第一話 お姉様、それ一口ちょうだい?
私の妹は、なんでも一口食べる。
「お姉様、それ一口ちょうだい?」
小首をかしげて、蜂蜜色の巻き毛を揺らして、大きな青い瞳を潤ませて。
その一言を言われて断れた人間を、私は十八年生きてきて一人も見たことがない。
三歳の誕生日、私の目の前に置かれた薔薇の砂糖菓子。
妹のアンヌは私の膝によじ登って「一口ちょうだい?」と言い、そして薔薇の花びらを一枚だけ、上品にかじった。
残りは皿の上に戻された。
半分残された砂糖菓子には小さな歯型がついていて、私はもうそれを食べる気になれなかった。
七歳のとき、お母様が私にだけ買ってくださったビスクドールも同じだった。
「一日だけ抱っこさせて」
——一日だけ、と言って妹の部屋へ行った人形は、三日後に髪を切られて戻ってきた。
「だって、その方が似合うと思ったんだもの」
十歳のとき、私が三年かけて信頼関係を築いた家庭教師のマダム・ロシェも。
「一時間だけ、私にも教えてくださらない?」
と言った妹は、半年後にはマダムを完全に自分の教師にしていた。
そのたびに私は思うのだ。一口って、なんだろう。
妹は一口しか食べない。
ただ、一口かじられたものは、もう二度と私のものには戻らない。
それだけの話だった。
そして両親は言う。
「ティナ、お姉様なのだから」
「アンヌは可愛らしいだろう。少しくらい分けてあげなさい」
お姉様だから。
たった二歳の差で、私は生涯、自分のものを一口ずつ削り取られる役目を割り当てられたらしい。
——だから、私は早々に学んだ。
大切なものは、妹に見えないところに隠す。
これが、アーデンフェルト伯爵家長女ティナの、十歳にしての処世訓だった。
十六歳の社交界デビューの夜、私はアルフォンス・レーヴェンハルト侯爵令息に見初められた。
金の髪、長身、剣術大会優勝、学院首席。
父は狂喜し、母は私の頬を撫でて「あなたにしては上出来ね」と言った。
アルフォンス様は誠実な方だった。
毎週手紙をくださり、庭園を歩き、私の話に耳を傾けてくださった。
私も少しずつ心を開いていった。
……この人となら、と思い始めていた。
三か月後、我が家の応接間でお茶をご一緒したとき、妹が入ってきた。
「まあ、お姉様のお相手って、こんなに素敵な方だったの」
アンヌは私の隣に座り、私のティーカップを取り上げ、それから上目遣いでアルフォンス様を見た。
「ねえお姉様。その人、一口ちょうだい?」
私は笑った。冗談だと思ったからだ。アルフォンス様も笑った。
一か月後、彼から届いた手紙にはこう書かれていた。
『ティナ嬢。誠に申し訳ない。私はアンヌ嬢の純粋さに、抗いがたい何かを感じてしまった』
純粋さとは……
純粋な捕食者、という意味だろうか。
そして半年後、アルフォンス様は妹に飽きられて捨てられた。
そのあと、アンヌは言った。
「だって、一口食べたらもういいんだもの。お姉様、返すわ」
齧りかけの砂糖菓子を皿に戻すときと、まったく同じ顔。
私は返された婚約者を丁重にお断りした。
「お前がふしだらだから逃げられたのだ」
私を叱る父の言葉は、なんと的外れなことか。
その夜、私は自室の暖炉の前で、一つの決意をした。
妹だけじゃない……。
絶対に、本当に大切なものは、この家の誰にも見せない。
その頃、私にはすでに一人だけ、「見せていないもの」があった。
きっかけは十三歳のとき、王立図書館が主催した『書簡による読書会』という催しだった。
身分を伏せ、番号と筆名だけで、見知らぬ誰かと本の感想を交換する。
貴族の子女の教養遊びとして流行していた、他愛のない企画。
私の筆名は『窓辺の読者』。
相手の筆名は『石畳のK』。
はじめは形式的なやりとり。
けれど三通目で、Kは私が書いた一文。
『この物語の主人公は、愛されることばかり期待して、愛する努力を一度もしていないように思います』
これに対して、四枚にわたる反論を書いてきた。
私は五枚返した。
Kは七枚返してきた。
そこから五年、私たちは手紙を書き続けている。
Kは私の家のことを知らない。
私もKの家のことを知らない。
私たちは本の話をし、季節の話をし、そのうち名前を伏せたまま、少しずつ自分の話をするようになった。
『あなたの妹君の話は、いつも少しだけ痛ましい。あなたは笑って書くけれど、笑って書くところが一番痛ましい』
Kの手紙のその一行を読んだとき、初めて私は自室で声を上げて泣いた。
十五年生きてきて、誰も、一度も、そう言ってくれなかった。
『Kへ。あなたは私の唯一の、一口も齧られていないものです』
『窓辺の読者へ。ならば私は、生涯かけて丸ごと食べていただく所存です』
手紙は、目に見えない。
妹は、目に見えるものしか食べられない。
応接間に座らせておける男、夜会で腕を組める男、噂になる男。
見えないものは、一口ちょうだいと言えない。
だから私は決めたのだ。
見えるもの全て、妹に食べてもらおう。
かくして私の奇妙な実験が始まった。
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