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第4話 正義の力 

「いくらカンパニーとスクールでの違いはあると言っても、ゴーイングコンサーンの考え方はインポータントだと思う」


「新田、訳」


「いくら企業と学校で違うと言っても、永続的な組織運営は大事だと思う」


 近江の急な主張にも、本から目を離さずに答える春馬。


「私たちのベースボールクラブも、今年限りのレーゾンデートルではなく、ゴーイングコンサーンに繋がるレーゾンデートルと、それをリアライゼーションするリソースが必要」


「私たちの野球部も今年限りの……分からん。レーゾンデートルってなんだっけ?」


 私たちの野球部も今年限りの存在理由ではなく、永続的な組織運営に繋がる存在理由と、それを実現する内部資源が必要である。


「そのためには現在のジェネレーションだけで終わらせず、次のジェネレーションにも、ノウハウをテイクオーバーしていくべき」


 そのためには現在の世代だけで終わらせず、次の世代にも蓄積された情報資源・技術を受け継いでいくべき。


「だから、トゥデイもプラックティスを頑張ってトゥギャザーしようぜ」


「だから本日も一緒に練習を頑張ろう」


 途中で訳を放棄した春馬も最後は分かったらしい。


「ビジネス用語ってなんだろうなぁ」


「中途半端な英語交じりの日本語」


 最上の疑問に春馬の身もふたもない指摘。


「ただ練習を頑張るのは否定しない。最後の夏。最後の甲子園への挑戦に向けて、やるべきことはやらないとな」


「でしょ?」


 近江が胸を張る。


「それに次の世代の事を考えなければいけないのも同感」


「だよね」


 また胸を張る。


「そのためには不安は全部断ち切らないとな」


「頑張る」


 意外と今回の英語交じりの日本語は的を射る指摘だったようである。


「あぁ、今日、すべての不安は一掃しようか」


「頑張るぞ~、お~」


 いつも通りのハイテンションの近江に対して、春馬はこちらも冷静な態度。しかしその冷静さにはどこか暗さのこもる異様なものであったのは、微妙な気配に敏感な人しか分からないものであった。


 それに気付いたのはこの場では楓音のみ。ただ彼女は彼に言いたいことを言っている。それについて彼から何も言われないということは、つまりひとまず自分に頼るような案件ではないということである。そうなれば楓音にとってはただただ彼を信用するのみである。


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 内外野に分かれての守備練習。


 内野は最上に任せて、外野は春馬が大崎を引き連れて担当している。今日、やたらと大崎と一緒にいがちなのはこれが理由なのだろうか。


「はい、次っ」


 ノッカー・春馬の放った打球は外野へのクリーンヒット性の打球。複数ポジションでの出場を見越して外野守備についた鍋島。打球を受けてノック補助の大崎に送球。


 1年生4名が入部してしかもそのうち2人が初心者。現3年生が抜けると人数不足の問題に直面するわけだが、それを除いてもレベルの急降下が問題となる。ここ最近の結果を考えれば感覚が麻痺してしまうが、そもそも蛍が丘高校はスポーツに力を入れているわけでもないし、野球部の実力を維持しておく必要性もそれほどあるわけでもない。ただだからと言って、3年生が去った途端に焼野原では決して気持ちがいいものではないだろう。


「う~ん。確かに1年生のみんなのレベルアップは私じゃ力になれないかも」


 特に守備については春馬や大崎に分がある。野球経験の長さは伊達ではない。


 もし彼の不安がこれであるならば彼女が手を出すことはほぼ不可能である。


 あえて言うなれば、ここ最近まで初心者だったからこそ分かる経験則をアドバイスとしてできることくらいだろうか。もっとも彼女は初心者と言っても、野球に関した情報量だけは膨大なところがあったため、厳密には野球初心者ではなくプレー初心者であるが。



 その日の練習はほぼ1年生を中心とした練習にて終了。


「春馬く~ん。かえろ~」


 いつも通りの時間に練習を終えると、男子勢は外で、女子勢は部室を占有して着替え。その着替えも終わるなり、いつものように近江が駆けてくる。家が近いわけではないが、同じ方向にあるためこうして誘ってくるのが恒例である。ただ本日は違った。


「ちょっと今日は大崎と帰る」


「えぇ~、なんで~」


「なんでって言われてもなぁ」


 大崎の家は春馬や近江達とは違う方向である。


「父さんの会社に届け物しないといけないんだよなぁ。忘れ物したみたいで」


「うぅ、諦める」


 彼女には珍しく物わかりがよく、しかし気落ちしながらカバンを肩にかける。彼女はやむなく同じ方向に帰るメンバーに声をかけ始める。そんな彼女に代わって彼に声をかけたのは大崎。


「よかったの?」


「仕方ないだろ。状況が状況だけに。あいつは巻きこめねぇ」


「僕はいいんだね」


「大崎も別に安全地帯にいていいぞ。頼みだけ果たしてくれれば」


 1人で『危険地帯』に踏み込もうとする春馬に対し、大崎はほんのり笑顔を浮かべながら返す。


「地獄の1つや2つ、付き合うよ。それに、僕がいてくれた方が助かるでしょ?」


 彼は家族の連絡先の映し出された携帯電話の画面を、カバンの中からチラつかせるように見せる。


「そりゃあなぁ」


「でも、本当なのかな? あの話」


「情報筋は信用できるものかな。情報源の信用性は疑問符だけど。ただなんにせよ、注意しておくに越したことはないかな」


「怖いね。新田君の情報網は」


「裏社会とか暗部ってヤツだよな。そこまで大それたものじゃないけど」


「不良」


「まぁ、そういうこと」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 同じ方向に帰るという猿政、鍋島らと別れた武川。


「よぉ。久しいなぁ」


「っ――」


 彼が人通りの少ない裏道を通りかかった時だった。7人程度の男たちに囲まれる。


「お前、今、蛍が丘の野球部なんだってなぁ」


「……」


「ちょっと面貸せよ。断りはしねぇよな」


 いかにも中心人物と思わしき態度の大きな男が不気味に笑い、武川は唇を噛みながら頷いた。


 腹立たしい顔だった。思い出したくない存在だった。


 しかし彼らと出会ったのが、チームメイトと別れた直後でよかったとも思う。


 今ならばひとまず自分の身の振り方次第で野球部に迷惑をかけることはない。


 ただやり方次第ではその保証もない。


 ただここは、彼らに関わるしか手段はない。



 学生が東京・大阪と言った都市圏や、広島・福岡など近隣都市に流出した結果、労働者不足で島根県内の産業は空洞化している。その結果、このあたりも工場の倒産が進んでいるということである。蛍が丘ベッドタウン計画で人口は再増加しているとはいえ、まだそうしたところに労働力が供給できるほどではないのである。


 それにより潰れた廃工場の倉庫跡。


「オラ、オラ。もう終わりかぁ」


 鈍器こそ使ってはいないが、殴る蹴るの暴行が繰り返される。


「チッ。大して持ってねぇな。おい、これで全部か?」


 壁にもたれかかった状態で声のした方を見ると、グループの1人が自分のカバンから財布を探り、中から現金を抜き取っていた。その行動につい右手の拳を握ろうとするが、


「おっと。暴力か。さてさて、野球部が暴力を振ろうものならば、どうなるか分かってるかなぁ?」


 その一言に踏みとどまってしまう。


 彼自体はそもそも暴力が嫌いな人間である。


 何よりここで暴力沙汰を起こせば野球部は出場停止。こんな曰く付きな人間を受け入れてくれた、野球部のみんなに申し訳が立たない。


「持ってねぇのか、って聞いてんだろうが」


 さらにそこへ顔面に蹴りが加えられる。既に口の中には血の味が満たされている。その上での一撃に、口元から一筋の血がしたたり落ちるのが自分にもわかった。


 どれほどやられても正当防衛を行使できない。


 例え法が認めるものであるからと言って、世間がそれを認めるとは限らないのである。


 加えて注目度の高い野球部の看板と、カネの匂いに敏感なマスコミの存在がその正当な力の行使を防ぐ。


 自らを自らで守ることすらできず、ただただやられるのみ。


 しかし一見すればどれほど敵だらけでも、必ずどこかに味方はいる。


「お父さん、お願い」


 携帯電話に向けられたその一言でこの国の力の一端が動き始める。


「あとは、時間の問題か」


 そして別の人物が発したさらなる一言。


 確かにこの問題解決に向けて時計の針は動き始めていた。



 人も車も滅多に通らない地域のはずであるが、それでもたまに車の通る音くらいはする。かといってわざわざこんな廃工場にやってくるものもなく、助けが来る気配など一切ない。


 とてつもなく長く感じるこの時間。1時間経ったと言われれば1時間なのかもしれないし、2時間だと言われれば2時間なのかもしれない。夜が明けてないのだから1日はあり得ないが、感覚的には24時間と言われてもそうだと思ってしまうくらいだ。


 なんにせよそれだけの長い間、殴る蹴るの暴行を加えられ続けていた武川は、既に傍から見ても分かるくらいにボロボロになっていた。それでも彼らは暴力を振るうのをやめることはしない。


『(誰か、誰か、せめて、ここの管理者でも来てくれれば)』


 少し外に目をやったのが、さも何かをしようとしたように見えたのだろう。一発蹴飛ばされる。


「ケッ。雑魚のクセして――」


 さらにもう一発殴り飛ばそう。そう思って彼の胸ぐらを掴んだその時だった。


「何をしているっ」


 車の急ブレーキの音の直後に響いた大きな声。


 そこには2人の成年男性が立っていた。


 その背後には白黒カラーのセダン。


 側面に書かれていた文字は――


『島根県警』


「うわっ。やべっ、警察だ」


「逃げろ」


「なんでこんなところにっ」


 武川を放りだして逃げ出す7人。


「彼を頼んだ。俺はあいつらを追う」


「任せた」


 警察官の片方が7人を追い、もう一方が武川の元へと駆けつける。


「大丈夫か?」


 そう声掛けするものの、大丈夫ではないことは彼の経験則から分かっている。


「ひとまず、パトカーの中で休もう」


 警察官は彼を背負い、赤色灯は未点灯のパトカーまで小走りで向かう。


「大崎さん。救急車は呼んでおきましたよ」


「ありがとう」


 そこで聞こえる第三者の声。武川はそれに2つの違和感を覚える。


 一つはどこかで聞き覚えのある低い声。


 そして珍しいものではないが『大崎』という名前。


「しかし新田君。警察官として言わざるを得ないが、無茶はしないでくれないか?」


「無茶ではないですよ。実際問題、噂程度の話を警察に言ったところで、動いてくれましたか? そりゃあ、予防はしてくれますけど、現行犯で抑え込まない限りは形を変えてどっかでするだけです。なら、手のひらで動いてくれる方がまだいいのでは?」


「むっ。それはそうだけれども」


 そしてこの理屈っぽいしゃべり方に、大崎警察官の言った『新田』という名前。腫れて空きづらくなった目を開けばそこには――


「か、監督さん」


「因みに僕もいるよ~」


「俊太。お前もおとなしくしておいてほしいものだな」


 新田春馬 & 大崎俊太


 2人がパトカーの横に自転車を止めて立っていた。


 そしてさらにその隣にいるのは警察官の大崎父。


「お父さん。それについては新田君の言ったセリフ通りだよ」


「帰ったら説教だ」


「えっ?」


 そして彼をパトカーの後部座席に座らせた大崎警察官は、もはや言わずもがな大崎俊太の父親である。


 大崎父は直後、すかさず無線にて他の警察官に応援を要請。


「大崎さん。これ、犯人グループの、原付やバイクのナンバー一覧です」


 しかも春馬がしっかりナンバーを控えている大手柄。


「監督さん、どうしてここに」


「蛇の道は蛇って諺、知ってるか。元副生徒会長そりゃあ優等生とは言われるけど、僕はこれでもサボり常習犯で、内申書は近江級の不良なもんでな。あぁ言うやつらの情報、いろんなところから入ってくるんだなぁ。これが。こえぇだろ、不良の情報網って」


「そうそう。それで、新田君に相談されたから、僕がお父さんに来てくれるよう頼んだってわけ。ウソの可能性もあったから、思いっきり動けなかったみたいだけどね」


 大崎が目を父に移すと、ほんのり不機嫌そうな顔を浮かべる大崎父。


「言わば、善良な民に悪さする鬼を退治しにきた桃太郎ってとこかな」


「ワンワン」


 大崎がノリで吠える。


 どう見ても猿とキジが足りないが。


「まぁ、退治したのは僕じゃなくて警察(こっち)なんだけど」


 春馬はパトカーへと視線を落とす。


「ただどっちにせよ。こいつで本当の意味でゲームセットだろうよ」


―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――・―――


 その後、判明した話だ。


 武川は2年生の春休み中、同級生がヤツラに恐喝されているのを発見。助けに向かった際に暴力を振るわれたのだが、それを手で払った拍子にバランスを崩したグループ内の1人が腕を骨折したらしい。それが怪我した学生の親から学校へと連絡。学校での事情確認において武川は事の次第を説明したが、グループはもちろん事実を隠匿・捏造。助けた同級生も彼らに弱みを握られていたことでウソの発言をし、結果として武川が罰を被ることに。


 ただその時期、蛍が丘高校は春のセンバツ出場が決定し世間的注目度が上がっていたこともあり、武川自身、関係のない野球部に迷惑はかけられないと『一身上の都合による休学』の名目で実質的な停学処分を受けた。


 すべてはあのグループの存在と、武川自身の過剰な人の良さが招いた問題だったのである。


「で、あいつらどうなったって」


「大学を退学処分で半ば確定だそうです。昨日、信英館大学、総合鈴征大学や、山陰文科大学の責任者という方々が謝罪に来られました。それと蛍が丘の校長先生と教頭先生も、『知らなかったとはいえ、無実の罪をかけてしまい申し訳なかった』と」


 あの事件の2日後。1日の欠席を挟んで登校してきた武川はケガだらけであった。そんな彼が授業間の休み中に春馬へと経緯を説明したのである。


 ちょっとした事ならばせいぜい停学で済むだろうが、実際に警察による介入を許した事件である。暴行事件として立件されるとのこと。こうなるともはや大学も対面的に退学処分を出さざるをえなかったことは間違いない。


 ただよりによって加害者の所属大学が信英館・総合鈴征とは、不思議な形で昨夏の報復をされたような気持ちである。もっとも大学と附属高校では同系列であれ組織は独立しているし、加害者自体は蛍が丘高校の卒業生である。そこを結びつけるのは、被害妄想としてもあまりにも度が過ぎるものである。


「武川にしてみれば災難だったけど、ちょっとお前は人が良すぎるな。まぁ、その人の良さに僕ら野球部は救われてもいるわけだけどさぁ……」


「かも……ですね。これからは監督みたいに、ゲスく生きていきます」


「そんなにゲスイか?」


「ゲスいですよ?」


「ゲスイじゃなくて、頭がキレると言って欲しいけどな」


 似たような正直者のお人よしに総合鈴征附属出雲共和の立花兄がいるが、あれはもう春馬のクレーバーさ(隠し球&嘘予告ストレート)によって彼を信じてはいないらしい。


「まぁ、野球部の練習は適当に言い訳しとくよ。ゆっくり休め」


「理由は打ち合わせした通りに……」


「分かってる」


 あまり周りに心配を掛けたくないということで、理由を知っている武川一家、大崎、そして春馬。一同との打ち合わせによって、夜中にトイレに行こうと思ったところ、階段を踏み外して2階から1階まで転がり落ちた。ということになっているのである。真実について知っているのは先のメンバー以外では島根県警と蛍が丘高校、加害者所属の大学くらいのものである。


「監督」


 彼は春馬に向き合い頭を深々と下げた。


「ありがとうございました」


「それは大崎に言ってやってくれ。あいつが親父の伝手を使ったわけだし。なんなら無茶したせいで、帰って親父にコッテリしぼられたみたいだしな」


「お礼を大崎君に言ったら『新田君に言ってよ。僕はお父さんに連絡して、新田君に付いて行っただけだから』と言ってましたよ」


「じゃあ、もう忘れろよ。一度過ぎた事件は忘れない限り面倒なだけだ」


 武川はその春馬の心優しい態度に気を許したのか、ほんのり意地悪い声で一言。


「なら、もう死に霊の悪夢も忘れたんで?」


 すると春馬は立ち上がりグラウンドを見つめる。


「あれは事件じゃねぇよ」


 そして、一言。


「僕の――いや、僕らの越えるべき過去(モノ)だ」


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