MSSO
――寛政二(1790)年冬
俺が所司代になって早や一年半が経過した。
上皇宣下の一件を解決したらすぐにお役御免となる条件で受けたものだが、その一件が一筋縄ではいかないから困ったものである。
強権発動して力づくで抑えつければ話は早いが、朝幕の関係を悪化させるのは下策だし、そもそも俺が任じられたということは穏便に事を収めるためのものなので、強硬策は最初から選択肢に入らない。
それでも出来うる限り早急な対応は必要ということで、妙法院の真仁門跡、次いで仁和寺の深仁門跡という閑院宮家出身の二人の宮様に助力を頼んだわけだが、その効果がようやく実を結びそうな空気になってきている。
端的に言えば京にある名だたる寺院の多くを金で縛ったという話だ。拝観料のノウハウ、御開帳時の防犯や交通整理における奉行所の協力を受ける代わりに、こちらの言うことにちゃんと従うんだよという約束を取り付けたのである。
とはいえ表立って上皇宣下への反対姿勢を表明してもらうつもりはない。前に言った通り出来るだけ穏便に諦めてもらうようにしたいからだ。だから寺院には自ら反対姿勢を出す必要はなく、他者から意見を求められたときに「気持ちは分かるけど世の道理に照らせば好ましいものではない」と、やんわりと否定する程度で構わないと言っている。
それが複数の寺院で同じ見解であれば、いずれ仏教界全体の総意であると認識されるようになり、今ここに至って貴族たちもそれを認識し始めた。現状は外堀を埋め終わり、ようやく内堀の埋め立てに取り掛かっているといったところだろうか。
時間がかかるのは覚悟していたが、本音ではホントに早く片付けたいと思っている。本心からさっさと終わらせて江戸に帰りたいと思っている。
というのも、俺が京に来てそれほど日が経たない頃、種が第二子となる男子、つまり藤枝家の跡取りを産んだのだ。俺の幼名をそのまま継がせて安十郎と名付けた息子に、このままだと生まれてから二年以上会えない計算となる。
それこそ物心が付いてから初めて会って、知らないおじさん扱いされるのは辛い。だからホントにさっさと終わらせたいのよ。
「所司代殿は最初からこれを狙っておられたのかな?」
「最初からそこまで考えていたわけではございませぬ」
そんな折、妙法院に続き仁和寺でも御開帳を行い、好評だったことで毎年の定例行事にしたいという深仁様からの要望で、段取りの打ち合わせのためにお会いしたとき、俺が最初から謀っていたかのようなことを言われた。
元々寺社を巻き込む気など持ち合わせていなかったが、真仁様に協力を求めよという助言に従い動いた結果、大仏殿修復の勧進という話に至り、反対意見も出るだろうと推測した末、どうせ手間をかけるならば、それを上手く利用してやろうと考えたまでのことだ。深慮遠謀というより行き当たりばったりの方が正しかろう。
「ですので偶然の産物としか言えませぬ」
「これは失礼なことを申したな。ともあれ、所司代殿から我らにご相談あったのは有難い話でありました」
その話の裏には、上皇宣下に関する今の朝廷内の論調が大きく関わっていた。
多くの公家が上皇宣下に賛成している中、唯一と言っていい反対派が関白の鷹司輔平卿とその嗣子の権大納言政熙卿であった。
幕府との関係を悪化させてはならぬとの考えから、関白様は終始一貫反対の姿勢を取っているが故に帝や閑院宮様の不興を買っており、深仁様や真仁様はこれを憂慮されていたらしい。
何故かと言えば、関白様は元は閑院宮家の王子なのだ。現当主典仁親王の実弟で、鷹司家の当主が後継の無いまま若くして亡くなったため、当時の帝である桜町院や関白の一条兼香卿などが協議し、輔平卿を養子として迎え、鷹司家を相続させたということで、他家に養子入りしたとはいえ、血縁的には門跡となられたお二人や帝、御台所恭子様などから見て叔父にあたる。
そんなわけで身内で揉めるなよと思っていたが、僧籍となった身で政に口を挟むわけにもいかず苦慮していたところ、渡りに船とばかりに俺からの声がかりがあったというわけだ。
それもあって論調が変わりつつあることに安堵されているわけだ。
「江戸を出る前に、帝の兄君にあたる宮様方にお力添えを求めよとの助言があったのです。そのおかげでありましょう」
「ほう……江戸で。どなたに助言を受けたので?」
「御台様付の御年寄、今出川殿でございます」
「今出川……おお、冷泉家の歌姫か」
「歌姫?」
歌姫というとマドンナとかマライア・キャリー、テイラー・スウィフト的なものを思い浮かべてしまうが、ここで言う歌とは和歌のことである。
今出川殿は歌道の大家冷泉家の出身。そして和歌の腕前は父の為泰卿をして「この子が男子であらば跡目にしたかった」というくらいの腕前。そういう意味では歌姫と呼ばれてもおかしくはないのだが、以前京都に来たときのことを思い返すと、周囲からそんな感じで見られていたようには思えない。むしろ女だてらに賢しらに……みたいな扱いだったように覚えている。
「たしかに女が学問などと言う者も多かったが、和歌の腕がある才女を妻に迎えるは悪い話ではない。それにあの姫君は少々背が高いのが玉に瑕じゃが、他家の姫に勝るとも劣らぬ見目でありましたからな。気になっておった男子は少なくなかったと記憶しておる」
……そうなんだ。まあたしかにアイドルやタレントでも万人受けするタイプもいれば、人を選ぶタイプもいる。アンチが多くいたとしても逆に熱狂的なファンも一定数存在したりする。
つまり今出川殿は多くのアンチもいるが一部信者レベルのファンもいたということ……にしては、かなり辛辣なことしか言われていなかったようだけど……
「愛憎相半ばするというやつよ」
深仁様の言葉を聞いて思ったのは、好きな子に意地悪したくなっちゃうという男子あるあるだ。
勝手な想像だが、その才を好ましく思い仲良くはなりたいけど、自身より優れている和歌の才能に嫉妬するとか、周囲の彼女への評価から、好きであることを公にすると自分が悪趣味だと評されることをプライドが許さないとか、色々な理由から好きなのに辛く当たるような行動をした男性がいたのだろう。
「左様。厳しいことや嫌味なことを言ってしまい、後で後悔しておった者が多くおりました」
子供にはよくありがちな行動だが、大人になっても変わらない男はかなりいる。常識のある人間から見るとちょっと痛い人なんだけど、深仁様の言葉を聞くに、それが複数人いたようだ。
「恭子の輿入れに連れ立って江戸へ行くと聞かされた日には、残念がっておったようで」
「そうなのですか」
「うむ。公家たちの間では、好いた男を追いかけて江戸へ向かったと吹聴する者もいたそうな」
「それって……」
「所司代殿のことじゃのう」
うーん、色々と誤解が誤解を招いている。
「私は学問を続けたいのなら場所を変えるのも一計とお話ししただけですが……」
「それが彼女にとっては天啓であったのでしょう」
しかし部外者にそのあたりのことが分かるわけもなく、悪しざまに言う公卿たちに俺が苦言を呈したことや、京を離れる直前まで俺と親しくしていたことなどの公然の事実を積み上げていった結果、俺が彼女を江戸に連れて行ってしまったように思われているのかもしれない。
「深仁様はよくそこまでご存知ですな」
「お忘れか。拙僧と所司代殿は同い年。既に仏門に入っていた身ではあるが、同世代のことゆえ色々と聞こえてきたものよ」
そういやそうだった。閑院宮家の後継者である美仁親王様が俺の一つ上、第二王子の深仁様が同い年。そしてそこから十歳前後離れた弟が真仁様や帝なのだ。つまり深仁様は当時のことを同世代としてよく覚えており、自身が色恋とは無縁の僧籍だから、言い方は悪いがそれを聞いて高みの見物だったのだろう。
「今でも所司代殿を恨む公家がおると聞く故、お気を付けなされ」
「……勘弁していただきたい」
どうして俺はこうも逆恨みされやすいのでしょうか。好きだったらそれを声に出して言えばいいだけのことで、責任は自身の後ろ向きな態度にあるのではないかと思うのです。
こういうのってあれだよな。『僕が先に好きだったのに』ってやつだよな。片想いする女の子に告白する勇気も無くモジモジしているうちに、違う男に掻っ攫われちゃうやつだ。
……ってことはあれか。京における俺って「イェ〜イ、○○君見てるぅ〜! 君が好きだった綾子ちゃんは俺のものになっちゃいました〜」という竿役ポジなのか。
そして寝取られた男が「僕が先に好きだったのに!」となる。いや、相手は公家だから『麿が先に好きでおじゃったのに』か。
どっちでもいいわ。そもそも寝取ってねえし。それが理由で俺に噛み付いてくるなら、それこそ「イェ〜イ、○○君見てるぅ〜!」って煽って……
やめとこう。早く江戸に帰りたいので、余計な揉め事は増やしたくない。




