乾く大河
大河を渡る船でも、一番安くてボロ船。それが私が乗せられた船だった。でも、軽いから足は早いとバロが褒めていた。
「よう、バロ。また都の依頼か」
「それが片付いたって報告さ。目的のものは見つかったしなあ」
「お前は気楽でいいよなあ。この大河もいつまで渡れるか」
「……どういう話だそりゃ。やっぱり河の深さがおかしいか」
「もう雨がまともに降らなくなって六年だ。どこもぎりぎりで船を操っている。そろそろ雨がまともに降らないと、大河を渡る船がすべて運行停止だ」
それを聞いていたバロの顔は厳しかった。よくわからない私でも、怖いな、と思うくらいには。
すがめられた銀色の瞳は、燦然と輝く太陽の光をとびきりに尖らせたような気分で、その一瞬の表情は、どこをどう見たとしても、この数日見ていた、お調子者の軽薄で、楽天的な男のそれとは大違いだった。
「バロ」
その男が瞬く間に知らない遠い遠い何者かに変貌した気がして、その事が怖くて、私はその名前を呼びかけた。
「おう? どうした。まさか今から船酔いか? ゲロなら甲板に出てくれよ」
そう言っておちゃらけたその顔は、もう、見慣れるようになった軽いものだった。
この男は私より長生きだ。だから長生きの分、知識も経験もあるだろう。そんな事は小さくてもわかっていたつもりなのに、バロがそういった大人のような表情を取ると、取り残されるような不安が胸に湧き上がってきて、それを引き留めようとするのはどうしてだったのか、思い出してもわからなかった。
ボロ船は勢いよく進んでいく。進んで進んで、足の遅いもっと豪華な船を追い越していく。豪華な船は沢山の人を乗せていて、それは悪い事じゃない。船の大きさに比例して、乗客は多いだろう。乗せる荷物もきっと多い。
「あの船はどんな人が乗っているの」
一番安い席。だから一番座り心地が悪くて薄暗い場所の席。
それでも初めて乗る船というものは、なんとなく面白くて、バロが気を悪くしないものだから、あれは何、これは何、と指さして聞きまくった私は年相応というやつだろう。
それを恥ずかしいとは思わなかった。知らない事を知らないと言えるのは大事なのだともう知っている。
「あの船の名前は……ああ、一等船だからクイン・エミリだな。クイン・エミリもあんなに状態が悪いか、儲けがねえもんな」
「それはどういう事?」
「船の頭の部分に星がいくつも飾られてるだろう。あれが三つ並ぶと最上級の印。二つは上級、一つは普通、星がないのはその一つ下、二重丸は最下級。大河を渡る客船で三つ星はクイン・エミリ一艘しかない。作るのにすげえ金がかかるから。あの大きさを一つ作るなら、星を下げて複数の船を作ったほうが儲けになるし問題の分散になる」
「わかんない」
「そりゃーそうだ、六歳児。簡単に話してやろうか」
「うん」
「じゃあ、これだけ覚えりゃ問題ない。星がいっぱいある方が船は上等。それで船の塗装が剥がれていたら手入れが悪い」
「塗りが悪いと大変なの?」
「水を弾く塗料が剥がれてるのは船にとっても客にとっても良くねえからな」
「そうなんだ」
それは雨具が水を弾かなくなったら劣化した、というのと同じように聞こえて、なんだか一つ賢くなった気分だった。
「豪華客船での船旅ってのは娯楽もいいところだ。この雨の降らない年数の長いこの世で、そんな道楽を今でもやる奴は相当な金持ちだ。でも金持ちが一人いたからって船は動かせねえ。だからなかなか直せない部分が出てくる。豪華客船クイン・エミリは客への配慮はいまだ一級だが、船を最盛期ほど維持できないって事だな」
「私が生まれる前の世界は、そんなに雨ばっかり降ってたの?」
「少なくともあの辺りまで緑の草原だったぜ」
バロがそう言ってどう見ても乾いた砂ばかり広がる向こう岸の方を指差す。
「あそこで、放牧がされてて、羊がいっぱいうろついてたぜ。おれはそれを見るのが好きだった」
「雨降ってほしい?」
「降ってほしいぜ。昔くらいたくさん。でもなあ、水神様が許してくれなきゃ、それはもう叶わない」
「そうなんだ」
「飯の値段がもう上がらないほうが誰だって嬉しいだろ。おれは腹を減らす人間が少ないほうがこの世の中は幸せだって信じてる」
「バロは優しいんだ」
「そうさ、おれ様ほど優しい男は砂漠の王様以外に居ないぜ」
「またそういう、変な自信満々な事言う」
「このくそちび、言わせておけば」
そう言いながらもバロは怒った調子じゃない。グシャグシャに頭をかき回すように撫でる手のひらは、いつかの何処かで、そうされていたんだろうなと思わせる手つきだった。
「三つ先の港が目的の港。結構でかい街だから、はぐれたら一巻の終わりだからな。気になるものがあっても手を離してふらふらするなよ」
「うん」
「呼びかけの時は兄貴かバロ。袖でも引っ張れ。足が速いなら蹴飛ばしてみろ、善処してやる」
「うん」
「知らない大人がなんだかんだ言っても、逃げ出したいと思うな。少なくともおれはお前を売りに出す気がねえから」
「うん」
「お前、おれにも兄貴にも似てるから、あれこれ言いたいのが出てくる。でも素直な顔して、おれの事兄貴って言ってりゃなんとかなる」
「すごい自信」
バロとそのお兄さんに似ている事が、一体何の意味を持つのかわからない。でも、それが砂漠では何かの意味になるらしい事だけは、伝わってきた私だった。
船はたしかに三つ港を通り過ぎた。夜は一つ越えた。バロは自分の分の毛布を、私に被せて寝ていた。寒くないのかと思うけれど、船の上の椅子の上で越える夜は、関所の街のそれよりも遥かに寒くて、毛布二枚でも凍えそうだった。
その分星は瞬く色を強めて、きれいだな、と思った。
そして目的の港に到着して、当たり前に手を繋いで降りると、船着き場で待っていた神官らしき人が飛ぶように走ってきた。
「バロ! お前が戻ってきたという事は目的は果たせたんだな……!? その子は!?」
「おー、おれ様の生き別れの妹」
「そ、そうか。……あまりにそっくりなものだから」
「妹がおれ様に似てたらおかしいかよ。まあおれ様に似てると将来大変だけどな、たっぱがでっかくなっちまってよお」
「お前はいつでもそんな感じだな」
「おうとも。あ、依頼の品はここで手渡さないぜ。ギルド経由の依頼様だ、ギルドで完了の手続きしねえと次の依頼をおれは受けられねえのよ。もうぎりっぎりまで溜めてたからな」
「お前のその溜め込み先延ばし癖は一向に改善しないのか」
「してたまるかよ」
あんまり褒められない大人の典型的なやつだ、と脇で聞いていて察してしまう。どんだけだこの男。
そんなやり取りをしながら神官とバロが歩き出す。手を引かれた私も歩く。……たしかに面白そうなものがたくさんあって、あれはこれはと聞きたくなる。
そして、人もとても多くて、迷子になったらそのまま行方不明になりそうなくらいで、バロの言葉はたしかに正しい。
「バロあれは」
「あれは酒場」
「あの看板は」
「賭博場。お前は入れねえ、ちびだから」
「あっちは」
「正しい手順で捌かれた、供物のための肉屋」
知らない看板が多すぎる。知らない道具が多すぎる。こんなに違うなんて思わなかった。
そしてもらった服の効果が大きい。風に乗る砂が顔似は当たるけれど、それ以外に当たらない。袖の長さとかを気にしていた神官さんの配慮は確かに正しかった。
「君はどこで生まれたんだい」
「王都のはしっこ」
道を進む神官に問われたから、暮らしていた町の名前を言うと、そこじゃないんだよなという顔をされた。
「国を聞きたかったんだが」
「国の名前なんて知らない」
「……そういう育ちか、なるほどバロと似たような生まれみたいだな」
「孤児院から売っぱらわれる寸前で保護したんだよ」
「お前は鼻がきくな」
神官がそんな事を言う。鼻がきくの意味なんてわからないけれど、褒めてるんだろうなとはなんとなく思った。




