羅睺 その03
半分怪物の私にとって、夢を渡るのは毎夜のこと。生活の一部であり、いうなれば本能的なことですらあった。
シヴァとの会合のような目的がなければ、普段は誰とも知れぬ夢をふらふらとさまよっている。夢は渾沌だ。ほとんどが不確かで、意味不明だ。
シヴァは私や私によく似た境遇の仲間たちに対して、『見るべき夢』を教えてくれた。
それに従っていたのは最初だけで、以降はずっと好きにしている。
だってそうだろう? 絶望、嫉妬、憎悪、残虐。悲劇。苦悶。悪夢悪夢のオンパレード。
この世の邪悪と嘆きを掻き集めて、『これがこの次元の人類だ! 滅ぼしてもいいんだ!』なーんて、悪質な切り抜き動画も真っ青。ずっとそればかり見ていたら胸焼けをしてしまう。
私は真面目な子供ではなかったので、あっという間に飽き飽きして、流れてくる他の夢を適当に渡った。
夢に入った瞬間に、その場の空気から内容もなんとなく分かる。
シヴァのいう『見るべき夢』は面倒くさいから即座にスルー。ほとんどの夢はよくも悪くもなく、とりとめがない。上手くやらないと悪酔いする。
私が好きなのはちょっと悲しい夢とか、楽しい夢。悲しい夢はいい。ひどい目にあっているのが私だけではないと分かって安心できる。
楽しい夢は、いつ見てもいい。うきうきした気分の誰かを見ていると、自分もそんな気分になれそうな気がしてくる。
私は怪物だから、幸せになることは許されていない。それでも、それっぽい気持ちに浸ることくらい……夢見ることは罪ではないと信じたい。
誰かに好かれているかもしれないと、そんな夢を見るくらい許されるだろう?
考え事をしていると気分が落ちる。胸が苦しくなり、何もかもが憎たらしくなる。
胸につかえた全ての痛みを、思いつくままに言語化して、八つ当たり気味に叩き付けるのは気分がいい。もちろん、やった後には最悪の気分だし、相手のことを考えては申し訳なくなる。
結局は甘えているだけなのだ。いくらなじっても、傷付くような言葉を叩き付けても、文句を言いながらもヘラヘラ笑ってくれるあの人に。
自分自身も含めて何もかもが嫌い過ぎるから。
まるでできる気はしないけれど、それでも本当は優しい言葉をかけてみたい。口を開いたら全部が歪んでしまうけれど。
それでも、もしかしたら、夢の中でなら……。
私はふと思い出して、昨日の夢の相手を探した。泥のような姿をした、私みたいな誰かさん。
優しい言葉をかけたら崩れてしまったけれど、可能ならばもう一度、優しい言葉をかけてみたい。
昨日のあれが奇跡でも何でもなくて、夢の中でなら私も素直になれるのなら……。
その夢はひどく甘ったるくて薄靄がかかっていて、私はその人が男の人なのだなと理解した。
性的な夢はこういう気配がするものだ。現実で自分自身に向けられなければ、そういうものだと無視できる。なんというか、大音量で流れている興味のないポルノみたいなものだ。正直いって辟易する。
楽しそうで何よりですこと。
私は少なからずがっかりした。
夢の中で誰かのふりをすることは簡単だし、相手の望むように振る舞うこともできる。
だが、それは虚しい行為だ。
夢の中の感覚は、私自身の記憶と直結する。食べ物の味も、体験も、なにもかも。
好奇心から何度か試してみたけれど、夢の中の性行為ほど虚しいものはないと思っている。
お互いに過去の快楽の回想に過ぎず。それゆえに特に私のように異性経験のないものにとっては、ぼんやりとそれっぽく演技するだけの苦痛の時間でしかないのだ。
また別の機会にしよう。そう思った矢先、世界の色が変わった。私は笑った。この人も私を待っていたのだ。もしかしたら私を他の誰かではなく、自分の夢の一部だと思いながら。
「お、おおお…………」
昨日と同じ場所、見知らぬ学校の見知らぬ教室。入り口に泥のような人型。しかし、今日は血涙がない。代わりに口の部分にも開いた空洞から、嗚咽のような声が漏れる。
何か言いたいのだ。私はそれを待つことにした。拒絶でも、罵倒でもいい。私に似た見知らぬ誰かよ。私はあなたの全てを許そう。私は、あなたに優しくするためだけにここに来た。
そうすることで、私自身も救われたくて。
「い…………いっしよに、あそ……ぼ……」
「いいの? ありがとう!」
想いは、通じた。
泥のような人型がヨタヨタと歩く。私はニコニコと笑った。お互いに、印象だけの存在だ。詳しい顔かたちなんてわからない。でも、笑っていることだけはきっと伝わる。
私が怪物だと気付かれないならば、私はあの人みたいになりたい。私が尊敬する人。ぽかぽかのひだまり。誰にでも優しい、猫魂先輩みたいに。
いつの間にか、机にカードが広がっていた。
「私、強いよ。手加減する?」
「ふふ」
彼は泥ではなく、もう少し動きやすそうなモヤに変わりつつあった。そして私の言葉に嬉しそうに笑う。
「……負け、て……悔しくて、もう一回って…………言えるのって、さ……」
この人は、飢えているんだ。
私は微笑んだ。あの人と、晴井先輩と同じ事を言っている。
「そうだね」
それから私たちはカードを楽しんだ。夢の中に時間の概念はない。対戦して、デッキを調整して、それを何度となく繰り返した。何十回でも。百回以上。
勝って嬉しくて、負けて悔しくて、どっちも楽しいんだ。そう教わった。教えられた。
私はずっと笑っていて、彼もずっと笑っていた。夢の中でだけでも、こんな風に彼を笑わせられることが、胸が苦しくなるほど嬉しかった。
「かなしいの?」
「ちがうの」
私が涙を流している事に気が付いて、彼がハンカチを差し出してきた。似合わない事して。相手が私でも、怪物でも、同じように優しいの?
私は涙を拭いながら、彼をもっと喜ばせたいと願った。ああ、そうだ……そういえばこの夢に入った時……えっちな夢を見ていたよね?
私は姿を変えた。彼が絶対に気に入る姿。いつも、鼻の下を伸ばして見ている姿に。
…………彼が何者かだって? そんなの、『アルメ』で遊んだんだから分かるに決まっている。こんなデッキを使っている人が、他にいるとは思えないし。
「ねえケーくん……いつもありがと、その……お礼を、させて欲しいな」
私は猫魂先輩の姿で、胸元のボタンを外しながら話しかけた。彼が喜ぶと思いながらも胸に鋭い痛みが走る。
猫魂先輩の姿を勝手に借りているからだろう。でも、喜んでもらうにはこれが一番でしょう?
「チェンジ。猫魂さんはそんな事言わない!」
「…………えぇ? 夢の中なんだから都合よく行けばいいのに」
「だったら乳母崎さんがいい!」
「はあぁ!?」
なんて注文の多い! というか、なんというか……乳母崎? 半分怪物で、いつもあなたを傷付ける事しかできない、私なの?
それとも、私ならえっちな誘惑をしても解釈が合うとでも……? はあぁッ?? アームロックの出番か???
「よし、乳母崎さん。もう一回やろう」
「…………カード馬鹿。変態。それでいいの?」
「いいんだよ。こんな楽しい夢めったにないんだから。乳母崎さんも楽しそうで、俺もすごく嬉しいし」
私は大きくため息を吐いた。現実の私の姿をしていたら、さっきみたいに優しくなんてできないというのに……。
「本当に馬鹿、信じられない。マヌケ面、足も臭い、言う事も臭い、|それでモテると思ってるの(すき)…………まったく、本当に……大嫌い」