第72話 家族
トンマーソが家に帰ると、妻のジャーナと娘のマルタが出迎えてくれた。
二人の姿を見るだけで疲れが吹っ飛ぶのだから、人間とは単純なものだ。
三人で夕食を囲みながら、簡単に霊との戦いの話をする。
その流れでトンマーソはぽつりと漏らした。
「いやぁー、やっぱりリーダーとペアを組むのは楽しいな」
言った瞬間しまった、と思ったが、時すでに遅し。
「あー、今の発言は浮気だー!」
案の定、娘のマルタが騒ぎ出した。
浮気だ浮気ー、とトンマーソを指差す。
「ちょ、まっ——」
「お母さん! 浮気だよ、浮気!」
「まぁ、それはひどい。そんな人にやるお酒はありませんわ」
言うや否や、ジャーナがトンマーソの酒を取り上げた。
そのまま奥へ消えていく。
「そ、そんなっ……」
なにもつかむことができなかった右手とともに、トンマーソは頭から机に突っ伏した。
「戦いの後の酒ほど格別なモンはないのに……」
「ドンマイ、お父さん」
マルタがニヤニヤ笑いながら背中を叩いてくる。
彼女もジャーナも、本気でトンマーソの浮気を疑っているわけではない。
そういうノリなのだ。
ジャーナが戻ってくる。
彼女はなにかを抱えていた。
木でできており、上下の底は円形で、中心部分が丸みを帯びながら広がっている容器だ。
「そ、それは!」
トンマーソは椅子が倒れるのも構わずに立ち上がった。
一番好きなワインの酒器変だったからだ。
「お父さんっ、顔!」
マルタが腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
常日頃は格好いいお父さんを目指しているが、今だけは娘からどう見られているかなんてどうでも良い。
ジャーナがトンマーソの前にマグを置き、ワインを注ぐ。
ゆらゆらと揺れる幻想的な赤色に、トンマーソは魅了されていた。
「はい、どうぞ。この領地のために戦ってくれてありがとう、あなた」
「お疲れ様、お父さん!」
「……ああ!」
妻と娘からのねぎらいをおつまみに味わうワインは極上だった。
一気に飲み干すと、二人が同時に笑った。
幸せだ、と思った。
今、自分は間違いなく幸せだ。
——そして、これほどの幸せを最優先できない自分は、きっと大馬鹿者だ。
「二人とも。大事な話がある」
同時に自分に向けられた二対の目。
それらを交互に見つめながら、トンマーソは言った。
「俺は、冒険者稼業を再開しようと思う」
「……どうしてか、聞いても良い?」
一拍置いて尋ねてくるジャーナの声はとても落ち着いていた。
「耐えられないからだ」
トンマーソは言った。
「自分で言うのもなんだが、俺は冒険者としての才能がある。霊が視認できる固有魔術持ちのAランク冒険者に匹敵するやつなんて、軍にもそう多くはいないだろう。自分よりも才能のない奴らが命を懸けてこの領地のために戦っている中で、俺だけのうのうと暮らしていて良いのか。そう思ったんだ」
ジャーナもマルタもなにも言わない。
ただ黙って、トンマーソの話に耳を傾けている。
「正直、今まではそれでも良いと思っていた。俺の一番の幸せは二人と一緒にいることで、その幸せを長く味わいたいのなら冒険者なんてやめるべきだからな。でも、それじゃダメなんだって、今日わかった」
酒ではなく水で喉をうるおし、トンマーソは続けた。
「今日、もし俺がいなかったら、もっと犠牲が増えていたかもしれない。リーダーが、リカルドが死んでいたかもしれない。もしそうなったら俺はきっと後悔する。なんでその場にいなかった、なんで冒険者を続けていなかったのかってな。直近で二件、立て続けに王都以外で霊が発生している。明らかになにかが変化し始めているんだ。もっとやばいことだって起きるかもしれない。そのときに、蚊帳の外で後悔はしたくないんだ」
トンマーソは頭を下げた。
「すまない。父としても夫としても、本当に申し訳ないと思っている。それでも、再び冒険者になることを許してほしい」
「……顔を上げて、あなた」
穏やかなジャーナの声。
おそるおそる顔を上げると、妻は微笑んでいた。
妻だけではない。
その隣に座る娘のマルタの顔にも笑みが浮かんでいる。
「わかっていたわよ」
「……えっ?」
トンマーソは間の抜けた声を漏らした。
「わかっていた……?」
「えぇ。あなたが霊の討伐に参加すると決めた時点でこうなるだろうと思ったわ」
「二人で話してたもんね」
ジャーナとマルタがうなずき合う。
「マジか……」
トンマーソの全身から力が抜けた。
「そりゃ、もちろん心配だけど、後悔だけはしてほしくないから。あなたがそうしたい、そうするべきだと思ったら、私はそれを応援するだけよ」
「そうだよ。わがままは言うけど、足枷にはなりたくないもん」
「ジャーナ、マルタ……!」
トンマーソは感極まり、二人を力いっぱい抱きしめた。
「……ありがとう、二人とも」
「ちょ、お父さん。苦しい」
「馬鹿力ね」
二人が抗議してくるが、トンマーソはしばらく力を緩めなかった。
腕の中で、再び抗議の声が上がることはなかった。
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