ここに来た理由
最後の一機に飛び込んだ時には、既に満身創痍だった。
《カムラッド》と《カムラッド》が、もつれながら地面を転がっていく。
リオは《カムラッド》の操縦席で攪拌されていく中でも、自己と相手の位置を失わずに認識していた。だからこそ、ここだというタイミングでバーニアを蒸かし、《カムラッド》の四肢を酷使した。二機の回転は無理矢理止められ、敵の《カムラッド》は動けないまま伏せっている。
対して、こちらの《カムラッド》は上にのし掛かり、右手にはSB‐2ダガーナイフがある。この間合いに入った時点で、勝負はついていた。
SB‐2ダガーナイフの刃先を、躊躇いなく操縦席に滑り込ませる。確実に中身を穿ち、抵抗出来ないようにした。装甲に食い込んでしまったナイフは、回収しようにも抜けない。代わりに動かなくなった敵《カムラッド》のナイフを拝借し、溜息を一つ吐く。
「十機、いや十一機? これで全部、そう思いたいけど」
途中で数えるのを諦めた上に、増援もあったので正確な数は分からない。今はゼロになっているので、何機いたとしてもあまり関係はないが。肩で息をしながら、周囲の様子を探る。もう何も残っていない。
カーディナルの入り口があるだろうDブロックには、相当数のif戦備が待ち構えていた。一瞬罠を疑ったが、通信障害を考えると違うように思える。となると、一番大切な場所をとりあえず守っているというのが正解だろう。
とすれば、カーディナルはここにある。取れる行動は一つだけ。奇襲と突撃を繰り返し、その全てをこうして撃滅した。
「さすがミユリさん。よく動いてくれる」
自身の《カムラッド》に対する評価だ。無数のエラーメッセージを吐き出しながら、無数の残骸を作り上げた。それでも尚、残骸の仲間入りはしていない。大した物だった。
TIAR突撃銃は残弾を使い切り破棄してある。敵から奪った突撃銃とナイフ、右肩を占有するE‐7ロングソードぐらいしか、もう使い物にならない。
左腕の状態も悪く、指が足りない上にエラーで動かなかった。最悪切り離した方がいいかも知れない。まだ、盾としては使えるからこのままにしておくが。
《カムラッド》を立ち上がらせ、戦闘中に当たりを付けておいた建造物へ近付いていく。
Dブロックは主に倉庫やコンテナが目立つ。まあ、その殆どは今の戦闘で拉げてしまったが。その中でも、大型で目立つ物があったのだ。
倉庫でカモフラージュした搬入口、といった所だろう。恐らくこれが、地下の研究施設に繋がっている筈だ。
「ifじゃ入れない、か」
白兵戦になったら勝ち目はない。出来る事ならばこのまま侵入したかった。少し考えるも、良い案は浮かんできそうにない。まさか、このまま強引に入り込む訳にもいかないだろう。
イリアとエリルに伝えるにも、通信障害は未だに健在、どうしようもない。
《カムラッド》をしゃがみこませ、片膝の体勢で固定する。状況がどうであろうと、答えは決まっていた。
「行くしかない」
後々イリアとエリルが合流してくれる事を祈りつつ、腰のホルスターに納まったセリィア自動拳銃を取り出す。スライドを引いて初弾をチャンバーに装填し、そのままホルスターに戻した。いざという時に、最短で発砲する為だ。
深呼吸をし、ハッチを開ける為にスイッチを押す。これで狙撃でもされたら、笑い話にもならないが。今は盲目的に、大丈夫だと信じる事しか出来ない。
開ききったハッチから身を乗り出し、ワイヤーリフトを使って地面に降りる。周囲の様子を窺うも、残骸が広がるばかりで何の反応もない。
暗い穴を覗かせる搬入口は、どこか薄ら寒く。生ある物の侵入を拒んでいるように思えた。
なぜだろう、たまらなく怖い。身体が震え、少しの物音が何倍にも増幅されて聞こえる。
進むのが怖い訳でも、敵襲が怖い訳でもない。何かがやってくる。地獄の蓋を蹴破って、生ある物を拒む何かが。
増幅された足音は、その一つ一つが地鳴りのように響いていた。一歩一歩が重く、深奥を揺さぶっていく。
殺される前に殺さなくてはいけない。先手を取って、相手が指一本動かす前に頭蓋を砕く。そうしなくては、次の瞬間に砕けているのは自分だ。
銃を構えて、姿が見えたら全弾を撃ち込む。自分の役割を果たせ。そうしなければ、ここで潰える事になるぞ?
そう、自身の内側が警鐘を鳴らしている。潰える訳にはいかない。まだ自分は、あの少女に謝ってすらいないのに。
そう、あの少女は。今もきっと、苦しんでいるのに。
震える左手で自身の胸を掴み、そこにあるエンゲージリングの輪郭を感じ取る。
胸の内が、あれを殺せと叫んでいる。
胸の裡が、あの子を助けろと叫んでいる。
「分かってる」
すごく辛かったんだ。もう壊れている心が、もう一度軋んでしまうぐらいに。
「その為に来たんだ」
小さな足音が聞こえる。一歩一歩が重く、深奥に届いていく。
恐怖が消えた訳ではない。ただ、それ以上の何かが恐怖を覆い尽くしただけだ。今はそれでもいい。
薄ら寒い搬入口から、誰かが歩いてくる。分かっている。後にも先にも、こうも心を乱してくれる人なんて他にはいない。
投影された青空の下で。自分はやっと、初めてその少女と向かい合った。
柔らかな灰色の髪に、悲しげに揺れる赤い目、透き通った白い肌は、少し青ざめているように見える。淡い黄色のニットセーターは丈が長く、そこから黒のタイツに包まれた足がすらりと伸びていた。
少女は、トワは足を止めると、呆然とした様子でこちらを見ている。トワは自身の身体を抱き留めるように腕を組んでおり、その手は確かに震えているように見えた。
「トワ」
そう呼びかけ、ヘルメットに手を掛ける。慣れた手付きでそれを外すと、脇に放り投げた。音を立て、ヘルメットが地面を転がっていく。
腰のホルスターからセリィア自動拳銃を取り出すと、内奥に潜んだ黒い思いが性懲りもなくやってきたが。全て無視し、装填された弾倉を地面に落とした。スライドを引き、チャンバーに装填された一発すら地面に捨てると、セリィア自動拳銃自体も地面に捨て置く。もう、これは必要ないからだ。
これでもう、邪魔をする物は何もない。立ち尽くしたまま動かないトワに、ゆっくりと近付いていく。
人と人が近付くまでに、そう時間は掛からない。目の前には、ずっと探していた少女がいる。怯えたように震える身体を自身の手で抱き留めて、その赤い目は僕だけをただ捉えていた。
「やっと、見つけた。ちゃんと覚えてる? トワ、結構忘れっぽいから」
なぜだか、無性に涙が込み上げてきて。情けなく声も震えてしまって。でもそれは恐怖からではなくて。
「……忘れるわけ、ないでしょう? だって」
消え入りそうな声で呟き、トワは倒れ込むように残りの距離をゼロにした。こちらの胸に顔を埋め、嗚咽を繰り返している。思っていたよりも、ずっと小さく華奢に思えた。
「そう、そうだった。私の」
たった一つの願い。そう、続けられた気がした。
「え……?」
声を上げてしまったのは、トワの体温が不意に消えてしまったからだ。トワは拒絶するようにこちらを突き離し、顔を伏せたまま横を通り過ぎていく。
「トワ……?」
振り返り、その背中に声を掛ける。しかし、届いている筈なのに、歩みは一切止まらなかった。
後を追わなければ、また。その思いから足を動かすが、次の異変がその行動を躊躇わせた。
投影された青空が瞬き、大穴が空いていく。粒子兵器で無理矢理こじ開けたのだ。その暗い穴から、見慣れた機影が一直線に降下してきた。
「なんで、《プレア》が」
トワと遺跡から持ち帰った、プライア・スティエートとかいう機動兵器だ。今は《アマデウス》にある筈の機体が、なぜここに。
灰色に染まった《プレア》が、指し示したかのようにここへ着地した。衝撃と粉塵で視界が遮られるが、そんな物はどうでもいい。片膝をついた《プレア》に、トワは迷いなく近付いている。
「待って、トワ! 僕は」
「違うの」
足を止めながら、トワは言葉を遮った。その背中はやはり小さく、どうしようもなく震えているように見えて。
「何が、違うって」
《プレア》が差し出した手の平に、トワは迷わずに飛び乗った。まるで、そうするのが自然だとでもいうように。
《プレア》の胸部が開き、暗い操縦席が顔を出す。自らの主をその胸中に誘い、《プレア》のカメラアイが淡く瞬く。
《プレア》の操縦席に腰掛け、トワは一度だけこちらを見た。
「私は。私はファル。ファル・エクゼス」
他でもないトワの声色で、そう答えたのだ。
「だから、追いかけてこないで。私はみんなの敵だったけど。貴方には、死んで欲しくないもの」
《プレア》のハッチが閉じていく。何を言われたのかよく分からない。その言葉もその意味も分からない。
けれど、暗闇に囚われる前に見せた悲痛な表情だけは見逃さなかった。裏側に潜む本心を、もうこれ以上は裏切れない。
《プレア》の装甲が青く染まり、直上に跳び上がった。再び衝撃と粉塵が立ちこめるが、意に介さず《プレア》を目で追い掛ける。
「まだ、追い付ける」
呟き、《カムラッド》に駆け寄ろうと足を動かした瞬間だった。また別の足音が聞こえ、背後を振り返ってその人影を確認する。
搬入口から駆け出したその少女は、息を切らせながら飛び去っていく《プレア》を見ていた。サイズの大きい白衣を着込んだ少女は、他の物など視界に入っていないのだろう。ただ、暗い青空に吸い込まれるように消えていく《プレア》をじっと見ていた。
「……遅かったんだ、私」
そう呟き、やっと視線を下げる。そこで初めて、周囲の惨状に気付いたのだろう。無数の残骸と、それの中心にいる自分に。目を細め、その少女はこちらを睥睨している。
気持ちは分かる。なぜだか、この少女は好きになれない。自分がそう思うのだから、相手もそう感じているのだろう。
溜息を吐き、息を整え、その少女はこちらに近付いてくる。
「貴方、リオ・バネット特例准士でしょう。やっぱりろくでもない奴なのね」
半ば睨み付けながら、少女は足を動かしている。外敵を見るような目付きだ。
「そうだけど。今は急いでるんだ。構っていられない」
そう言い放ち、背を向けようとする。話したくはない。こいつは何か嫌だ。絶対に相容れない。そう確信出来る。
「待ちなさい。私だって話したくなんかないわ。でも」
そう言うと、その少女は立ち止まって右手を突きだした。拳を握ったままであり、宣戦布告のようにも見える。
「これだけは、渡したかったから」
何を持っているのか。なぜか胸が痛み、無視すればいいのに近付いていた。こちらも右手を出し、少女の拳が開かれるのを待つ。
少女の顔を見る。不機嫌その物といった表情を浮かべており、敵愾心で染まりきっている。多分、こっちもそうなっていると思うけれど。
少女の拳が開かれ、小さく煌めいた何かが手の平に転がってきた。いや、これは。
「トワの、エンゲージリング」
どうして、なぜ。これをこの少女が持っているのか。しかし、少女は踵を返し歩き出してしまう。聞いても、どうせ答えないだろう。この少女は、そういう類の奴だ。
だからこちらも背を向け、《カムラッド》に近付いていった。
「……ねえ、何で手放したの」
歩みを止めず、背を向けたまま。その少女は問い掛けてきた。
「こうなるって、分かっていたのに。何であんたは手放したの」
他でもない、トワの事だろう。少女に答える義理はないが、なぜかその声色だけは真摯に聞こえた。だから。
「怖かったから、だと思う」
《カムラッド》に近付き、ワイヤーリフトに足を掛けながらそう答えた。
「あの子が怖かった?」
それもある。けど、本質はそこじゃない。それがやっと分かったからこそ、自分はここにいる。
「僕が怖かったのは、僕みたいな人間が幸せになる事だよ。あの子といると、そういうとこがおかしくなる」
生きているだけで、死を振り撒いているような自分が。誤魔化しようのない幸福を感じているなんて。
「今も、そうなの?」
ワイヤーリフト使ってハッチまで上がり、最後に一度だけ振り返る。
そこには足を止め、じっと答えを待っている少女の姿が見えた。
「罪は消えない。多分、呪いも消えない。僕は死ぬまで苦しむと思う」
あんたも多分、そうなんだろう? 同じように地獄を振り撒いているのだから、きっとそうなのだろう。それぐらいは分かる。
罪を重ね、呪いに蝕まれ、死という瞬間でしかそれに報いる事が出来ない。
「でもね。そういうの全部どうでもいいと思えるぐらい。僕はあの子と一緒にいたいんだ」
それがたとえ、自分自身を救ってくれなくとも。無数の負債に押し潰されるとしても。壊れた心が導いた、壊れた結論だとしても。
少女からの返答はない。必要ともしていない。これはそもそも、自分が導いた結論なのだ。
《カムラッド》の操縦席に腰掛け、ハッチを閉じていく。システムに起動を促して、青空に空いた大穴を見据える。
「もう一度、今度は自分の手で渡さないと」
託されたエンゲージリングを手の中で転がし、空いている手でフラット・スーツの胸元を開ける。
ネックレスを引き出すと、留め金を外してつがいのエンゲージリングをそこに通した。もう一度渡すまでは、そこにいて貰おう。
ハンドグリップを握り締め、振り返らずに《プレア》の後を追い掛ける。
まだ追い付ける。心がそう叫んでいるのだから、歩みを止めるつもりはなかった。
きっとまだ泣いているだろうあの少女の、消え入りそうな本心を。全身全霊で取り戻しにいく。
熱を伴った決意の前に、既に恐怖は霧散していた。




