狂いはじめた歯車
キツネ狩り。
元の世界ならば、動物保護団体から非難ごうごうの貴族の娯楽。
この世界にもありました。
王都の郊外に狩場がある。そこで時おり貴族たちを集めて国王陛下がキツネ狩りを主宰される。
たぶん元の世界でいうゴルフコンペみたいなもの。
で、そのキツネ狩りの最中に、なんと国王陛下が落馬してしまった。
急いで王宮に運び、治療がほどこされたものの意識不明の状態。
国中に衝撃が走った。
頭を打ったのか、あるいは首とか背骨とかを折ったのか、詳細は明かされていない。
よりによって、こんなときに。
とうぜん王太子殿下は国王代理として、ルーク殿下はその補佐として駆けずり回ることとなった。
もちろん王妃さまも陛下の看病にかかりきりである。
王妃教育も当面おやすみ。
これであの噂も消えるかと思ったのに、逆だった。王太子、ルーク両殿下の手が離せないすきを狙うように、次々新しいネタが投下される。火消しが追いつかない。
ルーク殿下とルイーズさまへの風当たりは一段と強くなった。
「国の一大事なのになにをしているんだ」
「不謹慎な」
「不埒な」
いやいや。ルーク殿下だってたいへんだよ? そんな時間はない。シャーロットお嬢さまと会う時間だってないんだから。
それなのに。
ヘビめ。
目的はなんだ。
ここまできたら、ただの嫌がらせではない。
さいわいなのは、王妃教育がおやすみになって王宮へ行く機会がなくなったことだ。お茶会や夜会も自粛。お嬢さまが矢面に立つことはない。
ないが……。
ただ友人知人が個人的に集まることはある。仕事の取引なども滞らせるわけにもいかない。
そういう場所で噂は広がっていく。
「目撃者がいない」ことが裏目に出てしまった。
「兄上」
この日の仕事を終えたのは、だいぶ夜も更けてからだった。ルークはジョージを伴ってウィリアム王太子の部屋を訪れた。
「ああ、きょうもごくろうだったね」
ヘンリーとふたりで待っていたウィリアムはソファへとうながした。
ここ数日で、ウィリアムの目の下のクマはずいぶん濃くなった。ルークはかすかに眉をひそめた。
「ちゃんと休んでいますか」
「それはおたがいさまだろう? おまえもずいぶん疲れているようだ」
ルークはふっと息を吐くように笑った。
「そうですね、ではさっさと話しをすませましょう」
そういうと、テーブルの上に一本の革製のベルトを置いた。
「これは……」
ウィリアムはそれを手にとる。
「父上の手綱です」
ウィリアムがそれをじっくりと見ていく。そしてその端は……。
「切れている」
ナイフで切り込みを入れたように、すっぱりときれいな切り口だった。よくよく見れば、その切り込みは「く」の字になっている。強く引いているうちに、徐々に広がってやがて切れるような細工だ。
「カーソン公が気づいて回収しました」
「そうか。カーソン公は頼りになるな」
カーソン公はルイーズの父である。
「こんな単純な細工に気づかなかったとは」
ウィリアムは小さく舌打ちをした。
「馬番は、点検したときにはそんな切れ目はなかったと言っています。いつ切られたのかはまだわかっていません」
「いや。これが回収できただけでも上出来だ。落馬事故は仕組まれたものだという証拠だ。カーソン公が気づかなければ隠滅されただろうな」
そういうと、ヘンリーにその重要な証拠品を預けた。
「噂の出どころはカミラ・ブライスでまちがいないな」
「はい」
「ならば、やはりブライス公か」
ブライス公はカミラの父。そのブライス公と側妃のイザベラが接触している。そう報告を上げたのはヘンリーだった。
ウィリアムとルークにはもうひとり兄弟がいる。
側妃イザベラが生んだ第三王子ジェームズ。
そもそもイザベラが側妃になった経緯もブライス公だった。
イザベラの生家は国境領のグレイ伯爵家。
国境警備の要との結びつきを強固にするために、イザベラを側妃にむかえるべきだとブライス公がごり押ししたのだった。
そんなことをしなくても、グレイ伯爵領と王家は良好な関係であったし、王子もふたり授かっている。
必要ない、という国王を半ば強引に説き伏せる形でイザベラを後宮入りさせたのだった。
そこでジェームズが生まれたのは、幸だったのか不幸だったのか。
もともと乗り気でなかった国王陛下は、ジェームズが生まれると、義理は果たしたとばかりにイザベラとは距離を置く。
ジェームズには王子に不足のない処遇を与えてはいたが。
「では、グレイ伯爵も一枚噛んでいるのでしょうね」
非常に厄介である。ルークはため息をついた。
「おそらく」
ウィリアムも額に手をやった。
「……ジェームズか」
現在十六才のジェームズは、少々ひねくれている。イザベラが自分が側妃になった経緯に引け目を感じているせいか、イザベラに育てられたジェームズは兄たちにひどいコンプレックスを抱えている。
ルークとしては、いっしょにウィリアムを補佐していきたいと思っているのだが、ジェームズは差し出すルークの手をいつもはね返すのだ。
「どうせ、ぼくなんか」
そう言って。
どうしたものか。
ウィリアムにしてもルークにしても、悩みのタネである。
「まさかジェームズまでも、とは考えたくないが」
ウィリアムは目頭をぎゅうと指で押さえた。
「いや、そうでしょう。残念ですが」
しばらくだまっていたウィリアムはやがて立ちあがった。
「護衛を増やそう。わたしとおまえと母上と。まさか王宮内でことを起こすとは思えないが。それと念のためルイーズとシャーロットにも。でもこの状況はふたりには知らせるな。怖がらせたくない」
ヘンリーが「承知しました」と返事をした。