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優しさの定義

 

          ◯



 厨房でのティータイムを終えると、私とオーナーは二人でルナさんの部屋に向かった。

 もう寝ている可能性もあったけれど、幸い部屋の扉の足元から灯りが漏れていた。


「ルナ、入ってもいいかい?」


 ノックとともにオーナーが声を掛けると、中から了承の返事があった。


 扉を開けると、ちょうど椅子から立ち上がったと思しきルナさんの姿があった。

 いつもは黒いワンピース姿の彼女は、今はグレーのネグリジェを纏っている。髪もお団子を解いて背中へ流していた。


 ここまで無防備な彼女を見るのは初めてだった。おそらくはもう寝る寸前だったのだろう。


「遅くにすみません。マカロンを作ったんです。よければ召し上がってください」


 袋でラッピングしたそれを私が差し出すと、ルナさんはにこりともせずにこちらへ歩み寄った。


「オーナーと二人で作ったのですか?」


 睨むような視線とともに、彼女の低い声がこちらを威圧する。

 思わず息を呑んだ私の隣で、オーナーは普段と変わらない調子で答えた。


「ああ。僕も厨房に入った。でも、絵馬と一緒だったから問題ないよ。ケガもしてない」


 ほら、と彼は両の手のひらを開いてみせる。

 しかしルナさんの顔は納得していなかった。


「オーナー。私は前にも言いましたよね。あなたが前オーナーのような『優しい魔法使い』になれない限り、厨房には入らないでほしいと」


 優しい魔法使い。

 彼女の言うそれは、魔法の代償を払わなくて済む魔法使いのことだろう。


 残念ながら今のところ、オーナーはその理想にたどり着いていない。


「叶さん。あなたにも以前質問しましたよね。『優しさ』とは一体なんなのか、あなたは知っていますかと」


 不意打ちでそう投げかけられて、私は改めて背筋を伸ばした。


 優しさとは何か。

 この問いは、私がこの館へ初めてやってきた日にも彼女が口にしていた。


 優しい魔法使いは報いを受けない。

 ならば優しいとはどういうことなのか。

 その答えを、ルナさんはずっと探しているのだ。


「以前叶さんにこの質問をした時、あなたは『わからない』と答えましたね。それ自体は結構です。むしろわかったような顔で優しさの定義を口にするような人であれば、私はあなたをその場で追い返していたでしょう」


 しかし、と彼女はまたオーナーに視線を戻す。


「この優しさの定義を理解できない限り、オーナーは理想の魔法使いにはなれません。なのにどうして、あなたは私を困らせるようなことばかりするのですか」


 最後の方は、声が震えていた。

 抑え込もうとした感情が、わずかに吹きこぼれたような小さな震えだった。


「ルナ、どうかわかってほしい。僕は危険なことをしようとしてるんじゃない。幸せになろうとしてるんだ。僕が自分で動いて、自分の幸せを見つけにいく。そのためなら、君だって応援してくれるだろう?」


 ルナさんは応えなかった。

 ただ、足元へ向けられたその瞳は微かに揺れていた。


 彼女はたっぷりと時間をかけて黙考してから、やがて蚊の鳴くような声で言った。


「……もう少しだけ、考えさせてください」


 お互いが納得することはできなかったものの、私たちの作ったマカロンだけは、彼女は受け取ってくれた。

 

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