るコツをルーベラは数日であっという間に習得していた。
「……隊長って……やっぱり隊長だったんですね」
陽射しの色が柔らかい暖色になってきた頃、木の下でぐったりと座り込んだルーベラが意味不明の言葉を漏らす。
「……は?」
自分の剣を鞘に収めて、全くもって疲れた様子も見せないハヤトがその隣にしゃがみ込んで聞き返した。
「あ……えーと。教え方が……半端なく、上手いです。あたしの腕、確実に上がってるし。多分今のあたし、左利きの騎士と同じくらい普通に左手で戦えると思う」
それに。
投げ出した足、その右足になんとなく視線を向ける。
そういえば……右足、この特訓の間、全く使ってないような気がする。これだけ動き回っていて全く痛みが出ない。最初のうちはうっかり右足に重心をおきそうになっていたけど……考えてみるとその度に思わぬ方向から隊長が攻撃を仕掛けてくるから体勢を立て直さなければいけなくなって、それを繰り返しているうちに右足は全く使わなくなったのよね。おかげで悪化するなんてこともなくちゃんと順調に治っているような気がする。
ということは、これ、教え方が半端なく上手いってこと、なんだろうな。
「ああ、そりゃ君の飲み込みが早いからだよ。……ま、本当にこんなにあっという間に習得するとは俺も思ってなかったんだけどな」
後半のセリフはこっそりと。
正直、ハヤト自身もびっくりしていたのだ。
ここまで覚えの良い子がいるなんて。いや、これは覚えが良い、なんてもんじゃないかもしれない。教えれば教えただけ全部吸収していく。
そもそも、利き手、利き足を変えるなんていうのは当初はただの思いつきだった。そんなこと普通はできないはずなのだ。でも、試しにやってみたら一日目にしてある程度の形になってしまった。
そして数日経った今……おそらく彼女、右足が完治したら……そしてそれももうあと少しで完治するのだろうが……両手で剣を同時に扱えるようになるんじゃないだろうか。という上達ぶりを目の当たりにするまでになっている。
そう思うと、その可能性にちょっとばかり身震いしてしまう。
「あ、そういえば」
いつの間にかルーベラの隣で、木に寄りかかるように座り直していたハヤトが思い出したように声を上げた。
「ルーベラのおかげで城壁の補修、進んでるみたいだよ。あれ、やっぱり昔の工事の時の塞ぎ忘れだったみたいでね。あのおかげで城壁の徹底的な点検も組織されるようになったしね。城壁の内側って長い間に増築が進んでて正確な形の把握が滞っていたみたいだからこの期に全体の把握もできるし、結果的に良かったみたいだ」
そう言うとハヤトはルーベラに笑顔を向ける。
「そう……だったんですね。あはは、役に立てて良かったです」
そっか……あそこ、塞がれちゃうのか。外に出る近道で秘密の通路みたいな感じがちょっと気に入っていたんだけどな……なんて思いながらルーベラが相づちをうつ。
まぁ、当然といえば当然なのだけど。
そもそも、この西の都市はそんじょそこらの都市より大きい上、城壁の作りも頑丈なのだ。ここまでしっかりした都市であるなら弱点は完全に排除しなければならないだろう。この都市の考え方を思えば難民たちが都市の中にいるなら尚更、守りに力を入れようとする筈。
「……そういえば隊長、こんな事してていいんですか?」
「……こんな事?」
ルーベラの言葉にハヤトが首をかしげるように彼女の方を向く。
「あ、えーと。今更といえば今更なんですが……ここ数日午後はあたしに稽古つけてくれてますけど本来隊長は勤務時間中では?」
おずおずと尋ねるルーベラにハヤトが微妙に吹き出す。
「ほんとに今更だね。……取り敢えず仕事は他のやつに変わってもらってるから大丈夫だよ。本来は出陣しているはずの身だからね。多少の自由は効くってわけ」
「あ、そうなんだ」
あたしは仕事の時間が午前中だけだからいいとしても隊長たるものがこんなに自由な時間を持つはずがないだろう、とふと思ったのだけど……まだ東からの隊が戻ってこないから情報待ちの隊に所属している者たちは手持ち無沙汰ってところなのか。
「……もしかして特訓からうまく逃れようとしてる?」
ハヤトが意地悪そうな視線を送ってくる。
「え! いやまさか! いやー、貴重な時間を使っていただけてありがたいなぁ! 明日もまた特訓してもらえるなんて楽しみだわっ!」
ルーベラの声が若干上ずる。
そんな気持ちも多少は、あったような無かったような……。
「そういえば診療所の患者に君の歌が人気らしいね」
「へっ?……なんでまた隊長がそんな事……!」
いきなりの話題にルーベラがうろたえる。
午前中の仕事は第三駐屯所の護衛だが、敵襲がなければ特にする事もないので普段は患者の手当てを手伝ったりしているのだ。
患者の怪我の程度は考えていたよりはるかに深刻だった。リガトルに襲われた者たちは容赦なく体の一部を失ったりする。都市周辺でそんな事態が多発しており、この都市に直接差し向けられるリガトルの軍と戦った者だけでなく近隣で負傷した者たちも運び込まれてきているのだ。どうやら東の都市ではそういう者を受け入れていないようで遠路はるばる運ばれてくる者は大抵怪我が悪化していて、中にはもう手の施しようのない者もいる。
「あそこの軍医、アルはね、俺たち第三駐屯所の隊長にしてみれば昔よく世話になった間柄だからね。たまに様子を見に行って話もするんだよ。……君が歌を聞かせてやっていた患者たちね、死ぬ間際に大抵感謝を口にしてたってさ」
「……!」
ルーベラが言葉に詰まる。
仕事の時間帯は午前中。だけどどういうわけか大抵患者の容体が悪化して生き絶える瞬間というのは夜である事が多いのだ。なのでルーベラは仕事中に意識が朦朧としている患者に声をかけてあげたり歌を歌ってあげたりしていたのだが、翌日訪れた時にはそのベッドに別の患者が寝ているという事がよくあった。
もちろん、昨夜のうちに亡くなったのだろう、ということは察していたのだが。
敢えて誰にも聞かなかったのだ。
そういう瞬間を思い描きたく無かったから。
そういう瞬間を一度思い描いてしまうと、自分の両親や、まだ死んだとは決まっていない兄までも、そういう状況に重ねて思い描いてしまいそうだったから。そして、ウィリディスが迎えた最期までも思い描いてしまいそうだから。
それに、そんな可能性なんかないって事は分かっているけれど。非現実的な、単なる妄想であることだって百も承知なのだけど。
昨日までそこにいた患者さんが「亡くなった」とはっきり聞かなければ。
もしかしたら晩のうちに容体がよくなって別の場所に移ったのかもしれない、なんて事も勝手に想像できたから。
どこかでまだ、今日のこの時間を過ごしているかもしれないと思うだけで、心がずっと軽くなっていたのだ。
そんな人たちが「最期」に口にしたというのがよりによって「自分に向けられた感謝」の言葉だったなんて。
ルーベラは思わず視線を落として深く息を吐く。
「……あ、あ。ごめん! そういうつもりじゃ無かったんだ!」
ハヤトの慌てふためいた声に、ルーベラがハッとして顔を上げる。その拍子に涙が溢れ、慌ててそれを手の甲でグイと拭いながらごまかすように派手に鼻をすする。
「おおぅ……すごい鼻水が! 冷えてきたし風邪でもひいたかな?」
ごまかしになっているのかなっていないのかよく分からないような事を呟くルーベラを見てハヤトは。
「こんな時代だからね、命の大切さは誰でも知ってるけど……あまりにあっけなく死んでしまう者が多すぎてそういう感覚が麻痺しちゃうんだよね。そんな中でさ、もう長くないと分かっている患者にも他と変わらず接する君みたいな子がいるのは診療所にとってもありがたいってアルが言ってたよ」
ハヤトはそんなセリフを紡ぎながら、ほんの少し慌てていた。
思いもよらず泣かせてしまった事に対して、どう対応していいのか分からなくなってしまったのかもしれない。
やり場のない思いを持て余して何となく言葉を続けてしまう。
「それにね、君の歌、何気にファンが多いみたいでね、あそこでいつも働いてるザイラがね『あの子、こんな状況だからってしんみりした歌じゃなくて明るい歌を歌うから働いてる他の人も元気になっちゃうのよね』なんて喜んでたよ」
「……え、ザイラが……?」
ルーベラがようやく言葉を発する。
ザイラはルーベラが診療所で働き始めた時に色々世話を焼いて仕事を教えてくれた人だ。本来は護衛が仕事とはいえ自ら患者の世話に動き出したルーベラを見て毎日色々教えてくれるようになったのだ。
挙げ句の果てにはルーベラを「ルビィ」と愛称で呼んで妹のように可愛がってくれるようになった。
そんなザイラの名前を聞いて笑顔が戻ったルーベラに。
「……良かった。笑ったね」
ハヤトはホッとしてその顔を覗き込む。
「じゃあさ、俺への特訓のお礼はそのファンの多い歌でいいよ」
「え……歌……歌うんですか?」
「いいじゃない、そんなに好評な歌ならちょっと聞いてみたいと思ってさ」
ハヤトが悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「う……ん……別にいいですけど……」
ルーベラにとって歌は、特別な事情がなければ歌わないとか、そんなものでもないことなので。
快く承諾するのは構わないのだが。
「あの……えーと……もしかして今、歌うの? ここで?」
ルーベラがちょっと眉をひそめる。
「ああ、出来ることならお願いしたいな」
「うーん……」
「何? ただじゃ歌わないとか?」
「え、いやまさか! ……そうじゃなくて、あの、さっき言ってた明るい感じの歌じゃなくても、いい?」
つい言葉を濁してしまう。
だって。
何となく、こんな夕暮れ時。これからあの診療所にも長くて短い夜が訪れる。
そして、さっきのハヤトの話。あたしが歌ってあげた人たちが感謝しながら逝ったこと。
それらが思いの中に焼き付いて、明るい歌なんか歌えそうにない。
「……ああ、いいよ」
ルーベラの表情を見て、ハヤトもその気持ちを察したようだ。
ルーベラの隣で軽く腕を組んだまま静かに微笑んでゆっくり目を伏せるハヤトは珍しくその表情から皮肉っぽさが抜けており、ルーベラを急かすわけでもなく何かに思いを馳せているようにも見える。
そんなハヤトをルーベラはしばらく見つめて、なんとなく歌えそうな歌を記憶の中から引っ張り出そうとしてみる。
今までは。
大抵は誰かを楽しませるために歌うことの方が多かった気がするけど。
そういうんじゃなくて。
でも、だからといって鎮魂歌のような歌はあまり知らないし、それもまた、違うような気がするのだ。
例えば、そう。
すべての人に愛する、尊い、繋がりがあって、それを大事にするような、そんな気持ちを歌った歌。
ああ、そういえば……昔、母親がそんな歌を歌っていたな……なんて思い出す。
今は亡き母が、まだ幼かったあたしを腕に抱いて、ゆっくりと頭を撫でてくれながら歌ってくれた歌。あれはそんな優しい気持ちをじんわりとあたしの心に伝えてくれるような、そんな歌だった。
薄れかけた記憶を手繰り寄せるように目を閉じてみて。
それから。
ルーベラは静かに息を吐き、微かな笑みを浮かべると瞼の裏に焼き付いた沈み始める夕陽を思いに描きつつ小さくハミングし始める。
その音は、滑らかにゆっくりと水面を行く小舟のように滑り出し、そして優しく郷愁を誘うような、誰かに歌う子守唄のような、そんな響きを持つ。
その小さなハミングが一瞬途切れて、代わりに囁くような声が漏れる。
砂漠の真ん中歩いてる
いつだってここにないもの探してる
冷たい夜空に肩を抱く
ねえ 何をなくしてしまったの
あなたの姿 取り戻して
ずっとずっとここにいる
あなたの隣 あなたのそば
思い出してね 覚えていてね
いつもあなたを抱きしめたいよ
花も草も枯れるけど 私はここで
ずっと変わらぬ想い
あなたのために温める
たった一人の人のために歌う歌に声量は必要ない。
それでも、ハヤトのために歌っているわけでも無かった。
それはまるで、自分に言い聞かせるような気持ちでもあり……それから。
このあたしに感謝なんかしながら逝った人たち。こんなあたしの歌を最期に聞いてくれた人たちのことを決して忘れないでいてあげたい、という思いを言葉にしたような、歌。そして。
彼らへの感謝も、また。




