第五話 『クリスタルローズのレナ』
「お前……レナなのか?」
コーネリアが発した名前は聞き覚えの無いものだった。
腰に帯びた装飾された銀色の鞘に収まる剣、身に纏う白のケープと下から覗く黒を主とした服装に同色系のスカートといった、センスも感じられる美少女と言っても十分なほどだ。
すると、その問いに先程列の外から割り込んで男性プレイヤーを退散させた猫耳が口を開く。
「あら? コーネリア君じゃないの。久し振りだけど何か用かしら?」
どうやらコーネリアの知り合いだが、とぼけた返事にオレのイライラも募って声を荒げ、更に問い詰めた。
「何でポーションを買い占めようとしてるんだよ? さっきあんたが居た集団とそこの女の子だと、見たところ三十人も居ないだろ!」
そんなオレの言葉に猫耳少女のレナが鋭い目線を突き付けてきた。かなりの迫力が込められた目付きに思わず一歩引いてしまいそうになったが、オレも何とか堪える。
「おい、いまこの人と喧嘩しない方がいい」
険悪なムードにコーネリアがオレと猫耳の少女の間に割り込むも、コーネリア越しにもレナはオレを突き刺すような目付きで睨み続けていた。
もちろん、頭に血が昇り冷静さを失っていたオレもそれに負けじと睨み返している。そんなオレを小学生の頃から知っているコーネリアは、肩を強く掴んで本気のトーンで止めてきた。
「セイリア……。本当にこの人はまずい」
コーネリアの慌てように流石にオレも戸惑った。相手の少女の後ろにいる女の子の一団もざわついている。
「コーネリア、こいつ誰なんだよ? こんなことしておいて止めるのか?」
少し落ち着きを取り戻したオレの単純な質問に、猫耳の側にいた背が高く槍を背負ったマントの少女が突然大笑いし始めた。
「アッハハ。こいつ初心者みたいだよ。レナの事を知らないなんてねぇ!」
「ちょっと……止めなさいよ」
笑いこける少女を青い弓を背負った茶髪ショートボブの少女がばつが悪そうに注意している。
「こいつはレナっていって、見た通り種族はケットシー。このゲームの中でも戦闘ではトップレベルのスキルを持つプレイヤーだよ」
「そんなプレイヤーがマナー違反するのか。このゲームってそういうもんか? ネットとかで炎上するだろ普通……」
コーネリアもわざわざマナー違反をする理由を察せずに頭を掻いている。
「それに後ろにいる女の子の一団もクリスタルローズって言う、このゲームの中でもかなり名の知れた女の子を集めたギルドで、ギルドマスター、ギルマスを張っているんだ」
「そんなに有名なやつだったのか……」
オレが対峙する相手がいかに格上なのか分かってきた。そしてコーネリアの説明はまだまだ続く。
「特に自分よりもずっとレベルの高い猛者をまとめるほどのカリスマ性を持っていることだ。そのリーダーシップも相まって、ゲーム内でも五本の指に入るほどのギルマスに挙げられている」
コーネリアの説明からこのゲームの中でもかなりの有名人だとわかる。周囲も騒ぎを聞き付けたのか、人が集まり始めていた。
「だからゲーム内でも有数のギルドやプレイヤーとも繋がりはあるし、他のプレイヤーに対して影響力も大きい。敵に回すと今後良くないかもしれないんだ」
そうであったとしても、いくら緊急事態とはいえ必須アイテムである回復ポーションを有名ギルドで独占という、明らかにマナー違反な行動をしているのを、他のプレイヤーが見てることしかできなくても、オレには引き下がれなかった。
「それでも、オレは自分らさえ良ければ……。なんて考えは大嫌いだ。今はある程度は皆が協力するべきだろ? それに、尚更有名プレーヤーがこんなことしても文句言わないことにオレは納得できない」
オレが言い放った正論に相手も反応を見せる。どうやら良くない事とは分かっているらしい。それでも相手に退く気は無いのか、リーダーの猫耳剣士レナが口を開いた。
「それなら決闘で決めましょうか? 口論で決着が着かないなら、得物で決めるのだって解決法の一つよ?」
その返事に周囲はどよめく。コーネリアだけでなく周りのメンバーでさえもレナを止めようとしていた。
「おい、相手は戦った事もない初心者だ。有名人が初心者いじめなんて、流石に卑怯だと言われても仕方ねぇぞ!」
「やっぱり止めようよ。ただでさえマナー違反はダメなのに、それを指摘した初心者を力でねじ伏せるのは、ギルドとしても、レナちゃんの立場にも良くないよ……」
この行為を快く思っていなかったのか、マントを諌めていた弓の少女がレナを止めに入る。それでもレナの眼は険しいままだった。
「なら、こんなゲームの中から抜け出す方法は探さなくていいの? ここに来て数時間近くも経っているのに強制的にログアウトさせないし、運営からは未だに何も言ってこないのよ?」
その言葉に反論するメンバーも口をつぐむ。それは紛れもない事実であり、恐らくは一千万を超える人たちがこのゲームに入ったきり、ログアウト出来ない状態にあるのだ。
「現実世界に帰る手段を探すために外を調査するというのに、ポーションは多いに越したことはないの。まともに戦えない初心者にまでポーション分けるくらいなら、こうして実力のあるギルドが率先して動かなくてどうするの? 少なくとも私はどれだけ謗られようとも、一刻も早くこの状況から脱出するために動くわよ」
冷静な言葉に誰も反論することができなかった。こんな異常事態に対して運営側から何も反応無しならば、とても低いはずだろうが、意図してここに閉じ込められている可能性もあるからだ。
だからこそ、彼女らを含めたを力持つプレイヤー達が何かしらの原因を探しに行くために率先して前へと進まなければいけないし、その為には初心者の面倒を受け持つ暇など事実無い。
そういった考えはオレにも分かるが、それでも今生じようとしている初心者と経験者との理不尽な格差を許せなかった。
そして、明らかに猫耳有利な決闘の提案にオレは頷くことで承諾する。
「こっちは構わない。決闘でも何でも、オレが勝ったらきちんと約束を守ってくれることを約束してくれれば十分だ」
もちろん、この言葉に周囲が騒ぎだす。これは無謀な戦いであり、レナが合理的に初心者のオレを黙らせようとしている算段なのは重々承知だ。それでも小規模とはいえ、彼女らのギルドで強制的にオレらを排除しなかっただけでもマシだとオレは考えたのだ。
隣で見ていたコーネリアもあきらめて首を縦に振ってくれた。
「まぁ、特定のデュエルモードで体力を無くしても復活の神殿に飛ばされて復活するし、持ち物も減らないからな。今回のルールはちゃんと体力ギリギリで赤点滅する形式で、HPはゼロにならないから心配はするな」
「ああ。分かったよ」
「それよりも俺が代わっても大丈夫だし、むしろそっちが勝てると思うんだが……」
「初心者のオレが勝つのが重要なんだ。そうでもしないとアイツが初心者を蔑ろにしているのを恥だと思い知らせられない」
そしてオレは猫耳をひたと見据えた。相手はなにやらメニューを操作しているようだが、すぐにメールの着信を示すプレートが現れる。
見てみると『デュエル申請。申請者・レナ』と上に大きく表示されていた。
他にもレベルが三十六であることや、職業の表示もあったが、何も分からないオレはすぐに一番下のOKボタンに手を伸ばす。すると横からオレの左手に手を伸びてきたかと思うと、止めるように掴んできた。
「おいセイリア、ちょっと待ってろ」
何か慌てたコーネリアが突然オレを止めたかと思うと、
「おい! こいつスキル設定もしてないからやらせてもいいだろ?」
そうコーネリアは猫耳に提案する。その申し出に対し、相手は即首を縦に振って同意した。
「別にいいわよ。カウントダウンは私と彼の二人が決闘に同意して始まるから。どうせ初心者が何しても勝てないし」
初心者に負ける訳がないと言わんばかりだったことが悔しいが、このままではどうしようもない。オレは僅かな時間でコーネリアからスキル設定を教わることになった。
「いいか? スキルは主に武器技、魔法、アイテム関連、職業関連の四つから派生していて、その種類は種別カテゴリーでは五十、全体では優に千を越えてくる」
「多すぎだろ……」
「今は気にするな。お前のレベルだと、はっきり言って全部がレナの足元にも及ばないからな」
「何を……」
「はいはい、相手待たせてるからとっとと設定するぞ」
目くじらを立てるオレをコーネリアは制すると、説明の続きをレクチャーした。
「初期スタート時には二個だけメインのスキルを設定できるから、まずは攻撃用スキルの欄を開け」
「開けたけど、これだけって少ないよな?」
「最大レベルなら十個使える。それでも戦闘に使う分なら問題ない」
スキルについては分からなくても、始めたばかりのオレが使える技の数は段違いに少ない事は当然だろう。
「とりあえずお前は"片手直剣技"と"基本体術"の二つをスロットに入れとけ。初心者にオススメだからな。それとお前が使う剣スキルの発動方法も教えてやる」
「わっ、分かった」
コーネリアの指示でなんとかスキルの選択をすることはできた。オレがうまく設定したことを確認すると、更に実戦での使い方も教えてくれた。
「攻撃スキルは決められた構えから発動される。いくつかの攻撃は同じポジションで発動されることもあるけど、お前は今回は気にしなくていい」
「あっ、そうか……」
オレが困惑する表情を見ながらも丁寧に教えてくれるコーネリアに内心感謝していた。
「あと、攻撃スキルはマニュアル起動とオート起動の二つがあるんだ。オートはスキルの発動時点で勝手に体がそのスキルを行ってくれる」
コーネリアの説明に必死に付いていき、何とかオレはスキルを理解しようと、彼の言葉を一つ一つ反芻して頭の中に叩き込んだ。
「マニュアルはブーストって起動に合わせてスピードを加速してくれる機能があるんだけど、加速すれば威力を上げられるしオートで起動するのと違って、ある程度技の軌道をコントロールすることも出来る」
「結構難しそうだな」
「そうだな。正直初心者には扱いやすいオート起動が常識だけど、あのレナを相手にするなら多少は自由も聞くマニュアル起動じゃないと、動き読まれてカウンターとか当て放題だろうよ」
「だったら試合中に慣れるようにするさ。こう見えても慣れは早いと自負してるからな」
オレを見るコーネリアはどこか心配げに見える。周囲の人らもきっと初心者丸出しのオレの姿に期待などあるはずもないだろう。オレにとってはプレッシャーを微塵も感じないだけに、良い感じにリラックスできる。
「片手直剣で初期から使える技は三つしかなかったはずだから、メニューからマニュアルでも見たらポジションもすぐにわかるはずだぜ」
「……とりあえずやってみなきゃな」
背中の剣帯から抜き出したブロードソードは想像より重く、剣を持った左手に重さが伝わる感覚はリアルに伝わってくる。剣など実際に持ったことなど無いが、刃の金属らしい輝きや目に見える鋭さ本物としか思えない感覚だ。
ものは試しにと、基本技である水平斬り(ホライゾン・スラッシュ)を撃ってみることにした。
スキルを発動するポジションである、体の横側に剣を構えると、刃が白く輝くと同時に何かに引っ張られるような力が与えられて一気にオレの剣が水平を薙ぐ。
「これ難しいな……」
マニュアル起動による加速でもたついてはいたものの、これならばコントロールは何とかなる。それが初めて剣を振った感想だった。
すると、目の前でオレの動きを見ていた猫耳がやれやれと言わんばかりのため息を吐く場面をオレは視界の端に捉えていた。
「何だよ? 笑うなら笑えばいいさ」
「そうね、完全に初心者の動きね……。やっぱり一撃当ててHPを減らせたら、君の勝ちにしてあげる」
「そんな事言っておいて、負けても文句言うなよ?」
「ええ。それでも君に私の力との差を示しておく必要があるの」
オレは目の前にある薄紫色の決闘申請のプレートの一番下にあったOKボタンにタッチした。すると半径十メートルほどを囲むように、紫がかった薄い空気の膜みたいなものが張られていく。触れてみると抵抗力を感じるところから、これが戦うエリアなのだろう。
『試合開始まで、五、四……』
機械音声によるカウントダウンが進む。サッカーの試合前にやるようにオレは深呼吸を数回すると、試合開始のアラームが市場の空気を震わせた。