大貴族
グラードリア王国には、三つの公爵家が存在する。
ニセル、ユミアン、バリオロスのミドルネームを持つ公爵家たちは、グラードリア王国の建国の立役者として、王国史の中心に常におり、それぞれの家が、武力、知謀、文化を司る位置取りを取っている。
「父上、北のエラヴェールでの件の裏付けが取れました」
「仕事中は、セルゲイと呼べ。まあ良い、話せ」
若い秘書姿の末の息子・ホロスが事務的に儂に調査報告をしてくる。
「エラヴェールの農村で使われている脱穀機の販売者は、メペラ・トロイスという商人です。製造している場所は、モラト・リリフィムの工匠会だそうです」
「ふむ、隣だな」
「それとモラト・リリフィムでは、早くから普及しているとの商人の噂です」
「確定情報ではないか。あの領地は、十年くらい前から調査し辛くなった。全く、あの若造は死んでもしぶとい」
夜の窓ガラスに反射して映る儂の顔は、七十過ぎた皺だらけの顔。髪の毛はだいぶ色が抜け落ち、今では黒の方が少ないくらいで艶もない。それでも、儂は死ぬまでこの働き続けるつもりだ。
儂も若いころは、国で宰相としてやっていたがその役を息子に譲り、今は東のバリオロス公爵領・ホルスで領主をしている。
そして儂は、今奇妙な噂の裏付けを取る事をしていた。
曰く、豊穣の続く領地である、
曰く、幼い豊穣の女神がいる土地である、
曰く、甘味の村が存在する、
どれも荒唐無稽な話のように聞こえるが、国に上がっている資料には、件の領地――隣のジルコニア伯爵領・モラト・リリフィム――は、広範囲に渡って豊作。不作があっても局地的であり、それも補填して有り余る様子だ。
そしてそれを調査しようにも、前領主のダイナモ・ジルコニアが作った『何らかの』組織が妨害でもしているようで思うように進まない。
「この話からモラト・リリフィムには何かあると考えられますね。でもこの脱穀機を大々的に国内に売りだせば良いと思うのですが」
「警戒しておるのかもしれんな」
「誰が?」
「ジルコニアの頭がじゃよ。わざわざ、脱穀機を他国に回す理由がそれしか見えんわ」
「でも、警戒する相手って居ますか?」
「じゃからお前は阿呆と言っておる。事務だけでなく、物事の裏と関係を読みとり、利害関係を見よ」
すみません、と息子が頭を下げるのを見て、はぁと溜息を吐いてしまう。なんとも、七十代で二十代の息子を持つと、息子よりも孫といった感じでどうしても甘やかしてしまいそうになる。
宰相をやっていたからこういう事には機敏だが他人に同じ物を求めるのも酷か、と内心溜息を吐く。
「良いか? モラト・リリフィムは東六つの領地の中央に位置し、それを囲むように五つの領地と北にエラヴェールが存在する。ここまで良いな」
「はい」
「その中の勢力は、儂や若造将軍のランドルスの王国派とも言える勢力。そして件の領主は、王国寄りじゃがどの派閥にも属さない、そしてもう一つは分かるな」
「はい。ジンミル侯爵領、デュラハム伯爵領、ミューリズ伯爵領の教会派ですね」
「そうじゃ、正確には正教会や神聖教会なんて言われ方もある。王国派のランドルス侯爵は、地方教会と呼ばれるその他の教会を信望しているから王国派じゃ」
「でも、教会派とジルコニア伯爵家は今まで繋がりがありませんよね」
「当然じゃ、前領主のダイナモとランドルスの若造将軍は、旧知の仲。そこに踏み荒らす程の価値は今までのモラト・リリフィムにはありはせん。じゃが今はどうじゃ。仮定の話として、無所属のジルコニアを教会派に引きいれればどうじゃ、東の勢力図が大きく教会派に変わるじゃろう」
確かに、と呟く息子。儂は懇切丁寧にこの息子との講義を続ける。
「でも、だったらエラヴェールに脱穀機を流して、間接的に相手国の国力を増大させることになるんじゃないですか?」
「じゃから阿呆と言っておろう。
寒冷地帯のエラヴェールの主食は芋じゃ。脱穀機など使わん。使うのはせいぜい豆か雑穀じゃ。その程度で国力が増強出来れば、儂も苦労しなかったわい。それに――」
「それに?」
「たとえ、それがさらに他国に横流しされたとしても、大した数は確保できんじゃろう。それから豊作の原因は道具以外の何かにあるのかもしれん。まあ、ただの偶然かも知れんがな。
現状、適度に金を稼ぎつつ、教会派に悟られないようにしておる。そして金を稼ぐ理由がのう」
儂は一人呟く。金を稼ぐ理由、色々ありそうじゃ。
件の領主は、子供。そして伯爵家唯一の血縁じゃ。母親は貴族じゃなく平民の出。貴族の爵位を金で買い、正式な代理領主として仕立て上げるつもりか?
それとも金で領内に医者を増やすか、地方教会でも誘致するか?
他には、領内の兵力増強か、それとも享楽目的の金稼ぎか、手管が良く見えぬ。
「わからんのう。子供の考える事にしては深すぎる。やはり、領地の頭はどこかにおるのかもな」
「僕にはわかりません。なぜ、モラト・リリフィムが現状を隠したがるのか。教会はとの禍根が無いならそれでいいのではないですか?」
「教会派と繋がりを持つことの利点と欠点を考えたことがあるか?」
「無いです」
「では、教えよう。教会派の利点は、教会の遣わす司祭たちの神法を平民に遍く行き届かせることができる。これにより、病気や怪我などの治療が比較的容易に受けられる」
「それは良いことですね。でも、僕らのホルスも大体似たような感じですよね」
「それは立場じゃ。儂らが公爵領じゃから奴らも下手にでておるんじゃよ。奴らは常に儂ら貴族との繋がりを持ちたいと思っておるからすり寄ってくるんじゃ。場合によっては、儂らの身銭を切れば王都の伝手を使って相応の数の医者を用意できる。じゃから奴らが下手じゃ。儂が提示した要望はある程度通る。それ以外じゃとどうじゃ?」
「……お金で雇う形をとる」
うむ。今回は、良い回答だだが半分が正解だな。
「ただ金で雇うならそれは問題にならん。問題なのは、教会が足元見て要求しよる事じゃ。教会の建設や維持費、説教など、馬鹿なほど金がかかる。その上、来た患者からも金を毟り取る。もっとも阿呆なのは、それに便乗して私腹を肥やす輩が多い事じゃ。全く嘆かわしい」
儂の知る限り、真南に位置するミューリズ伯爵は、結構な重税を強いている。それに、教会から多額の寄付をして教会の刻印入りインゴットを相場のインゴットより安く仕入れて、お抱えの工匠に調度品を作らせている。
「まあ、そんな感じで教会派は、領民の怪我を治すが、重税を強いる。それで生活も悪化することがある。それに教会は、無茶な要求もすることがあるから警戒しているのかもしれんがだいたいの特徴はこんなところかのう。そしてモラト・リリフィムの医療は、十年前と殆ど変らんじゃろう。街に少しの医者がいるだけ、農村は民間療法が定着しておる。教会も巡回している司祭が数人いるかいないか。もしも教会が建っておれば、あの若造も死ななかったかもしれんのに」
前領主のダイナモは、その辺の匙加減を調節する前に逝ってしまった。
「お前も覚えておけ。儂らと教会は、協力関係を築けるが決して味方ではない。教会の目的は、すべての人間を信者にすることで王国がどうなろうが知ったことではない。モラト・リリフィムの頭もそれを気が付いているのか、はたまたただ単に周囲に知られたくないだけかもしれん」
「……はい」
「それからジルコニアへの注意は、引き続きしておけ。表面の情報だけでなく、関係無い情報ももしかしたら繋がるかもしれん」
ホロスが頷く。だが、納得いかない感じでいる。
「モラト・リリフィムには守る力はありませんよね。少し乱暴な言い方をすれば、何もなくても僕らが兵力を背景に王国派に取り込む方法はありますよね」
「……それも方法じゃ。じゃが、愚策も愚策じゃ。力は、何だと思っておる」
「もちろん、兵力。このホルスの兵の練度は、兄様が鍛えているから王国直属だって引けを取らないはずです」
「確かに、表面上はのう。して、それで絶対に勝てるか?」
「多分ですけど」
「本当に……そう思うておるのか?」
儂の念押しに何かを感じ取るだろう。答えが全く違う事に。
「良いか。モラト・リリフィムなぞいつでも平定出来る領地だ。じゃが、出来ない領地でもある。あの領地の小麦は王都に出荷されておる。そしてさらに間接的ではあるが、西部の戦線に送る小麦もモラト・リリフィムが担っているとも言える」
ピストン輸送による小麦の供給は、長い時間の中で慣習的に成っていることだ。モラト・リリフィムは、領地に囲まれているために殆ど対外用の兵力がいらない中で、唯一の国への貢献が小麦の供給と思われているが、それは勘違いだ。モラト・リリフィムは、国を支える大きな柱の一本。そこが抜けただけでも、大混乱になる。
「万が一、焦土作戦などされてみろ。西部戦線への小麦の供給を断つか、王都で小麦が高騰するか。そうなれば次に現れる敵は王国全体じゃ。勝つことはできても、本当の意味で負ける。じゃから愚策なのじゃ。そしてモラト・リリフィムの領主は、時に悪政をすれど最後は、領民に誠実に対応してきた。王国への忠誠ではなく、領民への誠実で王国への忠誠となしている。王国派ではないからと言って、忠誠をなしている者を断罪するなど、大義名分が立たん」
儂がホロスをじっと睨んでいる。もう二度とそのような軽率な発言はするな。という意味を込めて。
「すみません、考えが足りずに」
「分かればいい。お前もまだ若い。これから少しずつ考えられるようになればいい」
「はい、それでは、失礼します。父上」
「セルゲイ様と呼べ」
恭しく礼をして下がる息子にそうやって苦言を漏らす。
誰もいなくなった部屋の中で、口元を撫で、溜息を洩らす。
儂が生きている内に、面倒は起こさないでほしいものじゃな。
そう内心で呟く元・宰相のセルゲイだった。
実家に帰宅中。衣食住が保証される安心感があります。
今回は、多くの疑問や指摘と言った感想に答える回です。領内だけではなく、周囲から注目されるモラト・リリフィム。
小さな変化に反応する元・宰相さんのお話でした。