治部ちゃんポンポン痛いの……
第十章京都編スタートです。
(でも今回はまだ江戸でのお話)
<大奥・広敷向>
「京都所司代へのご就任、祝着至極にございます」
「今出川殿はそれを祝着と考えておられるのですな」
「思っておればこその寿ぎにございますが何か?」
……絶対分かってて言ってるよなこの人。たしかに出世と言えば出世だからな。
鎌倉幕府での六波羅探題もそうだが、東国の武家政権にとって京都、つまり朝廷の動きを見張り、ときにこれを制することは重要案件の一つであり、この時代ではその役目が京都所司代である。ちなみに所司とは鎌倉幕府や室町幕府で言うところの侍所のことで、江戸時代におけるその長は将軍であるから、京における将軍の代理ということである。
創設された初期の頃は朝廷・公家の監察から京及び畿内と周辺の合わせて八カ国の民政、さらには西国大名の監視などを所掌する職であったが、百年以上の長きに渡り幕藩体制が安定している今となってはその重要性も薄れてきたためか、数十年前に職務の見直しが行われた結果、その権限は限りなく縮小され、独立機関から老中監督下の職に格下げとなる。以来名誉職みたいな扱いとなり、幕府における政治力は無いに等しい役となった。俺が任じられた京都所司代とはそんな立ち位置だ。
とはいえ名誉職というだけあり、その地位だけは高く、就任したほとんどの者が寺社奉行や奏者番などの幕閣要職から転身している。要は京都所司代という、そうそう問題が起こることもない職を勤め上げることで経歴に箔付けして、後に老中に登るという出世コースのステップの一つなのだ。
……通常ならばね。
今回に関してはそうはいかない。閑院宮様への上皇宣下でゴタついているところだ。俺が任じられたのは、「帝を説得して諦めさせろ」というミッション付きであることは明白。
なんでかと言うと、京都所司代ってのは基本的に三万石以上の譜代大名が任じられるという不文律があり、二万九千石の俺は本来ちょっと足りないからだ。それくらい誤差の範囲、というかいざとなれば加増という奥の手もあるのだが、ここ最近は元々五万石から十万石を有する譜代が続けて任じられており、三万石ってのはあくまでも最低ラインといった感じなので、俺が任じられたということは石高ではなく人を見て選ばれたのだろう。
それを人は名誉なことと言うだろう。だがこちらにしてみれば、なんでそんなものを俺に振るのかとしか思えません。おかげで最近お腹が絶不調なのよね……
「ですが異論は出なかったのですよね」
「誰も表立っては言えますまい」
何の話かと言えば、俺が所司代に就くことへの異論だ。そもそもで言えば俺は幕閣の要職なんて務めておらず、唯一勘定所参与が勘定奉行に限りなく同格ではあるが、それだって必要に迫られて特例で無役から一足飛びで就いたもの。そこから今度は京都所司代となれば、通例ではあり得ない人事だし、普通なら「なんでアイツが!」という声が出てきそうなものだが、今回に関してはそのような声は聞こえてこない。
そりゃこの時期に所司代に就くってことが帝や公家相手にケンカ売りに行く役目だと誰もが承知しているからだ。異議あり! と言ったら最後、じゃあお前が帝に「却下!」って言ってこいとなりますからね。そんなわけで普段俺に批判的な面々も今回ばかりは何も言ってこない。平和でいいねという反面、言われないからこその気持ち悪さも存在する。
「私から見れば最良の人選だと思いますが」
「そう見えますか?」
「上様御台様が共にこの者ならばとお認めになり、かつ帝の覚えも目出度い。そのような武家はそうそういるものではありません。帝もご期待なされておるようですし」
「それはそれで困りものなんですけどな」
京都所司代は公家とも度々相対する仕事なためか、就任すると従四位下侍従という官職に補任されるのが通例。とはいえ普通は任官まである程度時間がかかるものだが、今回に関しては俺が新任の所司代になると朝廷に通告するやいなや、間髪入れずに任官のお沙汰が下されてしまったのだ。
それはつまり帝も俺に期待しているという証なのだが、何に期待しているかと言えば、「治部ならば上皇宣下を上手いこと取りまとめてくれるだろう」という、こちらの思惑と真逆の期待かと思われる。
帝の期待には応えてあげたいが、立場上俺は幕府の臣。さらに言えば帝といえど道理や法を曲げて物事を進める姿勢は治天の君としていかがなものかという持論なので、拝謁してすぐに帝の顔を曇らせることになると想像できる。
アイテテテテ……今度は胃が……
「治部少輔殿でもそういう顔をされることはあるのですね」
「他人事だと思って……私は少々小賢しいだけのただの人。それほど肝が太いわけではございませぬ。買い被りにも程があります」
「他人事とは聞き捨てなりませぬな。他人事ではないからこそお呼び立てしたと言うに」
「して、そのお呼び立ての御用件とは?」
「御台様が宮様を案じておられます」
この時代だけでも○○宮と呼ばれる皇族は何人もいるが、御台所恭子様がここで言う宮様とは、実父である閑院宮典仁親王をおいて他にはいないだろう。
そして恭子様と帝は異母姉弟ということで、つまりは今回上皇の称号を贈ろうとしている当の本人にあたる方だ。
「此度の一件で帝や公家衆の声は奥にも聞こえておりますが、肝心の宮様の御意向が定かではございませぬ」
たしかに江戸に伝わるのは、帝の御意向とそれを支持し奏上してくる公家たちの意見ばかり。肝心の閑院宮様の意思はどこにも見えないが、それに関しては仕方ないことなのではと俺は思う。
もし宮様自身が上皇を望んでいたとしても、口には出さないだろう。そんなことを言えば不遜と誹られるのは明白で、自ら望むものではないが、帝が宣下してくださるならば有難くお受けしようくらいのスタンスではなかろうか。
「さにあらず。実は宮様はそのようなお考えをお持ちでないのではなかろうかと」
「当人の与り知らぬところで公家たちが策動しているだけ。ということで?」
どうやら御台様や今出川殿は、宮様が上皇宣下を積極的に望んでいないとお考えのようだ。しかしそれを公にすれば、帝に対して「余計なことすんな」と言っているに等しく、実父とはいえ帝に対して不敬となってしまう。どちらにせよ旗幟を鮮明にするのは悪手でしかないからこそその動向が見えないのではと言う。
「故にまず都に着かれましたら、宮様のご意思を確かめるべきかと存じます」
そう言うと、今出川殿は一通の文を差し出してきた。
「御台様から宮様宛の文にございます」
なるほど。御台様からの遣いとして宮様にお目通りし、その際に確認する機会を設けようということか。
「もし、宮様も上皇宣下に乗り気ならば?」
「そのときはまとめて説き伏せなされ」
……余計に面倒臭いじゃないか。
「ご案じなさるな。これは御台様も私も同じ意見にございますが、宮様ご本人が望まれておるのならば、御台様にも口添えやらなにやらで、何らかの手が回ってくるはず。しかしながら一向にその気配は無く」
「つまり宮様は自らが表に出て動いては事態が余計に拗れると考えて、沈黙を保っているということですか」
「そうではないかと考えております。どちらにせよ御台様は此度の一件の非は朝廷にあるとお考えでありますし、奥はその御意向に沿って動くのみ。どこかの誰かのように御公儀の足を引っ張るような真似はいたしませぬ」
「有難きお言葉にて」
「騒ぎの責が宮様に及ぶことが無きよう、よろしくお頼み申します」
「委細承知」
本来なら御台様も父君の栄達は喜んで然るべきであろうが、徳川将軍の妻としての立場を重んじていただいたということ。となれば、その期待に応えないわけにもいくまい。
保ってくれよ、俺の胃腸……
「それともう一つ。帝に言上なされる前に、もうお一人助力を賜るべき御方をご紹介しておきます」
「それはどなたでしょうか」
「京にある妙法院の門主、真仁様にございます」




