1話/この世界では
この世界では忘れごとに困りません。というのも、最近開発された生物の記憶を保存する悪趣味な機械があるから。なんでも何かの拍子で忘れることがないように、脳に保存された記憶をバックアップしてくれるそうです。
実際私……相川シュウはそれに助けられました。鍵をどこに置いたのかわからなくなったり、約束を忘れてしまいそうになったりしたことがあったので。
でも思うんです。ずっと記憶が残って、いつでも思い出せるのって残酷なんじゃないかなって。
空を飛んでいる飛行機の煙雲のように、ずっとそこにあるより、時間が経つにつれて消えて思い出せなくなったり、いらない記憶を自分で捨てれた方がいいんじゃないかなって。
「おーいシュー。行くぞー」
「はい!」
空を見上げてる私を呼んだのは古伊崎君。今日みたいな青天の青空が似合う高身長の人。頭の太陽に照らされた短めの髪がフワフワしてて、彼からはお日様の匂いがするから密かにお日様君って学校中で呼ばれていたりします。まあその中に私も入ってますが……。
ともあれ呼ばれたからには向かわないとなりません。ずっと学校の屋上で空を眺めて、自分の中にある疑問に答えを求めてるだけもいいのですが、授業終えたら帰るのが規則ですので。
「にしても本当に空が好きだよなあ。俺には全然良さがわからないわ」
「全世界の雲さんに謝ってください! ……空はいいものですよ。何度見上げても同じ顔をしなくて、今日の雲はアイスみたいとか思えますし。何より考え事をするときにぼーっと見れるんですよ。だから空の雲さんを褒め称えるべきです」
聞き捨てならないことを聞いた瞬間、歩みを止めて空の良さを腰に手を当てて、胸を張って誇らしげに言いました。でも肝心の彼はきょとんとして、「いや、どや顔でいうなよ」と、なぜか引かれました。それには流石の私もおこです。むっとしちゃいます。
私の頬を膨らませた顔を見てか「空に浮かぶ雲のなんなのシューは……」と、古伊崎君は呆れた顔で呟きます。でも直ぐに軽く笑ってました。別に私は笑わせるつもりはなかったのですが。
あ、ちなみに古伊崎君と私はお隣さんです。隣人です。多分周りから見ても仲がいいって言われるくらいには、仲がいいです。なので現在進行形で下校道を一緒に歩いているのです。
そしてそのたびに私は思うんです。この瞬間がずっと続けばいいのになって。
別に古伊崎君が好きってわけじゃあありません。でも彼と話してるとき、一緒にいるときは、嫌なことを考えずに済むんです。忘れたい思い出をその時だけ思い出さずにいられるから。
でも時間は止まりません。今日のお別れの時間が刻一刻迫ってきます。それでも少しは嫌な記憶を呼び起こさずに済んだのは良いことです。
学校から出て暫く。私たちはお互いの家にたどり着きました。お互い部活はしてないので、青空の中帰宅しただけあって、まだ外は明るすぎます。
「――そんじゃ、また明日な」
「うん。また明日」
お互いその挨拶を交わすと、私は自分の家の中に入りました。でもおかえりの言葉がなければ、ただいまの言葉も私の口からは出ません。まあ当たり前です。今はお母さんもお父さんもここにはいないんですから。
いえ、深い意味じゃなくて単に仕事です。でもかえってこの静けさが私の記憶層に障害を与えてきます。自分を見つめなおすために……いいえ、私たち人が首につけている機械のせいです。
――さっきから言ってる、私の忘れたい記憶。それは、子供のころの記憶です。原因は、いわゆるいじめ……ではなく。その時の一番の友達が何も言わずに、いなくなっちゃったんです。一緒にいるって、ずっと一緒だよって約束したのに、まるで嘘をつかれた気分になって心を閉ざしちゃいました。
いや、それだけじゃありません。いなくなる直前にその子と喧嘩して、私は酷いことを言ってしまったんです。けれど謝ることができないままいなくなっちゃって……
今でも後悔しかないですが、なんど後悔して、もう謝れないとわかって立ち直ろうとしても、毎日のように嫌な思い出を不意に思い出してしまうのです。
嫌な記憶程、力は強くて私のように人を苦しめます。だから思うんです。ずっと記憶が残って、いつでも思い出せるのって残酷なんじゃないかなって。空を飛んでいる飛行機の煙雲のように、ずっとそこにあるより、時間が経つにつれて消えて思い出せなくなったり、いらない記憶を自分で捨てれた方がいいんじゃないかなって。
――消えない記憶は、時には残酷にすぎなくて、なんなら嫌な記憶を今すぐにでも記憶から消し去って、もう二度と思い出さないようにしたいって。
まあそう思っても記憶は消えませんが。