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まほろば 曼殊沙華編  作者: 雨音かえる
刹之段

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20/36

第拾陸話 刹の記憶

 村に火の手が回ったのは宵のころだった。

 家々の者は皆、夕飯を食べ終わり、囲炉裏を囲んでいた。

 

 

 ――就寝前のたわいもない話、笑い声。

 

 

 そんな静かで平和な時間が、あっという間に炎に飲まれてゆく。


  

 

 赤坂領周辺を縄張りにしている野盗。


 

 鴉一味。

 

 

 やつらが街道沿いに足を伸ばし、隣国、白岩領は伊那の村にまで押し寄せたのだ。

 旅人や商人を襲っては食い扶持を稼ぐ連中にとって、農村を焼き払うことなど造作もなかった。

 

 

 少年の母が真っ先に異変に気づき、肩をつかんで小さな納屋の奥へ押し込む。

 父も駆け込んできて、戸口を押さえるように身を寄せた。

 

 

「刹! 静かに!」

 

 

 母の声は震えていた。

 何が起きているのか、刹には分からなかった。

 ただ胸の奥が凍りつくように怖かった。

 母が刹を隠すように、急いで藁を積み上げる。

 

 

「声を出すんじゃないよっ!」

 

 

 刹は震えながら、ただ頷いた。

 いつもは優しい父と母の顔が強張り、知らない人のように見えた。その必死さが、なお恐ろしくてたまらなかった。

 

 

 外では怒号と悲鳴が重なり合い、家々の崩れる音が響いていた。

 獣が吠えるような叫びと、木を割る音。

 聞いたことのない音の群れに、両手で耳を塞ぎ、刹の小さな体は震え続けた。

 大きな音と共に、戸口が突然蹴破られた。

 

 

 灯と煙がなだれ込み、荒くれた影が数人、納屋へ踏み込んでくる。

 父はすぐに刃に貫かれ、母も叫ぶ間もなく倒れた。

 藁が散り、赤い飛沫(しぶき)が飛ぶ。

 

 

「ひっ……」

 

 

 刹は声を飲み込んだ。

 声を出せば次は自分が斬られる。

 震えながら必死に口を抑え、声が出ないよう力を込めた。

 野盗達が納屋の中を漁り、使えるものがないか探し始める。

 積み上がった藁を蹴散らした時、目の前に、汚く恐ろしい男が短刀を手に立っていた。

 その刃には、先ほど貫いた父や母の血が、ねっとりとまとわりついている。

 

 

「頭ぁ! こんな所にガキがいやしたぜっ!」

 

 

 野盗の一人が、大声で知らせる。

 頭と言われる男が、刀を肩に担ぎ、納屋へ入ってくる。

 

 

 ――背は高く、骨と皮に痩せ細り、ボロボロの汚い着物を纏っている。悪臭が酷い。目は窪み、野犬のようにギラギラとし、血走っていた。

 

 

 刹には、同じ人間には見えなかった。

 

 

「殺せ」

 

 

 頭が吐き捨てるように、冷たく言い放つ。

 刹は死を覚悟し、ぎゅっと固く目を瞑った。

 手下の刀が振り下ろされたその瞬間、「いや、待て!」とそれを制した。

 頭は何かを思いついたような表情をし、飄々と笑い、刹を指さした。

 

 

「ふむ。……こいつは使えるなぁ。子供が泣いてすがれば、旅人も商人も油断する。こいつを試さねぇ手はねぇ。使えなきゃ、売りゃいいか!」

 

 

 周囲の荒くれどもは一瞬黙り込んだ。

 

 

「俺、頭が回るだろ?」


「…………?」


 

 手下たちは、何かを考えるようにぽかんと黙っている。


 

「回るだろっ!?」


 

 次の瞬間、どっと下卑た笑いが広がる。

 

 

「さすがですぜ! 頭ぁ!」

「それなら確実に、楽に仕留められやすなぁ!」

 

 

 皆は手を叩いて喜ぶ。

 頭は「まぁまぁ」と両手を上げて静止すると、しゃがみこみ、刹の目線に合わせた。

 

 

「おい、小僧。お前は今日から俺たちの"仲間"だ。仕事をこなせば飯を与えるが……出来なきゃ殺すか売るか。使えない食い扶持はいらねぇからな。わかったな」

 

 

 頭の目はギラリと睨みながらも、口元は笑う。

 刹には、もはや何が起きているのか分からず、恐怖で耳にも入らない。

 

 

「俺は"鴉"ってんだ。皆は頭と呼ぶ。お前もそう呼べ」

 

 

 そういうと、鴉は先に納屋から出た。

 刹は手下に藁の奥から引きずり出され、歩けと言わんばかりに背中を強く押される。

 父と母の亡骸を横目に、別れすら出来ず連れていかれる。

 村は燃え、煙と血の匂いが広がっていた。

 誰一人として、刹を助けようとする者など、いなかった。


 

 

 その夜から、刹は“囮”として生かされることになった。

 奴らの住処は、村からほど近い廃寺。

 刹は荒れた拝堂の隅に、膝を抱えて座っていた。

 飯は、奴らの食べ残した物を与えられた。

 

 

「今は飯を与えてやるが、働かなきゃ飯はねぇ」

 

 

 鴉の言葉が耳につく。

 夜は(むしろ)を体に巻き、眠りについた。

 

 

 

 ――数日後。

 刹は茂みに引きずり込まれていた。

 腕をつかむ野盗の手は荒く、爪が食い込んで痛い。

 

 

「いいか坊主、泣き叫んで道に飛び出せ。あとは俺たちがやる」

「うまく釣れりゃ、ちゃんとした飯にありつけるぞ」

 

 

 背後で手下の下卑た笑いが広がる。

 刹は頷くしかなかった。

 腹は空っぽで、喉もカラカラ。

 頭の中が真っ白になる。

 そのとき、街道に足音が近づいてきた。

 背に荷を負った旅人が、一人で歩いている。

 

 

「おう、ちょうどいい獲物だ。さっさと行け」

 

 

 背後からまた声が飛んだ。

 刹は草むらを押されるようにして飛び出し、転ぶように道に出た。

 手下たちは、少し離れた所に身を隠し様子を伺う。

 

 

「……た、助けて……ください!助けて!」

 

 

 声は涙で濡れ、喉が裂けるほどの本物の悲鳴だった。

 旅人は驚き、慌てて駆け寄ってきた。

 

 

「子供!? どこから――」

 

 

 その瞬間、茂みから野盗たちが飛び出し、刃が閃いた。

 旅人の叫びは短く、血が土を濡らす音だけが残った。

 荷が転がり、地面に散らばる。

 旅人の返り血が、刹の顔を濡らした。それは、まだ温かかった。そして、ゆっくりと手で拭いとり、見つめた。

 刹は立ち尽くし、声を失った。

 

 

 ――自分が助けを求めたせいで、この人は殺された。

 

 

「ははっ、上出来だ!」

 

 

 背後から鴉の声が響いた。

 

 

「思った通り、泣き声に釣られて寄ってきたぞ。次も頼むぞ、小僧!」

 

 

 刹の膝が震えた。さっきまで、傍にいた。

 この手で、触れていた。今は、もう、いない。

 

 

 (ごめんなさい……僕のせいで……、ごめんなさい……。)

 

 

 ただ謝ることしか出来なかった。

 胸の奥で、何かが崩れる音がした。


 

 

 二度目の“仕事”の日。

 刹は茂みにしゃがみ込み、草を握りしめていた。

 手のひらに汗がにじみ、呼吸は浅い。

 前に助けを呼んだ旅人が、血に沈んでいった光景が頭に浮かぶ。

 

 

 (また同じことになる……。来ないで! 来ないで! お願いだから、誰も来ないで!)

 

 

 胸の奥が冷え、震えが止まらなかった。

 ギュッと固く目を瞑る。

 

 

「おっ、誰かきたぞ」

 

 

 背後から短く声が飛んだ。

 街道には、荷を背負った年配の行商が二人、肩を並べて歩いていた。

 

 

「おう、いい獲物だな。二人もいりゃ荷も倍だ」

 

 

 野盗の一人がニヤリと笑う。

 刹は無理やり立ち上がらされた。

 だが、恐怖で足は棒のように固まり、前に出ない。

 

 

(この人たちも殺される。助けを呼んだら、また。)

 

 

「早くしろっ!」

 

 

 手下は刹に向けて、小石を投げる。

 刹は道に飛び出した。

 喉が勝手に震え、声が出そうになる。

 

 

「た、助け……」

 

 

 言いかけたとき、刹は思わず横に視線を走らせた。

 茂みの奥に潜む影へ。

 行商人たちも刹が向けた方へ視線を滑らせる。

 

 

「小僧、走れ!」

 

 

 行商人たちは刹の手を引いた。

 

 

「え?」

 

 

 刹の心は一瞬ふっと緩んだが、その思いは儚く散った。

 野盗たちが慌てて飛び出し、行商人たちの腕に一太刀浴びせる。

 行商人たちは刹の手を振りほどき、振り返らず、街道の先へと逃げていった。

 刹は逃げていく後ろ姿を見つめた。

 胸がズキリと痛み、涙が滲む。

 

 

「てめぇ!」

 

 

 振り向く間もなく拳が頬を打ち、刹は土に叩きつけられる。

 不意に、頭上に影が落ちた。

 鴉がそこにいた。


  

「おまえ……獲物を取り逃がすとはどういうことかわかってんだろうな。次の獲物を捕まえるまで飯は抜きだ。飢えで死んでも知ったこっちゃねぇがな!」

 

 

 怒りに満ちた怒声が刹の耳を裂き、手下の拳が何度も振り下ろされる。

 土と血の味が口に広がった。

 刹は声を上げなかった。

 心の中で、同じ言葉を繰り返すだけだった。

  

 

(ごめんなさい……許してください……もうしません……)


 

 あふれだす涙は止まらなかった。

 だが刹の心には、"殺さなかった"これだけが救いとなった。

 毎日毎日、繰り返される。

 気づけば刹の顔からは表情が消え、ただ虚ろな目は辛うじて開かれていた。


  

 

 ――囲炉裏の火がぱちりと弾け、梓ははっと我に返った。

 

 無意識に胸を押さえていた。

 ちくり、と小さな痛みが走る。

 刹の過去に触れたせいだろうか――いや、もっと違う何か。

 心の奥がざわめく。

 その痛みは、次第に大きくなっていく気がした――。



 

  二年も経てば、刹の声は泣き叫びではなくなっていた。

 髪は伸び放題になり服もボロボロ、体もろくに洗ってはいないが、もはやそれすらも気にならなくなっていた。

 ある夜、鴉がいつもの下卑た笑みを浮かべながら、短刀を差し出してきた。

 刃は黒ずんだ液で濡れていた。

 

 

「この黒いやつな? "曼珠沙華"っていう華の毒が塗ってある。突きゃ勝手に苦しむ。お前でも簡単に殺れる。触ると危ないからな。気をつけろよ」

「曼珠沙華……」

 

 

 刹は刃を手に取り、じっと見つめた。

 かつてなら手が震えただろう。

 だが今はもう、胸の奥が何も動かなかった。

 

 

「なんだかなぁ。こんな風にやり取りしてると、俺も息子を持った気分になるぜ」

 

 

 鴉はしみじみと感慨深そうに言う。

 

 

「お前が親父とか……笑わせんな」

 

 

 刹は小声で呟くと、鴉をひと睨みし、その場を離れた。

 

 

「ひゃーっはっは! 冷たてぇなぁ。父ちゃんに優しくしてくれよぉ」


  

 鴉は大笑いしながら刹をからかった。

 刹はいつもの自分の居場所へ座り、短刀を足元に置いた。ぼんやりと刃先を見つめ続けた。

 揺れる火に照らされ、黒ずんだ刃は鈍く光を返す。

 吐いた息が白くかかり、一瞬だけ霞んではまた冷たく輝いた。

 眠気は訪れず、瞼は乾き、時間の感覚すら失われてゆく。

 恐怖も憎しみも湧かない。ただ、心の中が空洞になったまま夜を越えた。


 

 

 ――翌日。

 言われるままに男の脇腹へ刃を突き立てた。

 悲鳴。痙攣。嘔吐。血の臭いが混じり、吐き気を催す。

 刹はそれをただ、表情なく、ただ見下ろした。

 

 

「ははっ! 上出来だな、刹! さすが俺の子だ!」

 

 

 鴉が背を叩く。

 刹が睨む。

 叫びも血の匂いも、もう怖くはなかった。

 

 

 ――それは恐怖を越えた無感覚。


 

 感じることを捨てなければ、生きられなかった。鴉たちはそんな刹を“小僧や坊主”と呼んでいたが、その呼び名もやがて変わった。

 昼間の仕事で、血のついた短刀を拭っていた夜、鴉が上機嫌で笑いながら言った。

 

 

「ははっ、やるじゃねえか。そういえば。……おい、こいつの名前なんだっけか?」

 

 

 仲間が首をかしげると、鴉は刹の前に来てしゃが見込む。

 

 

「すまねえ。父親なのに、名前も知らねぇのは、よくねぇな? あー……、お前、名はなんという?」

「……」

 

 

 刹は答えなかった。

 

 

「名は?」

 

 

 鴉の目がギラリと光り、凄む。

 

 

「……刹」

「刹、か。……まぁ、いいだろう。そう呼んでやる。おい! お前ら、今日からこいつの事は"刹"と呼べ! いいな!」

 

 

 手下が刹の所に来ては、口々に言う。

 

 

「刹。お前、頭に相当気に入られたな!」

「お前の仕事ぶりがいいんだろうぜ」

 

 

 それから、手下たちの態度も少しずつ変わっていった。

 酒盛りの食事を与えられ「ほら、刹。食っとけ」と呼ばれる。

 肩を小突かれ、「よく刺せたじゃねぇか」と褒められる。

 刹は自分の名を呼ばれるほど、"仲間に混ぜられている"という気持ち悪さが体中に走った。

 背を叩く手には血と油の臭いがこびりついており、触られたくもなかった。

 自分が何かに蝕まれていくようで、その度に隠れて吐き気を催した。

 けれど刹は黙って従った。

 飯を受け取り、刃を握り、命じられるままに人を刺す。

 こうして、刹は完全に鴉の一味の中に埋もれていった。

 唯一、刹は筵に包まると安堵した。

 

 

(もう、目覚めたくない。このまま父さんと母さんのとこに……いけたら……いい……の……に)

 

 

 眠りの淵に立つ時だけ、安らぎを覚えた。

 夜の静寂が、静かに刹を包み込んだ。



 

 ――その日。鴉はいなかった。

 赤坂の領主に呼び出され、手下を数名つれて出かけて行った。

 

 

 刹は残された手下と一共に、いつもの通り街道でいつも通り仕事をする。

 やってきたのは、行商人でも旅人でもない。

 一人の僧だった。

 粗末な衣に錫杖一本。金目のものはなさそうに見えた。


 

「どうする?」


 

 刹が仲間に小声で尋ねる。


 

「ちっ。しょぼいな。ま、銭ぐらいは持ってんだろ」


 

 手下が舌打ちをする。


 

 刹は短刀を握りしめ、合図とともに飛び出した。だが、次の瞬間には、腕をねじりあげられていた。


 

「痛っ……!」


 

 思わず声が漏れた。だが、歯を食いしばって飲み込む。

 持っていた短刀を、思わず落としてしまった。


 

 (しまった……ッ!)


 

 刹の中に焦りが生まれる。

 泣き顔だけは見せまいと、唇をぎゅっと噛んだ。


 

「出て来い。そこにいるのはわかってるぞ」


 

 軽くあしらうような声。

 僧は、茂みに潜んでいた者に声をかけた。

 潜んでいた手下は草むらから飛び出し、僧に向かって斬りかかる。

 刹は僧に地面に投げ出され、振り返ると、手下どもはすでに地に伏していた。

 手下どもは、起き上がると、刹を置いて逃げ出した。


 

「おいっ、待って!」


 

 刹が手下に声をかけるも、振り向くことなくその場を去ってしまった。


 

「あれ? もう終わりかよ。つまんねぇな」


 

 僧は、逃げた手下を見送ると、刹を上から見下ろした。

 何か、重い物がのしかかるかのように、刹の体は動かなかった。僧の眼光は、野盗よりも重く、鋭い。

 それでも刹は、ジリジリと体を動かし、投げ出された短刀に手を掛けようとする。

 だが僧は、刹の手を足で踏みつけ、身動きが取れない様に封じた。

 刹は観念したかのように、目を閉じた。


 

 (――もう、終わりだ。今までやってきたことの報いだ。)


 

 己が生き延びるために人を騙し、殺した。

 全部罰が当たったのだと思った。

 走馬灯のように記憶が走る。


 

 「お前、俺に止めを刺そうなんざ、十年早いぞ」


 

 頭上から、低くドスの効いた声が降ってきた。

 体は小刻みに震え、顔は強張りながらも思わず口元が緩む。

 笑っていた。

 自分でもそれが何故だか、わからない。


 

 ――これで、終われる。


 

 そう思うと、少しだけ気持ちが緩む。


 

(――父さん、母さん。)


 

 刹が覚悟を決めたその時、僧の声は、さっきまでとは打って変わって能天気なものになった。


 

「なんてなっ! あぶねぇぞ! こんなもん振り回して。どうせ脅されでもしたんだろうけどよ」


 

 僧は、短刀を掴むと、ポイっと草むらへ投げた。


 

「おい、なんか臭わねぇか?」


 

 僧は鼻を鳴らしながら、辺りを嗅ぎ回る。

 臭いを辿り、行き着いた場所は刹だった。


 

「臭ッ! お前かっ! 汚ったねぇな! 水浴びぐらいしろよ! 臭うぞ」


 

 僧は鼻を摘まみ、「くさい、くさい」と手を仰ぐ。

 刹は予想外の言葉に呆気にとられた。

 僧は、手を差し伸べ刹を引き起こす。

 なぜか刹は、自分でも驚くほど無意識に僧の手を取っていた。


 

「俺は玄瑞ってんだ。お前は?」

「……刹」


 

 刹は警戒しながら玄瑞をじっと見つめるも、玄瑞は錫杖を肩に担ぎ、気楽そうに涼し気な顔をしていた。けれど、その立ち姿には一分の隙も無かった。笑っているのに、近づけば一瞬で叩きのめされる。そんな矛盾めいた気配に背筋がゾクリとした。


 

「お前、親は?」

「野盗に、殺された」

「で? なんで野盗とつるんでるんだよ」

「それしかなかった、から」


 

 玄瑞は「ふーん」とだけ言った。


 

「お前、俺と一緒に来るか?」


 

 刹の胸が跳ねる。

 

 

(また、……連れていかれるっ)


 

 あの野盗に襲われた日を思い出し、刹の胸は締め付けられた。

 玄瑞は刹の返事を聞く間もなく、「行くぞ」と半ば強引に手を引いて歩き出す。


 

(逆らうと殺される。俺に、自由はないのかよ……)

 

 

 刹は逆らうこともできず、ただ、玄瑞について行くしかできなかった。




  気づけば七日が経ち、森の中にひっそりと佇む庵へたどり着いた。

 七日の間、何度か隙をついて逃げようとした。

 だが、すぐにそれは阻止された。

 その度に何故か刹に「頑張ったなぁ、つぎがんばれよー」と、まとわりつき頭を撫でた。

 汚い自分にまとわりつく。意味がわからなかった。馬鹿にされているような、鴉とはまた違う何とも嫌な気持ちになった。

 

 

 庵に着くなり、雷のような声が響きわたる。

 

 

「玄瑞っ! お前は! どこをほっつき歩いとったんじゃ! 猫の手も借りたいほど忙しいのにから!」

 

 

 怒鳴るのは、まだ少しだけ若い紅梅だった。

 玄瑞は「まぁまぁ」と笑いながら、刹を前へ突き出した。

 刹は、訝しげな顔で紅梅を睨む。

 紅梅は刹をしばし見るなり、嫌な顔を露骨に向ける。

 

 

「こっちにこい!」

 

 

 紅梅は河原端に湧く出湯に連れて行き、刹の服を無理やりむしり取る。

 刹は驚き、焦り、何度も逃げようとしたが、紅梅の手からは逃れられない。


 

「やめろーッ! クソババアッ!」

「やかましいッ! 汚いお前が悪いんじゃっ! 観念せいっ!」

 

 

 ついに刹は素っ裸にされ、湯に放り込まれ、手ぬぐいでゴシゴシと洗われる。


 

「痛でぇっ! やめろっ! 痛いっ!」

「そのぐらい我慢せんかっ! 男じゃろうがっ!」

 

 

 紅梅は、これでもかと刹を擦った。

 河原の湯は濁り、だんだんと黒く染まりゆく。

 

 

「この汚ったない服は燃やすぞ!」

 

 

 紅梅が「うっ」と渋い顔をしながら、焚き火に焚べる。

 

 

「ふぅ。これでよいじゃろう」


 

 紅梅は額に汗を光らせながら、ようやく一息つく。

 年寄りとは言え、素っ裸を隅々まで見られてしまった刹は、怯え、部屋の壁の隅で震える。


 

「くそぅ……。あんのクソババア! 覚えてろよッ!」


 

 刹の頭の中には「屈辱」という二つの文字が浮かんでいた。

 

 

 その様子を、玄瑞が庵の縁側で茶を啜りながら見ていた。

 やれやれと腰を叩きながら縁側にやって来た紅梅に、玄瑞から茶が手渡される。

 

 

「この小僧、どこで拾った」

 

 

 紅梅が怯える刹を見ながら、玄瑞に聞く。

 

 

「んー、どこだったかなぁ? いちいち場所なんて覚えてねぇ」

 

 

 玄瑞は手を後ろに付き、仰け反りながら足を組み、ふらふらと揺らす。

 

 

「まったく……。お前と言うやつは、幾つになっても変わらんのぉ。いつまでもふらふらせんと、嫁でも取ってこの地に定住してくれれば、ワシも落ち着いて隠居できるものを」

 

 

 紅梅は不機嫌そうに座り、茶を啜る。

 玄瑞も素知らぬ顔をして茶を啜りながら、刹を見ていた。

 

 

 刹の肌は擦られすぎて赤くヒリついている。

 髪も綺麗に櫛で整えられ、後ろで結わえられた。

 服は玄瑞の物を着ていた。

 だがやせ細った刹の体には、服はぶかぶかだった。

 

 

 夜、飯が出された。

 

 

「残りもんじゃが、食え」

 

 

 紅梅が、雑炊と茶を差し出す。

 何がなんだかわからなかった。

 

 どれだけぶりのまともな飯だろうか。

 毒でも入ってはいないかと、恐る恐る椀を手に取り、匂いを嗅ぐ。

 


 

「毒なんぞ入っちゃおらん。見てみい」


 

 紅梅が匙で鍋に残る雑炊を食べた。

 それに安心し、ゆっくりと飯を食む。

 思わず目には涙が滲んだ。

 刹は、泣きながら飯を貪り食った。

 

 

 食い終わった後、暖かい囲炉裏の火にうとうとと眠気が誘い、そのまま寝てしまった。

 紅梅と玄瑞はそれを見て、ほくそ笑む。

 

 

「昔の誰かを思い出すのぉ」

「誰だろうな」

 

 

 玄瑞は縁側で静かに酒を嗜み、紅梅は煙管を吹かした。


 

 

 ――ゴリゴリゴリ

 

 

 何かをすり潰す音で目が覚めた。

 気がつくと、紅梅が囲炉裏端で、薬研を使って何かをすり潰していた。

 

 

「……おい」

 

 

 刹は紅梅に、恐る恐る話しかけてみた。

 

 

「おや、目が覚めたかぇ?」

 

 

 紅梅は手を止め、刹の方を向く。

 

 

「なんで……俺にこんなに良くするんだ……」

 

 

 軽く目を泳がせつつ、睨みながら刹は聞いてみた。自分にこんな事をしたって、一文の得にもならないからだ。

 

 

「何故? あやつが拾って来てしもうたんじゃ。責任もって世話するしかあるまい」

 

 

 傍で寝転がっている玄瑞をちらりと見る。

 

 

(俺は犬や猫と同じか?)

 

 

 刹はそう思った。

 だが、紅梅が言い放った言葉で、刹の心に棘が刺さる。

 

 

「じゃが、働かねば食わせんぞ」

『働かなきゃ飯はねぇ』

 

 

 刹の胸は沈んだ。

 鴉の言葉が、紅梅の言葉に重なった。

 

 

(またか)

 

 

 刹の顔に影が落ちる。


 

(次は……誰を殺せばいい……?)


 

 刹はひどく落胆した。

 だが刹の思いとは裏腹に、渡された仕事はまるで違っていた。

 言い渡されたのは薪割り、炊事、薬草採り。

 刹は黙々と働いた。けれど、あまり口はきかなかった。

 

 

(信用出来ねぇ。人間なんて、弱く自分勝手で浅ましい生き物だ。己の保身のためなら、何でもしやがる)

 

 

 刹は、自分の事も、周りの事もそう思っていた。



 ――隙を見て、金を奪って逃げよう。


 

 そう、心に決めた。

 だが、なかなか機会はやってこなかった。



 そんな、ある日。


 

 刹に「街へ買い出しに行くのでついてこい」と紅梅が言った。

 紅梅が部屋の棚の奥から木箱を取り出した。

 蓋が開き、中に銭がぎっしりと入っているのを刹は見てしまった。

 箱の中の銭を見た瞬間、刹の体は無意識に勝手に動いていた。

 

 

 考えるよりも先に、足が床を蹴り、手が火箸を抜き、紅梅の懐へ滑り込む。

 金を奪い逃げる――それは刻み込まれた本能のように体が動いた。

 その反動で、木箱をひっくり返し、黄金や小銭がばら撒かれる。それに気を取られている間に、刹の持つ火箸は宙を舞った。

 つい黄金に目がいった刹の手を紅梅が弾き、火箸は床へと突き刺さる。

 ひらりと身をかわした紅梅は、瞬く間に刹の背後をとり、懐から出した護身用の苦無を喉元へ突きつける。

 その眼差しは鋭く、刹の体を縫い止めるようだった。

 

 

「お前、そんなことをしてよいと思っておるのか?」

 

 

 紅梅は低く、威圧する声で静かに聞く。

 

 

「うるせぇよ……」

 

 

 刹が紅梅の手を跳ね除け、一歩離れる。

 

 

「ふん。それがお前のやり方か? 小汚い野盗風情めが」

 

 

 鋭い目向けながらも口元には笑みを浮かべる紅梅の言葉が、刹の胸に突き刺さる。

 まるで、「子供の遊びだ」とでも言われているような感覚だった。

 

 

「う……うるせぇっ。 うるせぇっ! うるせぇっ! うるせぇッ!」

 

 

 抗うように何度も怒鳴る。

 旅人を騙すのも、人を刺すのも、仲間扱いされるのも、殴られるのも、汚れるのも――仕方なく。

 けれど、それしか知らなかった。

 生き延びるには、それしかなかった。

 やるせない気持ちでいっぱいになる。

 後悔の気持ちはあれど、どこか認めないように押さえつけてきたからだ。

 

 

「何故、逃げなんだ」

 

 

 紅梅は、懐に苦無を収めながら、厳しい顔つきに変わる。

 

 

「子供の俺に……何ができると思う……。なんも、なんも出来るわけねぇじゃねぇかっ!」

 

 

 刹はさらに声を荒らげながら、紅梅に言い返す。

 

 

「ふんっ! 子供じゃから? 甘ったれたこと抜かすでないわ! 子供じゃろうが大人じゃろうが、関係ないわ! お前が自分でそうしてきたんじゃろうが! 自分でしでかしたことを他人(ひと)のせいにするでない!」

 

 

 紅梅は鼻で笑い、怒鳴り声を上げた。

 刹は身体をびくっと硬直させ、悔しさのあまり唇を噛む。

 

 

「お前なんかに……お前なんかにわかるもんかっ! クソババァっ!」

 

 

 涙を必死に堪え、目は赤くなり、紅梅をギロリと睨みつけた。

 

 

「あー、わからんさ。わかるわけなかろう! ワシはお前じゃないんじゃ。お前と同じじゃないんじゃ。じゃが、理不尽で悔しい気持ちだけはわかるぞ? 辛い気持ちもな」

「嘘つけっ! 俺と同じ思いしたことない癖に! お前なんかに、お前なんかに分かるわけねぇ!」

 

 

 刹はこれでもかと怒鳴り散らす。

 

 

「わからいでかっ! 同じ境遇でなくとも、今のお前は、昔のワシにそっくりじゃからな!」

(俺と、同じ……?)

 

 

 ぐっと刹は奥歯を嚙みしめた。

 

 

「ふうっ」とひとつため息をつき、「もうよいわ」と紅梅は散らばった金を拾いながら静かに話す。

 

 

「時には、……誰かに何かを奪われることもある。ワシだってそうじゃった。じゃが、そいつらの言いなりになんぞなってどうする? お前は選べないのか? そうじゃないじゃろ」

「うる……せぇよ。お前なんかに……わかってたまるか! お前……なんかに」

 

 

 刹はこれでもかと、精一杯の虚勢を張る。

 紅梅は刹の目をじっと見つめ、言い聞かせるように言った。

 


「これからは自分の事は自分で決めよ。今まで死にもの狂いでしがみついてきたんじゃ……今更、できんことはなかろう。今日まで、ほんによう頑張って来たではないか。もう、我慢は、終いじゃ。(ここ)から、もう少し気張ってみんか?」

 

 

 紅梅はふっと優しい笑みを刹にかける。

 その言葉、その仕草に、刹の中の何かが弾け壊れた。

 堰が切れたように、嗚咽がこぼれる。

 庵に来てから、ようやく流せた涙だった。

 

 

「うっ……もうっ……いやだっ! 自由になりたいっ! 自由に……ッ」

 

 

 泣きじゃくる刹を、紅梅は抱き寄せ頭を撫でた。

 

 

「うむ。よう頑張ったの。えらかったの」


 

 その夜、囲炉裏を皆で囲み、刹は今までのことをぽつりぽつりと話した。

 最初から最後まで、余すところなく。

 村が焼かれ、父と母が野盗に殺されたこと。

 鴉に連れ去られ、利用されたこと。

 何度も人を騙し、殺しもしたこと。

 生きるために仕方なかったこと。

 思い出しては震え、涙を流し、その度に紅梅が刹の背中を暖かく摩り抱いた。

 玄瑞は酒を飲みながら、ただ聞いていた。

 その家族とも言える温かさに安心しながら、どれだけぶりだろうか……深い眠りにつく事ができた。


 

 この日、刹ははじめて心の底から、泣いた。

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