第5話 蛍が丘No.1の名バッテリー
「なんか嫌な流れだな」
自分の采配に対する力不足を感じながら、ベンチから出ていく春馬。そんな彼を、ネクストバッターサークルから戻ってくる最上が呼び止める。
「新田」
「どうした?」
「これで4点差だな」
「そうだな。それじゃあ、守備に――」
「待て。あと4イニングだな」
「そうだな。それじゃあ、守備に――」
「待て。ここで勝てば信英館戦だな」
何を思ったか、言いたいことをはっきり言わない最上に、主張を察した春馬がため息をもらしながら答える。
「……分かったよ。僕が投げる」
「そうかぁ。いやぁ、完投するつもりだったけど、監督が言うならマウンドを降りるかぁぁぁ」
「……白々しいぞ。そんなに完投したいなら完投するか?」
「い、いや。もうマウンドを降りる気で集中力を切らしちゃったし」
最上に呆れた目を向けつつ、何人かを除いて呼び止める春馬。
「皆月、レフト。因幡、センター。大崎、セカンド。近江、キャッチャー。最上はショートな。それと大崎。キャッチャーの準備が整うまで、投球練習を手伝え」
練習試合・大野山南戦、および春季大会で行った、いつもの守備交代である。皆月は「また最上がワガママ言ったな?」と呆れつつ、因幡は無言で頷き外野へ。大崎は春馬を待ちつつ、最上はロケットのようにショートへとすっ飛んでいく。
そして近江は、
「ねぇねぇ、春馬君。キャッチャー? 私、キャッチャー? 春馬君とバッテリー?」
「はいはい。この回からキャッチャー。僕とバッテリー」
「えへへ。嬉しい。ギュ~ってしてあげる~」
そう言いながら駆け寄ってくる。そんな彼女の胸ぐらと腕を掴んだ春馬は、
「ふにゃあぁぁ」
「あっ、内股刈りだっけ?」
柔道の授業で習った技を使い、近江を投げ飛ばす。大崎も一応は授業内容を覚えているようで。
「早くしろ。早くしないと、投球練習が終わるぞ」
「うやぁぁ、待ってぇぇぇ。ミットどこ? 私のミットどこぉぉ?」
近江は飛び上がって準備を始める。
「さて、大崎。行くぞ。ついでに守備交代を審判に伝えといてくれ」
「はいはい。任せて」
マウンドに上がった春馬。ボールを拾い上げてグローブの中に入れ、ロージンバッグを邪魔にならない位置へと移動。
「さぁ、準備OK。いつでもいいよ」
そして守備交代を告げ終え、しゃがみこんだ大崎にめがけて投球練習開始。今までであれば、3球ほど投げたあたりで、近江がお尻を振りながら上機嫌でやってきたのだが、
「待って、待って。大崎君、チェンジ、チェンジ。私とチェンジ」
「「はやっ」」
皆月に手伝ってもらったこともあり、大崎との投球練習はわずか1球。それだけで近江が準備を整えて飛び出してきたのだ。
「春馬君。いいよ。早く投げて~」
大崎と交代し、笑顔でミットを構える近江。軽く深呼吸して気分を入れ替え、いつもの相方に向けて初球。
「ナイボー」
低めに決まるいいボール。
「う~ん、僕相手に投げるより、近江さんに投げた時の方がいい球なのは、肩が温まった2球目だから。それとも本当に相性がいいから?」
「大崎。あまりうるさいと最上にするぞ」
「キツネそばは嫌だなぁ」
「おい。なんで僕=キツネそばなんだよ。なんで無言の了解で通じてんだよ」
例えば『りんご=apple』で『学校=school』であるように、『最上=キツネそばorキツネうどん』である。
すべて常識だ。
「ボールバック~。セカン、行くよ~」
規定投球数を1球だけ残して、高い声を上げた近江。大崎が2塁ベース上に立って、手を挙げたのを確認してしゃがみこむ。そして春馬が投げた高めのストレートを受けて、
「セカンッ」
しゃがんだ春馬のすぐ上を通し、ワンバウンドで大崎のグローブへ。
「はい、ナイボール。ファーストっ」
「ショート」
「あいよ。大崎っ」
「っと、サード」
「うむ。新田殿」
「どうも」
ファースト―ショート―セカンド―サードとボールを回し、最後のサード・猿政は、マウンド付近まで行って、軽いトスで春馬へと渡す。
「……近江。ボール交代」
「は~い。審判さん」
いつもの声出しをしようとしていた近江だが、春馬にボール交換を頼まれ、先にそれを済ませる。
「ありがとうございます。はい、春馬君」
「どうも」
新しいボールを投げて渡す。そしてバックスクリーンでイニングを確認。
「6回の裏ぁぁぁ。バッター1番。しっかり守っていこう」
彼女の大きい声がグラウンドに響いて6回の裏が始まった。
『(ふふ~ん。初めての夏のキャッチャ~。えっとね、最初はね、うんとね)』
最上リード塾はちょっと我流が強すぎるため、皆月リード塾で、ある程度はリードについて学んだ近江。対大野山南戦から成長しているのか。楽しそうな顔をしながら行った、真価を発揮する舞台での初リードは……
『(アウトコース低め。ストレートでズバッとひとつもらっちゃおう)』
いいかどうかはともかくとして、悪くはない要求。
プレートに足を掛けた春馬は頷き、左足を引いてノーワインドアップの投球モーション。近江は左バッターのアウトコースへと寄って、ミットを低く構える。
「ボール」
少し力を入れすぎたボールは、インコースへのショートバウンドになった。が、これを近江が片手逆シングルでいとも簡単に捕球。投げ返そうとしたものの、ボールの汚れに気付き、ユニフォームで拭いてから投げ返した。
「楽に楽に」
近江はそう声をかけるが、春馬はまるで足場が悪いかのように地面を蹴って、再びプレートに足を掛けた。
『(マウンドのせいにしちゃダメだよぉ? 次はしっかり。もう一回同じところ)』
結果的にインに入った球とは逆。アウトコースへと再び構えなおす。
今度も頷き第2球。制止の無い流れるような動きからの投球は、彼女の構えたコースの少し上。コントロールミスと言うほどではない程度だったが、
「あっ、ピッチャー……は捕れないかぁ。春馬君だったら捕れると思ったけど」
痛烈なピッチャー返し。春馬なら処理できない打球ではなかったが、今回はグローブを出すのが遅れて股間を抜かれる。そして彼を抜いた打球は二遊間を割り、センター前へのヒットになった。
「よぉし、続け続けぇぇぇ」
「まず同点、いや1点返すぞ」
「こっからだぁぁ」
意気上がる総合鈴征。マウンドに上がって早々、捕まりつつある春馬は不機嫌そうにマウンドを整え、それから近江のサインを覗き込んだ。
『(送りバント……やらせる?)』
『(4点差だし、アウト1つもらえるならやらせちゃおう)』
『(うん。分かった)』
バントの構えをする2番。どうするかの判断をサインで聞いた後、内野に向けてバント警戒の指示。続いて春馬へとインコースいっぱいにサインを送る。
その初球。バントするには絶好球の甘い球をしっかりとバットに当て、さらにボールが転がるのを確認してスタートする、教科書通りの送りバント。
「サード。ボール1つ」
サード真正面。近江の指示通り、猿政はボールを拾い上げて1塁へと送球。これでランナーをスコアリングポジションに置いてしまうが、それと引き換えにワンアウト。わずか3球で作られたチャンスで迎えるは、
『3番、セカンド、三藤君』
先輩後輩対決。
『(三藤先輩。勝負です)』
『(新田君。中学校でピッチャーは諦めたって言うのに)』
もちろん、三藤は春馬がピッチャーとして復帰したことは知っている。何せ、春のセンバツと言う、全国中継の大会で27失点の大炎上したピッチャーだ。知らないわけがない。
『(先輩だから意識するかもだけど、あまり意識しすぎちゃダメ。低めいっぱいのストレートでどうかな?)』
『(いや、悪いけど、あっちで勝負させてくれ)』
今日初めての首振り。近江は彼の意図を察し、続くサインを送る。ここの理解度も彼と彼女の相性ゆえか。
『(本当に意識し過ぎちゃダメだよ? ジャイロ?)』
『(そ。日野さんに習ったスライダー。ここで先輩に見せておきたい。次の立花にも変化球を意識させる目的で)』
頷いた春馬に不安を覚えながらも、インコースへと構える。そうして投じた初球。
「ボール」
低めにワンバウンドするスライダー。体を張って前に落とし、すぐさま拾って2塁ランナーを牽制。
「楽に楽に」
この様子にやはり近江は違和感を抱いていた。今日の春馬は何かがおかしいと。
2球目は高めに浮き、3球目がアウトコースに外れる。その果てにど真ん中に甘く入ったストレートをライト前に痛打。大崎がノーバウンドで捕りそうになったため、ランナーはホームを突くほどのスタートは切れず。1点を返されずに済むが、1アウトで1・3塁のピンチを招いてしまう。
「タ、タイム」
同点を目指して勢いづく総合鈴征打線と、春馬の不調。この2つを読み切り、タイムを掛けてマウンドに駆け寄る近江。
「春馬君。どうしたの? 今日なんか調子悪いよ?」
「んなことはない。さっき大崎だって、いい球を投げているって言っていたし」
「あれは大崎君に投げるより、私の時の方がいいって話でしょ? 今日の春馬君。全然ボールが来てないもん。それに、三藤さんの時もボール荒れてたし」
勉強については1分前の事も忘れるくせに、野球の事はそれ以上前のことも鮮明に覚えている野球バカ。しかも理解力に関してもいつも以上だ。
「いや、多分だけどさ、最上のバカが急に交代って言ったせいで、肩がまだ暖まって……」
目が泳ぎつつある春馬に、近江が表情をしかめた。
「春馬君」
彼の頭を両手で掴み、強引に自分へと目線を合わさせる。
「気持ちは分かる。気持ちはわかるけど、先輩だからって意識しすぎだよ?」
帽子のつばがあるためピッタリとは言わないが、自分の額と彼の額を、くっけるような勢いで近づける。目と目の距離は20センチ程度。お互いの瞳孔がはっきり分かるほどの距離しかなく、視線を外そうにも外せない。
「あのさ、近江。顔が近――」
「あのね、春馬君。私たちはみんな2年生だから実感ないかもだけど、相手の先輩たち3年生は、三藤さんも含めて、今年が最後の夏なんだよ。もしかしたら今日が最後になるかもしれないんだよ。だから、本気でこの4点差を逆転しようとしている。私、長く野球やっているから分かるもん」
春馬が何か言いたそうにするも、近江の目がそれを制して、さらに言葉を重ねてくる。
「もし、本当に先輩を意識しているなら、ベストの力を出さないと失礼だよ」
「……うん」
「ほら。少し肩の力を抜こう」
ようやく顔を離し、ついでに顔を掴んでいた両手も外し、彼の両肩を掴んで軽く揉む。
「もぅ、春馬君はいつまでも私がいないとダメなんだからぁ」
セリフ的では迷惑そうな事を言いながらも、声の抑揚と表情的には、非常に嬉しそうな感じの近江。春馬は苦笑いしながら言葉を返す。
「そろそろ、審判も待ちわびてるから始めようや」
「うん。春馬君。本当にいい?」
「大丈夫。近江のおかげで気持ちが切り替えられた」
「そっかぁ。だったらよかった。4点差あるし、気持ちを楽に、けど、気を抜きすぎないようにね」
元気になって戻っていく近江。一方の春馬は、時間に厳しい高校野球の審判が、よく長々と待ってくれたものだ。と思いながら、彼女の背を見送り続ける。そしてそんな彼の右後ろでは、
『(なんかすげぇよなぁ。学校だと春馬が近江に世話を焼いてる感じなのに、ピッチャー・キャッチャーの関係になると、近江が春馬に世話を焼いてるんだからな。だからか? 近江と春馬でバッテリーの相性がいいのは。よくよく考えれば、皆月は春馬に気配りできないもんな)』
最上が2人を見ながら微笑んでいた。
もちろん皆月は気配りができない奴。と言うわけではないが、ただ皆月の気配りは春馬に効果が無く、近江の気配りは効果絶大と言ったところ。相性と言うのはリズムや配球云々の事もあろうが、そうしたところもあるのではないだろうか。
「えぇぇ……いいかな?」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ……プレイ」
慣れない光景を見せられて戸惑った審判は、近江に確認を取って試合再開。
『4番、キャッチャー、立花道雪君』
1アウト1・3塁。仮に一発が出ればたちまち1点差と言う場面で、迎えるのは主砲の立花。
『(春馬君。気負い過ぎちゃだめだからね。大丈夫。私が付いてるから。初球は、アウトコースへ逃げる球。どうせ2塁は空いてるから、歩かせるつもりで際どいところを突いていこう)』
タイム明け直後。近江のサインに頷き、セットポジションに入った春馬。横目に1塁ランナーを確認し、タイミングを計って1塁牽制。ここは無理をする場面ではないと考えているようで、ランナーの三藤はあまり大きなリードを取っておらず、ほぼ歩きで1塁まで帰る。
牽制で少し間を取っての初球。
「ボール」
外にボール数個外れてワンボール。
「うん、うん。ナイボール。よくなったよ」
非常に上から目線の近江に対し、春馬は嫌そうな表情でボールを受け取る。
やはり普段は頼りにならない近江が、自分を引っ張っていくということ。それがどことなく受け入れ難いのだ。
「ボール、ツー」
続く2球目。アウトコース低めにはっきりと外れるボール球。
「いいよ、いいよ。ナイスコース」
過剰なまでな声掛け。近江らしいと言えば近江らしく、例えば皆月であれば、1回言えばそれ以降はだんまりであろう。
『(んと、インコースにでも放ってみる? 外に意識いっていれば、運が良ければ詰まらせることができるかも)』
『(あいよ)』
なんだかんだ言いながらも、ここまで近江のサインに首を振ったのは1度だけ。それも三藤を意識したことによる首振りという特殊ケースのため、基本的には首を振っていないとも考えられる。
もはやほとんどランナーを警戒せず、してもクイックモーションを忘れない程度で放った3球目。彼女の指示通り、そして春馬の考え通りの投球はインコース高め。あわよくば詰まらせて内野ゴロゲッツーを狙えるのだが、
「あっ、やべっ」
カウント2―0と言うヒッティングカウントからの一振りは、詰まるどころか真芯で捉えられる。立花の読みを外したのか、ベストスイングはさせなかったようだが、大きな外野フライとなる。
「センターぁぁぁぁ。ショート、中継あるよ。春馬君、バックアップ」
不幸中の幸い。打球はこの回からセンターに移っている強肩・因幡の元へ。もちろん、3塁ランナーはタッチアップ。そして近江の指示に従い、最上は中継の用意、春馬は冒頭に備えて近江の後ろに向かって走っていく。
「ランナー走った。バックホーム」
捕球と同時に3塁ランナースタート。
『(この送球だと……ダメ。マウンドで跳ねるっ)』
「最上君。カット」
正直、3塁ランナーの生還を防げるタイミングではない。さらに言えば、下手すると1塁ランナーを2塁に進ませかねないこの状況、無理をするべきではない。
最上はマウンドと2塁ベースの中間で、因幡のバックホームをカット。ホームが間に合わないと判断し、すぐに1塁ランナーを警戒。対する三藤もこの状況では無理をせず。
「ホームイン」
立花道雪に犠牲フライを許し、総合鈴征に1点を返される。
「流れを持っていかれたくなかったけど、1点取られちゃったか……」
「ドンマイ、ドンマイ。切り替えていこう」
春馬がマウンドへと帰るその途中。ホーム周辺を通った瞬間に、近江が励ますように背中を2度叩く。
『(監督目線でいろいろ悲観的に考えがちな新田。元の性格に加え、キャプテンって立場を意識して、チームを盛り上げるよう、楽観的にものを考える近江。で、その2人を支えるように僕。
そう考えると、ウチの首脳陣って、割とベストポジションなんだよな。飯間先輩、意外と考えてるなぁ)』
自分が野球部には行った時、3年生であり、唯一の部員だった飯間幸太郎・元選手兼任監督。近江に「野球部に入れろ」と言われてあたふたしていた頼りない先輩を思い浮かべながら、一方で今の光景を見て感心するところがある。
『(たしか、そこそこいい大学行ったって聞いたし、意外と頭は良かったのかな?)』
しっかりと心中で先輩のことを過大評価。
ところが真実はそうではなかったり。新田監督、近江キャプテンの成り立ちは、入部届けの提出順が、1番・新田春馬、2番・近江、3番・最上であったため。大学はセンター試験で分からない問題を適当に解いたところ、ほぼ正解で、そのままセンター利用の私立大学に合格してしまっただけ。むしろ「良い」のは頭ではなく運である。
そうした飯間先輩の「良さ」はともかく、少なくとも試合展開は「良い」方向に傾きつつあった。
ツーアウトで1塁に三藤を置いて5番。初球、いきなり三藤に2塁への盗塁を許したが、バッターを1―1からセカンドゴロに打ち取ってスリーアウト。不調な様相を見せた春馬であったが、1番から始まる好打順をわずか1失点に抑えこんだ。
「ナイスピッチ、ナイスピッチ」
「はいはい。どうも」
「私の声掛けからボール良くなったよね」
マスクとヘルメットを外し、春馬と並んでベンチに帰る。その表情は1点を失った直後とは思えないほど、非常に嬉しそうな声。
「ほんと~に、私がいないとダメなんだからぁ」
「はいはい。悪ぅございました」
「えへへ~」
ちょうどベンチに入ったあたりで、彼の右腕にしがみつく。
「近江」
「えへへ。はなれないも~ん」
「そっち、投げる方の腕」
「離れる」
野球バカはコツを掴めば扱いやすい。バカップルも驚きの超バカップルっぷりを見せていた、天然の両名だが、それを遮ったのはこの人。
「あぁ……新田。攻撃に行くけど、特に言う事は?」
ヘルメットを被り、バットを担いだ最上。
「あ、す、すまん。その、なんだ。近江」
「この回でコールド勝ちしよぉぉぉぉ」
「だとよ」
「無茶ぶりするなぁ。お前ら」




