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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第九章 台与
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65.二人の王

 誰かが呼んでいる……

 まとわりつく闇の間を縫うように、光がひらひらと降ってくる。

 突然誰かに手を掴まれて、引きずられるように走り出す。

 走っても走っても闇だったそこに、向かう方向から目映い光の洪水が流れ込んでくる――



 頬に感じた冷たい衝撃に彼は目を開けた。

 そこは相変わらず闇のただ中だった。何故か自分は土と藁の入り交じった汚い地面に横たわっていて、奇妙にじめじめした感触が気持ち悪い。

 一定の間隔で頬に水滴が跳ね、無意識のままそれを拭って仰向けになった彼は、そこでやっと今までのことを思い出した。

「生きている……?」

 煙で喉を痛めたため彼の口からでたのは拉げた声だったが、今は喋れることが驚異だった。

 あの燃え盛る炎に一体何が起こったのかと闇を探るように見つめて、彼は息を呑んだ。

 格子の向こうに、じっと座って自分を見ている少女がいた。

「台与……!」

 跳ね起きると、体のあちこちに激痛が走った。

 うずくまった彼を見て、台与は驚いたように格子に縋り付き、言った。

「じっとしていて、燃えた木片をあびて火傷をしているのよ」

「何故ここにいるんだ――」

 台与の言葉には聞く耳を貸さず、マナシはせき込んで尋ねた。彼女が無事でいてくれたことと、もう一度その顔を見ることができた喜びが溢れかえって上手く言葉にならない。

 台与は微笑んだが、それは誰が見ても切なさで胸を痛めるような笑みだった。

「あなたが無事で良かった。わたしのせいで、こんな目に遭わせてごめんね……」

「お前が……俺を助けてくれたのか。一体どうやって」

 台与の顔から微笑みが引き、沈黙が訪れる。

 台与の白い額に貼りついた前髪から幾筋も水が流れ落ちているのを見たマナシは、そこでやっと彼女が全身水浸しになっていることに気付いた。

「……驚かないでね」

 そう言って台与は格子にそっと手を触れる。マナシが不思議に思ったその瞬間、頑強な木の格子牢が瞬く間に台与の触れた場所から光る金の粉になって舞った。そしてその金の粉が腕や脚に舞い降りると、そこに数々あったはずの小さな火傷が融けてなくなってゆく。

 二人の間を阻むもののなくなった空間で、マナシは呆然と台与を見た。

「あなたはわたしに生きろっていってくれた。だからわたしも生きようと思った……。でもあなたがいないとだめなの、あなたが同じ空の下に生きていてくれないと……独りで生きようなんて思えない……」

 マナシは手を伸ばした。台与は慌ててそれを避け、潤んだ目を逸らした。

「触らないで、もう今までのわたしじゃない。あなたに触れてもらえるような、そんな資格――」

 有無を言わさぬ勢いでマナシは台与の手を掴み、自分の胸に引きずり込んだ。

 息もつけないほど強く抱きしめられて、今まで必死に我慢していたすべてが弾け飛んだ。

 台与は狂ったようにマナシの胸で泣きじゃくった。

「ごめんね、ごめんね、わたし――もう一緒にいられない。あなたのそばにはいられない」

「そんなことない、どんな力があったって台与は台与だ。いまならまたどうにか逃げ出せる」

 台与はしずかに首を振り、体を離して彼を見上げた。

「わたしはもうどこにも行けない。だってわたしは、このクニの王だから」

 マナシは黙り込んだ。愕然と目を見開いて、台与の手を握る手に力を込める。

「二人だけで生きたいと……そう言った。眼炎く世界を探そうと」

 マナシの手をゆっくりと解きながら、台与は涙にくれた目で微笑んだ。

 彼が見る、最後の台与の笑顔だった。

「うん。だからわたし、夢を見るわ――あなたの夢を。いつか目もくらむような光り輝く眼炎くクニを見つけて、そこで幸せに暮らすあなたの夢を。狗奴彦……あなたは狗奴の王。あなたのクニを創るのよ」

 本当にその世界が見えるように、台与は眩しげに目を細める。

「そんなことできない。たった独りで……お前のいない世界で生きるなんて」

 台与は背伸びして両手で狗奴彦の頬を包み、額と額を合わせた。

 輪郭のないほのかな熱が二人の間をゆっくりと通う。


「あなたは独りじゃない。同じ血を分け合ったあの子が生きている。あなたたちは一緒に生きていくの。わたしは、それをずっと見ている。見守っている。それにまた、いつか逢えるわ。あなたがわたしを忘れてしまっても……何度生まれ変わっても、わたしはあなたを探すわ……」


 台与は手を掲げた。マナシの背後の焼けた壁が溶けるように歪み、音もなく大きな穴が開いた。

 焼け焦げた小屋の中に、濡れた土の匂いが満ちてゆく。

 マナシはしばらく身動きのできない様子だったが、何かを思い詰めるように目を閉じて静かに後退った。

 壁の穴に手をかけてようやく顔を上げ、台与を見つめた彼は絞り出すように囁いた。


「――忘れない。忘れられるはずがない。俺が愛せるのは多分……何度生まれ変わっても台与だけだ」


 そう言い残して、狗奴彦は闇に融けた。月の光が柔らかに彼の道行きを照らしていた。

(夢を見るわ、マナシ……)

 人々の待つ外に足を向けながら、台与は想う。

(いつかあなたの国とわたしの国が混じり合った、身分も争いもない平和な世界で出逢うまで)


 風は凪ぎ、静かな月光が降り注ぐ。

 柔らかな帳に包まれた雨露が照らし出す世界に、台与は裸足で一歩を踏み出した。

第九章 台与 終

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