尊王のために大事なこと
「私の考えを披露する前にひとつ申しておく。貴殿がそれを受け入れようがいまいが、藤枝治部の考えはこうであった。ということを他言してもらっては困る」
「それはつまり、藤枝様は上皇号を贈るべきではないとお考えだからですか」
水戸藩の藤田熊之介という若者に閑院宮様への尊号宣下について問われた俺は、まずはじめに他言無用であると申し置きした。
上様や御老中に諮問されたのであれば答えはするが、それは必ず己の口から発する必要がある。人の口を介して俺の考えが与り知らぬところで広まり、自身の思惑と違う捉え方をされては、間違いなくロクなことにならないからだ。
しかし、熊之介はそれを「藤枝治部は尊号宣下に反対ゆえ、水戸の家中をはじめとする尊王家たちに知られたくないから口止めした」と解釈したようだ。
「さにあらず。それだけ慎重な話であるということだ。私も本質で言えば、帝の叡慮(考え)なれば、出来る限り御心に寄り添うべきだとは思う」
「おおっ、では……」
「まあ待て。然れども世の中には決まり事というものがある」
――禁中並公家諸法度
十七条からなるこの法度は、その字面から皇室や公家を対象にした法令と思われがちだが、武家の任官や、僧正や上人など僧侶の官位など、朝廷と将軍によって任官された全ての身分もその対象となっており、今回の件で問題となっているのは法度の二つ目の記載、後世の法律的に言うなら第二条の冒頭にある「三公之下親王」という一文にある。
漢文ではあるが意味は読んで字の如く、親王の序列は三公より下ということ。日本の朝廷における三公は、太政大臣、左大臣、右大臣のことを指し、これらは摂関家の人間しか就けない(一つ格下の清華家出身で左大臣、右大臣の例はあるが、数は少なく在任期間も極端に短いため、実質的に摂関家の独占ポストと言える)ことから、親王は摂関家より格下という解釈になる。
「故に帝は閑院宮様に上皇の尊号を贈ることで立場を上にしようとお考えなのであろうが、法で決められているものをそう簡単に覆すのは考えものである」
「しかしながら、法度は公儀が定めたもの。そもそもで何故帝がそれに縛られねばならんのでしょうか」
「皇室、そして朝廷はこの法度があるからこそ成り立っているからだ」
朝廷や公家社会は戦国期の動乱により体制そのものが既に崩壊しており、自助でどうにかなるようなものではなくなっていた。後に徳川の世となり、そのままボロボロの状態で放置するわけにもいかなかったので、秩序を回復するために禁中並公家諸法度を制定し、その枠組みの立て直しに幕府が手を貸したのである。
後世、この法度は朝廷に権力を持たせないよう統制するために幕府が定めた法令。という感じに見られることも多いが、言い方は悪いが幕府がその力を背景に、放っておけば早晩消滅したであろう朝廷や公家社会を維持するための決め事を作ったということだ。
「皇室の安寧こそが我が国の大事と考えたればこそ、この法度が定められた経緯がある。その精神を忘れ、幕府が朝廷を抑えつけるために介入しているような物言いは違うぞ」
"喉元過ぎれば熱さを忘れる"という言葉がある。苦しい経験や危機的な状況も、過ぎ去ってしまえばその辛さや、助けてもらった恩義を簡単に忘れてしまうという人の性質を現し、だからこそ戒めとせよという格言である。
実際に今回の一件でも幕府が待ったをかけると、朝廷のやることに口出しするなという趣旨の返答が公家衆、とりわけ尊号宣下に腐心している大納言中山愛親卿からあった。かつて天皇に即位していない親王に上皇号を贈った前例があるのに、どうして幕府にこれを止める権限があるのかとね。
ただこれらは承久の乱(後鳥羽上皇の幕府転覆計画)や正平一統(南北朝の合流)など、国難にあってやむを得ずそうしたのであって、太平の世である今と同一視出来ないものであり、穿った見方をすれば徳川の治世に些かの不安があると朝廷が言っているようなものとも言える。悪い言い方をすれば、恩知らずの連中がわがまま言ってるということだ。
「少なくとも我らは鎌倉や室町の幕府とは違い、つつがなく世を治めておる。その世にあってわざわざ過去の動乱期の事例を引っ張り出してくる時点で無理筋な話だと思うが」
「しかし、帝の御心に背くのは」
「そこよそこ。帝が真にそうお考えであるなら、何故あらかじめ相談してくださらぬのかということよ」
悪法もまた法なりとは、たしかソクラテスの言葉だったかな。この法度自体は悪法でもなんでもないと思うが、朝廷の中で運用に不都合が生じたのなら、法を改めるなり特例措置を講じるなどの検討をすればよい。そして、それは当然のことながら立法した幕府と協議をするということだ。
「公儀の中でも神君以来の決まり事を変えるわけにはいかん。という声も多くあるが、私はその時に即して不都合があれば改めるに如かずと考えている」
歴史を紐解くと、長い伝統の末に成り立つものも数多くあるが、法律に関してはそうもいかない。徳川の家臣にとって家康公という存在は絶対なのだろうが、その発した法は家康公自身が直面する課題に対しての最適解として制定したものであり、時代が下って状況も大きく変わった今に合わせて最適化する改正は絶対にしなければならないものだ。
もちろん法の趣旨が真反対になるような改正はどうかと思うけど、経済や文化が成長する中で法律だけそのままでは、抜け穴だらけで不正し放題となってしまうからな。
「帝と上様は義兄弟の間柄。なんぞ不都合があってお困りなのであれば、手順に沿って御相談いただければよかったのだ」
しかし事は既に明るみになっており、朝廷が法を曲げてねじ込もうという形になっている。これは看過出来るものではない。
「法とは皆が守るから成り立つものであり、そのためには上に立つ者が規範となって守らねば下々に示しがつかん。身分の上下で法が曲げられるのなら、それはもはや法ではなく、誰も従おうとはしないであろう。藤田殿はこの六十余州を無法の地とするが望みか」
「それは些か詭弁かと」
「何をもって詭弁と申す」
「公儀が神君以来の定めを改めた例はほぼ無く、朝廷におかれては申し入れしても認められぬとお考えであったのかと」
「だから法を曲げてもよいと? 何故公卿たちは帝にそう言上せなんだのか。彼らの真意はともかく、これは公儀を軽んじていると思われても致し方あるまい」
他国であれば政権が変われば前王朝の皇帝や王はその座を追われるのが当たり前だが、日本というのは不思議なもので、古来飛鳥の昔より天皇家が国家元首として千年以上続いている。
そこには皇位を奪うより、庇護することで自身の権力基盤の根拠とするほうが周囲の理解も得やすく、かつ混乱も少ないという狙いもあるのだろう。事実室町幕府は将軍が京を追われたり暗殺されたりと散々であったが、帝の身だけは何人たりとも手にかけることはなかった。
しかし、実際に帝や朝廷が全国を支配する軍事力も財力も無い今、武家の力を借りねばその地位にはいられない。だからこそ徳川家を征夷大将軍に任じ、政務を一任しているのではないか。
為政者とは清廉なイメージが重要だけど、時に汚れ仕事も厭わぬ覚悟がいる。その汚れ仕事を徳川に任せているのだから、尚のこと帝には清廉潔白な身のままであってもらいたい。自ら法を犯しては、政治を任せた幕府を否定することにもつながり、ひいては自身の存在意義まで否定することにもなりかねない。
「水戸家の尊王の志はよく存じているが、それを申すなら公儀とて法度を作り、朝廷の仕組みが崩れぬようお支えしておるのだから尊王には変わりない」
「それでも、尊号宣下はならぬと」
「尊王とは帝を敬うこと。なればこそ帝がこの国の頂に立ち続けるために、我らはどう振る舞えばそれをお支え出来るか。そのために考え動くことが大事ではなかろうか」
蘭癖と陰口を叩かれようとも俺がオランダの文化や学問を学ぶのは、民が食うに困らないようにするため。
それがこの国を支えることになれば、巡り巡って帝がこの国の頂に立ち続けるための礎になるとも言える。自身ではそこまで熱心な尊王家だとは思わないが、見方によっては俺の行動も尊王につながるものと言えるだろう。
「帝の御心のおもむくまま、それに阿り唯唯諾々と従うだけが臣下の務めに非ず。時には勘気を被ろうとも苦言を呈すは武家も公家も変わらぬと考えるが」
「藤枝様のお考えは良く分かり申した。しかしながら、帝の願いを一顧だにせぬというのはいかがなものかと」
「それはその通りよ。帝に理を説くはもちろんのこと、代わりの案は出さねばならぬであろう。そのあたりは御老中たちが上手く考えてくれると思うが」
問題はそれを誰が帝に説くかだが、こういうときに言霊というスキルが発動しがちなんだよね。
なんかフラグが立ってしまったかも……
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