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空のリシェル  作者: ブリキ
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永遠の繋がりと銀の配達人 ~③~

『私はただ人類の背中を押しただけだに過ぎない、

 故に、繁栄を遂げたその先に待ち受ける運命を決めるのは、

 いつだって後世の者だけだ』


 人類史に最も貢献した機械技師、ロマルド・J・クロウリーの言葉だ。


 彼は機械技師であると同時に、科学者の顔も併せ持つ稀代の天才だった。 

 彼がその名を歴史に遺すに至った功績はただ一つ。

 

 人類に『翼』を与えた。


 それが数百年先まで人類史を切り開く、偉大な発明だと世間が評価したのは、彼が天寿を全うしたわずか数日後のことだった。


 星舟。


 大気中の星素を動力源とした、翼を持たない人が空を飛ぶために造られた鉄の飛行船。


 機体を持ち上げる両翼は竜の強靭な翼をモチーフにしており、頑丈で薄い翼膜が機体のバランスを保つ用に機龍の骨格を忠実に再現されている。


 何よりも注目するべきポイントは、機体の原動力を維持する燃料が『無限』に満ちているという点だ。


 星素。この空全域に満ちる、可視化できない粒子の総称である。大気中に満ちる星素を動力源とした飛翔機は瞬く間に島々へ普及し、生活の支えとなった。


 だがそれは、決して良い話ばかりではない。


 翼を手に入れた先人達が歩んだ歴史を紐解けば、遠方に広がる資源を求めて争いに明け暮れ、多数の犠牲者を世に生み出した戦争ばかりが挙がる。


 姉を失ったのも、その戦争の一つが原因だ。



 陽がまだ半分昇り掛けという早朝。夜の終わりを告げ、新たな一日を呼び覚ます陽光が白一面の空を茜色に染め上げる。


 自然が描く美しい景色に、星舟の後部座席に座るカイエンは感嘆の息を漏らす。

 もっとこの光景を目に焼き付けたい。遥か遠くに広がる絶景に手を伸ばすが、虚空を掴むばかりだ。


 カイエンが今いる世界は、翼を持たない人間にとって『死』そのものだ。

 操縦者の座席は外の世界に剥き出しとなり、外界との空間を遮る物は何もない。


 出発前日に、リシェルの指示に従い、防寒コートとゴーグルを用意していなければ、高速で移動する際に生じる、風圧と冷風によって体力が根こそぎ奪われていただろう。

 命綱となるのは、機体と体を結ぶ頑丈なロープと座席に縫い付けられた固定器具のみ。視線を落とせば、雲海が視界の遥か彼方まで続いている。


「何度見ても凄いな。遮る物がない外の世界はこんなにも広く澄み渡っている」


「あまり顔を出さないで。ビビッて漏らしたりでもしたら後々面倒だから」


「誰が漏らすか」


 リシェルの軽口にカイエンが反応し、笑い声が飛んだ。

 心はずっと高揚している。


 フォールカウストを飛び出て三日が経過した。


 目的地までの道中、何度か周辺の浮遊島に降りて宿を取り、今のところ予定通りに事は進んでいる。目的地到着まで残すところ二日。それを過ぎれば、彼女とこうして話す機会はもうないだろう。


 リシェルと二人だけの空の旅は、もう間もなく終わる。


 別にリシェルを好きになったとか、色恋沙汰の類ではない。彼女の容姿は姉一筋のカイエンから見ても、女性として理想的だと思う。


 顧客相手に遠慮がない不愛想な口調と態度だが、時折見せる彼女の笑顔は、本当に綺麗な笑顔なのだ。


 特に印象に残ったのは、初日に宿で止まったあの日。絹糸のような銀髪が風に靡き、遥か上空より降り注ぐ月光に照らされたリシェルが浮かべた笑み。


 “月下美人”という言葉を瞬時に連想した。彼女に贈るならその言葉が一番似合うだろう。


 でも、この胸を締め付けられるような痛みの根源は別だ。


 美女と別れるのが辛いなんて、情けない理由ではない。


 ほんの少し年上の女性と話す。

 カイエンにとって、それは物心ついた時から続いた日常なのだ。

 当たり前だと思っていた。ずっと、これから先も、毎日毎日同じように笑って過ごす日々が続くと。


 ――ホント、いつからこんなに弱くなったんだよ。


 失って初めて気づいた。自分にとって、姉がどれだけ素敵で偉大な女性かということを。


 華が咲き誇るような笑顔を向けてくれた。


 隣に貴女がいるだけで、これほどまでに安らぎと安心感を与えてくれたことを。


 ただ傍にいてくれるだけで。それだけで一生分だと思える幸福を味わえた事実を。


 心は脆くなった。

 孤独という恐ろしさを知り、自身の存在を蝕んでいく恐怖を必死に耐え忍んだ。


 姉の代わりなんていない。それは間違いようのない事実だ。


 それでも。


 彼女を失ってきてから続いた孤独の日々から、今だけは解放された。

 

 たった三日。短い期間だが、リシェルという少女と出会い、空の旅の最中、会話をしていくうちに、ほんのわずかではあるが、胸の痛みが引いていくのを実感した。


 姉を失った悲しみの疲れから生じる、全身に圧し掛かった鉛のような重さもない。


 あの時、二人だけしかいない空間で。

 彼女がこの依頼を引き受けてくれたから。

 

 脳裏に姉と共に過ごした記憶が蘇る。


 ――ああ、もうすぐ。

 

 そして。

 

 リシェルとの旅も四日目が過ぎ、運命の五日目が訪れる。



「――危険空域に侵入して八咫烏と遭遇した場合、十中八九戦闘になる」


 まだ日が昇らない薄暗い早朝。びゅう、びゅう、と冷たい風が防寒コートの隙間を突き抜け、肌から体温を奪う。


 二人がいるのは、危険空域に指定された玄関口と出口の境界線。果てしなく広大な空の世界は目視で次の『島』を発見できても、そこまで辿り着くまでに相応の時間を弄する。


「配達人の私が貴方にお願いしたいのは三つ。『暴れるな・騒ぐな・意識を失うな』、どれか一つでも破れば私達は仲良く空の果てに落ちる。ここから先は死地、死ぬのが嫌なら今すぐ引き返すべき」


 普段は淡々とした様子で話すリシェルだが、彼女の表情には緊張の色が見て取れる。命懸けなのだ、どんな空も飛ぶと謳われた彼女ですら、此処から先は命の保証がない死と隣り合わせの空なのだ。


 こちらの覚悟を確かめるような返答に、カイエンは躊躇うことなく頷いた。


「元から承知の上だ。遠慮なく目的地に送ってくれ」


「そう」


 同乗者の覚悟を彼女は無表情で受け取る。


 バサッ――両翼が空を裂き、機体を危険空域へ羽ばたかせる。


「言質は取った」


 リシェルの口から囁かれる意味深な言葉。


 そして危険空域に侵入して小一時間が経過した頃。


 翼を持たぬ人間の前に、遥か古来よりこの大空に棲む獰猛な生物は、容赦なく牙を向けた。

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