第四十六話 北の隣人①
「国王陛下。仰ってた出迎えの使者らしい奴がいましたよ」
十一月の半ば。ティリス川の下流を遡上する船の上に立ち、北側の沿岸を見据えながら、リンダム王家に仕える船乗りの筆頭であるギルベルタは言った。
船の中央に座っていたエドウィンも立ち上がり、彼女の指差す方へ視線を向ける。すると、川の北岸の一角に、鷲の意匠の旗を持った男が立っているのが見えた。
「……事前に聞いていた通りだ。あの男が出迎えの使者で間違いない。ギルベルタ、あの場所に船を寄せてくれ」
「了解です」
ギルベルタは答えると、後続のもう一隻に大きく手を振って合図をしつつ、進路を調整する。帆に風を受けるだけで遡上できるほど流れの緩やかなティリス川下流で、エドウィンと戦士たちの乗る二隻の船はゆっくりと進路を調整して使者の待っている方へ近づく。
会談に際してはティリス川下流の北岸、ベルノニア王国の領土に上陸してほしい。川に面する開けた地を会談の場とし、そこにベルノニア王家の紋章旗を持った使者を待たせておくので、それを目印としてほしい。エドウィンより会談への承諾を受けたブレドリック王の使者は、そのように語っていた。
エドウィンは言われた通りに、指定された期日にこうして会談の場へ来た。桟橋が作られたり船を陸に置くための屋根が建ったりと、都と同じくこの一年と少しで随分と整備の進んだ船着き場から二隻の船で出発し、アイヴァー川を下って海に出た後、海岸沿いに北進して河口からティリス川を遡上した。
ティリス川と繋がるアイヴァー川をそのまま遡上しなかったのは、アイヴァー川の上流に、かつてのタイウェルの領地とガレスの領地を繋ぐように木造の橋がかかっているため。また、大森林の中に位置する中流は川底に大きな岩や流木などが多く転がっているため。そのまま遡上すれば森の中で船が壊れかねず、上流は橋が邪魔でそもそも通過できないので、このように一度海へ出て北へ回り込む必要があった。
都からほど近い船着き場を前日に発ち、王国北部の沿岸部で一泊し、会談の場に到着したのは翌日の午前。正午に行われる予定の会談には、やや余裕をもって間に合ったかたちとなる。
ギルベルタの巧みな操船のおかげで船は出迎えの使者の近くに辿り着き、彼女の部下である船乗りが沿岸に降りると、地面に杭を打ってそこへロープで船を繋ぐ。後続の船も同じようにして着岸し、まずは二隻に分乗していた二十人の戦士たちが上陸する。さらには、船に乗せて連れてこられたエドウィンの愛馬ノックスも、渡された板を歩いて陸に上がる。
「ギルベルタ。話していた通り、いざとなればすぐに船を出せるよう待機しておいてくれ」
「お任せを、陛下。近づいてくる船がないかも見ておきます」
勝気な笑みを浮かべて言った頼れる家臣に、エドウィンは微笑を返して頷く。そして、ジェラルドと祭司長フィオナを引き連れて陸に上がる。
丁寧に一礼して挨拶を述べてきたブレドリック王の使者――先日リンダム王国へやってきた使者と同一人物だった――に鷹揚に応えつつ、エドウィンは上陸した戦士たちを指揮していたオズワルドの方を向く。
「オズワルド、様子は?」
「出迎えの使者以外は人っ子一人見えません。話に聞いてた通りですね。伏兵なんて置きようのない安全な会談場所だ」
オズワルドは王の問いかけに答えながら辺りを見回す。エドウィンも、この会談の場に視線を巡らせる。
近くに丘や森などもない、なだらかな平地。ブレドリック王が自国領土にエドウィンをおびき出し、急襲して殺そうにも、軍勢をあらかじめ隠せないこのような場所では難しい。
もし敵対的な集団が迫ってくるようであれば、エドウィンたちは早くに気づき、この場所へ辿り着かれる前に船に乗って逃げ去ることができる。ティリス川を渡って南岸のリンダム王国領土に辿り着けば、そこには戦士十人と民兵四十人が控えている。
ブレドリック王のエドウィン王に対する「誠意」のもとで用意された、安全が保障されていると言っていい状況だった。
「ブレドリック王が誠実な人物で何よりだ……それでは諸君、会談相手の到着を待つとしよう」
皮肉めいた笑みを浮かべながらエドウィンは言い、椅子代わりの木箱に腰かけると、家臣たちと共に待機する。
出迎えの使者がエドウィンの到着を主君に伝えるために去っていき、その後しばらく待っていると、遠く北にある丘を越えてブレドリック王の一行と思しき集団が現れた。それを受けてエドウィンは愛馬ノックスに騎乗し、ジェラルドとフィオナが王の傍らに控え、オズワルドたち護衛の戦士が周囲に並んだ。戦士のうち二人は旗持ちとしてリンダム王家の紋章旗を掲げ、エドウィンの威光を示す。
事前の約束通り、あちらも護衛の軍人らしき集団を二十人ほど侍らせ、そのうち何人かはブレドリック王家の紋章旗を掲げている。そして王自身は、エドウィンと同じように一人だけ馬に乗っているようだった。
手間はかかったが、ノックスを連れてきてよかったとエドウィンは考える。いざ会談となればブレドリック王も下馬するだろうが、馬上から見下ろされるような構図で初めての対面を迎えることは許容し難い。
ブレドリック王の一行は次第に近づいてきて、それによって彼らの出で立ちも分かる。こちらへ向けて馬をゆっくりと進める会談相手の装束を見たエドウィンは――まだ距離のある相手側には分からない程度に眉根を寄せた。
「おいおい、また凄いのが出てきたな」
ブレドリック王の上半身を覆う銀色は、まず間違いなく鎖帷子。さらには、膝より下を鉄製の脛当てで覆っているようだった。鎖帷子には円形のブローチがいくつも取りつけられ、輝きを放っている。装備の下に身に着けているチュニックとズボンは、いずれも赤色。さらには、同じく赤色のマントまで羽織っている。
その姿はすなわち、典型的なロドニア帝国軍人だった。それも、ある程度の地位にある士官の見た目だった。
彼の連れている護衛のうち、すぐ傍に立つ何人かも、帝国軍の装備を身に着けている。鎖帷子と赤い服装、さらには鉄製の兜に、槍と長方形の盾。いかにも帝国軍兵士の様。
「ブレドリック王は元帝国軍士官という話でしたが……まさか、ここまで露骨に己の経歴を誇示してくるとは」
「帝国軍の威信の残り香を纏うことが支配に有効と考えたが故の装束か、あるいは自分の昔の栄光が忘れられないのか……直衛の連中も帝国軍兵士の装いをしていることから考えて、奴の帝国軍時代の部下がそのまま付き従っているということかな」
ジェラルドの言葉に答えながら、エドウィンは呆れ交じりに嘆息する。
ブレドリック王はアロナ人でありながら帝国軍の元士官でもあり、帝国軍の撤退に際して軍を辞め、故郷アロナ島に残って建国を成した。そのような彼の経歴は、使者から事前に聞いていた。
元士官ならば軍事面での実力も確かであろうから、一国を築き上げることができたのも納得だとエドウィンは思っていたが、まさかその経歴をここまで見た目に分かりやすく主張してくるとは予想していなかった。まるで、既にこの地を捨てたはずの帝国軍の亡霊でも見ているようだった。
帝国軍そのままの装いの男たちを中心とした一行は、さらにエドウィンたちのもとへ近づき、その姿がよく見えるようになる。
ブレドリック王の髪は暗い金髪でやや長く、同じ色の顎髭と彼の顔立ちの印象からして、齢は四十前後といったところか。
頭上には、葉を輪状に連ねたような形の黄金の冠。それを見て、エドウィンは子供の頃に読んだ歴史書の記述を思い出す。その歴史書によると、ロドニア帝国の主たる皇帝がそうしているように、かつて各地に存在した王国の君主たちも、その多くが冠を権力の象徴としていたらしいという。
いよいよ互いの声が届く距離まで辿り着いたブレドリック王と、エドウィンは対峙する。互いに無表情で視線をぶつけ合いながら、先に口を開いたのはブレドリック王の方だった。
彼はわざとらしい笑みを浮かべると、馬上で両手を広げる。
「ようこそ我がベルノニア王国へ。私はブレドリック・ベルノニア。この地の王だ」
「……歓迎に感謝する、ブレドリック王。私はエドウィン・リンダム。ティリス川を渡った南に領土を持つ王だ」
エドウィンも笑みを作って返し、そして両者は示し合わせたように同時に馬を下りる。
まだ歩み寄って握手をするほど互いを信用できてはいないので、距離を保ったまま向かい合い、頷き合う。




