ほのかな想ひ
なんて動きだ、もし手合わせしても、勝てる気がしない。前回、手を抜いていたのは水のほうではないのだろうか。それに、全ての動きが舞のように美しかった。風に靡く茶髪も、濃い装束に映える白い肌も、まるで見せ物のようだ。
そこに水を刺すように、剣術の先生が早足でやってきた。皆が道を開けると、先生は水の目の前で止まった。
「こら!!馬鹿者!!真剣でやり合うとはなんたることじゃ!!勝手なことをするな!!」
水は肩を竦めた。そして「申し訳ございません」と言う。周りの野次馬たちは「こいつらから言い出しました」と三の丸の護衛隊の男たちを指差す。しかし、怒られているのはほぼ水だった。
「おい、そこの若いの」
そばの縁側から、女性の声が聞こえる。本当今日は野次馬が多い。そしてまた声が聞こえる。
「これ、長身のお前じゃ」
源治は咄嗟に振り向いた。なんと、そこには侍女を複数人侍らせた淀殿が立っているではないか。源治は驚きで地面に跪いた。
「失礼いたしましたっ」
「お前は別にいいから、あの女をここへ連れて参れ」
「ええと……あの女とは?」
「はっ」
淀殿に鼻で笑われた。なんだか最近の自分はどうも格好がつかない。いいや、もしかしたら、元から格好なんか付いていなかったのかも。異性の中でも堂々としている水のほうが、よほど格好が付いているじゃないか……。
「お前の目は節穴か。あの茶髪の忍びを呼んでこい」
茶髪の忍びーー水のことか。水を見れば、まだ先生に叱られている。そろそろ落ち着きそうで、周囲の武士たちも散り始めていた。三の丸の連中は、水の後ろで腰を抜かしたままだった。
源治は水を呼びに近付いた。先生は源治に気付くと同時に、淀殿の存在を認識し、すぐさま頭を下げた。そして、周囲の者もそれに倣う。水もキョロキョロしたあと、頭を下げた。
源治は「淀殿が呼んでる」と水の手を引っ張った。その言葉を聞いた三の丸警護隊の男たちは、息を吸い込んで固まっていた。
淀殿の前に水を連れていくと、水はすぐさま膝を付いた。淀殿それに満足して笑みを浮かべている。そして「気にせんで良いから立て」と水に言った。水はそのまま跪いたままだったので、淀殿が再度「立て」と言った。なんだか、先ほど自分に声を掛けた時よりも優しいのではないだろうか。
「近う寄らぬか」
水は顔を上げて立ち上がった。淀殿は、縁側から扇を伸ばし、水の顎に掛ける。そして、水の顔をジロジロと見た。
「ほう、これが今女中の間で話題の新人か。ずいぶん整った顔をしておるな」
水は目をパチクリさせている。侍女たちも、水の顔を身を乗り出して見ていた。女が多かったのは水の存在を確かめるためだったのか。
「お前、名は?」
「……水、と申します」
「水か。聞き慣れん名じゃ」
そのまま、淀殿は水の顔をいろんな方向から観察している。
「水、お前まだ若いな。いくつじゃ」
「じゅ……十四でございます」
ーーえ?
ーー十四、だと……?三つも年が下なのか?それに、その若さでその実力と冷静さを持っているのか?
源治の理解が追いつかないのに、淀殿はうんうんと頷いて水を解放する。
「そうか。水、妾のことは知っておるか?」
「……淀殿……にございます」
「茶々と呼べ」
「……承知しました」
「茶々と呼べと言っておる」
茶々と呼ぶのは侍女たちで、武士は淀殿と呼んでいる。どうも、淀殿は水が気に入ったのか。
「……承知しました、茶々様」
淀殿は笑みを深くした。
「先ほどの動き、見ておったぞ。あっぱれじゃ。そのまま励め」
「ありがとうございます」
「うむ。さあ、戻るぞ」
呆然と立つ水を残して、淀殿は侍女たちを侍らせて踵を返した。
源治は、恐る恐る水に近付いた。それに気付いた水がこちらを振り返る。思わず源治は肩を上げてビックリしてしまった。
十四、と聞けば、納得がいくことがいくつかある。猫の相手をしている時、まだ幼さが残っていた。それに、普段がやたら業務的な回答しかしないのは、仕事として一生懸命に取り組んでいる証なのか。
「……水、君、十四なのか」
聞いてみれば、水は表情を変えずに「はい」と答える。なんて大人びた雰囲気を持っているのだ。
「私は異国の血のせいで、少し老けて見えるみたいです」
「いや、そんなことはないけど……」
大人びて見えるのは、異国人の特徴なのか。世の中は、知らないことで溢れているのだな……。
「……水、真剣は本当に危ないから、扱う時は慎重にやらないといけないよ。今回は仕方ないけどね」
そう言って、源治は例の三の丸の連中を見た。水が彼らを見やると、連中は目を逸らし、肩をすくめた。反省はしているようだ。
源治は「ふう」と息を吐き、水と向き合った。
「怪我はないかい?」
「はい、ありません」
「よし、じゃあーー」
ーー私と手合わせをやろう。
そう言いかけた。だが、集団稽古の時間がきてしまい、それは叶わなかった。
「おい村田、最近あの三の丸の連中見かけないと思わないか?」
ある朝の点呼の時、源治は村田にコソッと耳打ちする。源治は得意げに笑って答えた。
「上の判断だろ。多分もうこの城にはいないさ」
その格好付けた笑みが少々気に触るが、もしや彼らの悪巧みが、誰かの耳に入ったのだろうか。
「……何か上に報告したのか?」
「さあね。でもまあ、この城に使える器じゃないだろ」
村田は「ふっ」と笑う。村田が、何か上に働きかけたのかもしれない。源治は肩の力が抜け、安堵した。そして、笑って村田の背中を敬意を込めてパンと叩いた。
後日、源治はまた且元の前に座っていた。今日は大坂城内の、且元の作業部屋である。水の教育の進捗について、報告しにきたーーのだが、話の方向がなんだか逸れてきている。
「水の判断は正しい。潜っていた徳川家の忍びは一掃した。他言するなよ」
「……水は知っているのですか?」
「まだ若いからな、何も知らん」
水の報告のおかげで、波が立たずに事が終わったという事なのだろうか。
「……あれは、使えるからな、大事に育てるんだぞ」
「……承知……しました」
且元は秀吉時代から仕える重鎮だ。ただ年季を重ねただけではなく、頭で考えて判断している。水を一つの駒として見ているのか、それとも、単純に貴重な部下だと確信しているのかは今は分からない。
源治が水と出会えたのだって、且元が水を引っ張ってくれなければ叶わなかったことだ。だからこそーー可能な限り、水に害がないように、目を配ろうと思う。
「源治様、どちらへ行かれていたんですか」
水からこんなことを聞いてくれるとは、だいぶ心の距離も縮まったのだろうか。
「東市正様のところだよ。どうかしたのかい?」
「お時間があれば、稽古を付けてくれませんか」
「え?」
水の顔を見れば、至極真面目な顔付きでいる。しかし、どこが声色が弾んでいるようにも聞こえた。
「村田様が、源治様が本気で剣をなさるときは誰よりも強いと聞きました。ですから、見ていただくのなら源治様が良いです」
なるほど、水はどこまでも真面目なのだな。
源治は笑って答えた。
「分かったよ、私は君の教育係だからね。あっちの庭でやろう」
「はい、お願いいたします」
承諾すれば、水は柔らかく笑ってくれた。
容姿端麗で、才能がある。素直で真面目な水は、きっと大坂城で重要な人物に成りうる気がする。
想いが届くのは、今じゃなくて良いーー初恋を胸に秘め、源治は水に頷き返した。
源治外伝 完




