第百七話 ひとまずの安寧
盗賊の侵入口となる沿岸部や河川の河口に串刺し死体を曝し、この地の支配者であるエドウィンの容赦のなさを知らしめるために少数の盗賊をノルデン半島へと帰還させた後、王家直轄領への盗賊襲来は目に見えて減った。春から夏にかけては六件の襲撃があったが、秋に発生した襲撃は僅かに一件のみだった。沿岸部の漁村へ近づいてきた盗賊の船が、曝されている死体に気づいたためか引き返していく光景を見た……という民の話も聞こえてきた。
翌年――統一暦四二〇年になると、王家直轄領に限らず、アロナ島南西部の南側――すなわちリンダム王国そのものへの襲撃が激減した。生還させた盗賊たちが、期待通り自分の噂を伝え広めてくれたのだろうとエドウィンは考えた。
言語の壁もあり、ノルデン人の多くは現在のアロナ島の勢力図をよく知らないだろうが、それでも「アロナ島南西部の南側には恐ろしい支配者がいて、もし捕えられれば惨殺される」という程度の情報が伝われば十分。狙い通りに噂が広まったとすれば、広いアロナ島の中でわざわざリンダム王国領土の辺りを選んで襲おうと考えるノルデン人が減るのも納得できることだった。
「国王陛下の御成功の噂を聞き、東の国々も同じような対策を進めているそうですが、上手くいっている国は少ない様子です。民に注意を呼びかけて迅速に避難させることはできても、盗賊を狩ることがやはり難しいらしく……」
もはやリンダム王国においてノルデン人盗賊が深刻な脅威ではなくなり、王国全体が概ね平穏を取り戻した晩夏のある日。例のごとく情報収集を兼ねた交易から帰還した御用商人ロイドは、王の館を訪れ、広間でエドウィンとテーブルを囲みながらそのように語る。
「ガレア王家などは、リンダム王家には及ばずとも少なからぬ数の騎兵を擁しているため、その騎兵を使ってある程度の数の盗賊を狩ることに成功したらしく、その死体を損壊して曝しているそうですが……盗賊の襲撃件数は半分ほどまで減ったものの、リンダム王国のように、皆無に近くなるということはない様子です」
「……まあ、そうだろうな。我が国がここまで対策を成功させているのは、地理的な好条件や幸運も重なったからこそだ。他国が真似するのは難しいだろうし、真似したとしても同じ結果にはならないだろう」
椅子の背にもたれ、腕を組みながらエドウィンは語る。
盗賊たちは海を越えて東から襲来する。そのため彼らからすれば、海岸沿いにぐるりと回り込まなければならない西部よりも東部を襲いやすいのは当然。また地形的にも、東部の方が船の上陸できるなだらかな砂浜や遡上できる河川が多くあるという。そのため、元より盗賊の襲撃は西部よりも東部の方が多い。
また、盗賊の死体を曝し、一部の者を生還させて自国についての噂を広めさせるには、神出鬼没の盗賊を大勢殺すか捕えなければならない。他国に比して多くの騎兵を抱え、さらには運も味方したおかげで十分な数の盗賊を狩ることができたリンダム王国の対策を、東部の国々が真似するのは難しい。リンダム王国よりも警戒すべき侵入経路が多いということは、盗賊を狩りづらい上に、曝す死体を多く確保しなければならないということになる。
真似をしたところで、盗賊に与える影響はリンダム王国と同じとはいかないはず。盗賊たちに直接聞いたわけではないので推測になるが、彼らがこの地を避けているのは、捕まれば惨殺されて死体を曝されるという危険性に加え、東部よりも距離が遠い上に上陸地点が少ないという悪条件もあってのこと。ガレア王国などが同じ対策をしたとしても、よりノルデン半島に近く、より上陸地点が多いために捕まる可能性が低いとなれば、こちらと同じだけの忌避感を盗賊に与えられずとも仕方がない。
結果として、エドウィンと同程度に盗賊対策に成功しているのは、エドウィンと同じような策を考え出し、同じように自慢の騎兵部隊を抱え、リンダム王国以上に盗賊の上陸できる地点が少ない領土を持つブレドリック・ベルノニアくらいのもの。
ベルノニア王国領土も今年に入ってから盗賊の襲来件数が激減しているそうで、おそらくはリンダム王国の対策との相乗効果も発揮されているものと思われる。リンダム王国とベルノニア王国がそれぞれ騎兵部隊を活用して大勢の盗賊を狩り、その死体を激しく損壊して曝したことで、アロナ島諸国の領土の範囲など詳しく把握していないであろうノルデン人たちの中では「アロナ島南西部の全体が危険」という認識がおそらく持たれている。
その他に盗賊の被害が比較的少ないのは、海岸線の北へ進むほど波が荒く岩礁が多くなるために上陸地点が限られる北部のダルダレア王国や、地理的に回り込むのが最も手間となるアクルード王国。現在アロナ島に並ぶ九つの王国は、ノルデン人盗賊による被害という点で見れば、東の諸国と西や北の諸国ではっきりと明暗が分かれたかたちとなる。
「ガレア王家はこの二年ほどで騎兵の数を徐々に増やしているそうで、その結果如何ではさらに被害を減らすのかもしれませんが……」
「……増やそうと思って簡単に増やせるものではない騎兵を、実際に増やしてみせているということは、鐙を模倣したのかもしれないな」
「敵ながら勉強熱心ですね。厄介なことだ」
二年前の戦いでリンダム王国騎兵が使う鐙を知って、その効果に気づいたか。そう思いながら薄く笑むエドウィンの隣で、この報告の場に同席しているジェラルドが眉根を寄せた。
馬上での姿勢制御を容易にする鐙は、実戦で使いものになる騎兵の育成時間を大幅に短縮させてくれる。リンダム王国軍の騎兵部隊を真似てイゾルデが鐙を用いた騎兵を育てたのだとすれば、あの戦いから二年が経った今、ガレア王家の戦士団に騎兵が増え始めたというのも納得できる話だった。リンダム王国は騎兵部隊の育成に三年をかけたが、盗賊による襲撃現場に急行可能な程度の能力を備えるのであれば、二年でも足りるはず。
「だが、軍事に関する懐事情はガレア王家もこちらと大差ないはずだ。課税の程度が違う分、収入自体はこちらより幾らか多いのだろうが……だからといって、人口比で維持できる騎兵の数にそこまで極端な差は出ないだろう」
騎兵は数を維持する負担がおそろしく重い。貴重で高価な軍用馬を何十頭も手に入れ、故障しないよう丁寧に世話をし、気力体力を保たせるために質の良い餌を大量に確保するには莫大な費用がかかる。リンダム王家においても、予備を含む軍用馬五十頭ほどを維持する負担は、同数の戦士を維持する負担に勝る。
また、特殊な能力の提供には相応の対価を示さなければ狭量な主人だと見なされてしまうので、騎兵部隊に所属する戦士たちには同格の戦士たちよりも多くの褒賞を下賜しなければならない。その負担もなかなかに重いものとなる。
そうした事情から、リンダム王家の戦士団においては、四十騎が無理なく維持できる限度。ガレア王家は直轄領の人口規模も、民や貴族に課している税負担もリンダム王家より多いというが、それでも騎兵の戦力差はせいぜい二倍程度だろうとエドウィンは思っている。
仮にそれほどの差が開いたとしても、リンダム王国は単独でガレア王国に立ち向かうわけではない。より間近でリンダム王国騎兵を目の当たりにし、エドウィンから鐙について直接聞いたブレドリックやファーガスも導入を進めているそうなので、ベルノニア王国の騎兵の保有数は既に増え始めており、アクルード王国にもこれから徐々に騎兵が増えていくものと思われる。単純な人口差から考えて、三国の騎兵を合わせればガレア王国の騎兵に勝るのは間違いないので、こちらが騎兵戦力で不利に立たされることは今のところあり得ない。
「情報を集めつつ様子見する方針は、今のところ変わりませんか」
「ああ。それ以外にできることもないだろうからな。盗賊の襲来を防ぐことができている今のうちに、静観に徹して力を蓄えるのが最善だ」
ジェラルドの確認するような問いに、エドウィンは首肯を返す。
今のところリンダム王国は盗賊の脅威を退けることが概ねできているが、講じた対策の効果がいつまで持続するか、この平穏がいつまで続くか分からない以上、まだ油断はできない。意思の疎通すら容易ではないノルデン人たちが、今後どのような動きを見せるかは予想しづらく、だからこそ先の見えない不愉快な状況は続くだろう。
王として生きるということは、次々に迫りくる面倒事に対処し続けるということなのだとエドウィンは痛感する。権力を振るう日々には楽しみも多い一方で、責任に伴う苦労も多い。
王と言えば、噂によるとノルデン人たちも王を持っているという。その王と話をつけることで盗賊を含むノルデン人全体との関係を変化させることができるのであれば、それが最も手っ取り早いのだが。エドウィンはそのように考えながら、大きなため息を吐いた。
それから数週間後、おおよそエドウィンの望み通りに、状況変化の兆しが訪れた。
ノルデン人の王より、エドウィンのもとへ使者が送られてきた。




